「社会」とは男性のものである。

男女平等 ジェンダー

そもそも社会とは

「女性の社会進出」というフレーズが使われるようになっていくとせ経ったのか存じませんが、このフレーズの文脈って、「男性に比べて人生の選択肢を狭められ、権利を蹂躙されてきた女性」という前提があると思うんですね。

これはその通りだと思います。

が、しかし。

視点を変えるとまた違ったものが見えてくるんですよ。

すなわち、「女性の社会進出」と言う場合の「社会」と言うのは「本来男女問わずに開かれているもの」ではなく、「男性の活躍するための場」をそう呼んできたと考えると腑に落ちるわけです。

そんな都合の良い考え方があってたまるか!とフェミニスト方面から聞こえてきそうですが、いやいやちょっと待ってください。

 

生物の主役はメス

生物の世界でオスとメスどっちが主役なのかと言えば、明らかにメスなんです。というか、メスこそが生物なのですよ。コピーを残す能力を持つのはメスだけなんですからね。

カマキリや蜘蛛を見てください。セックスしたくてしたくてたまらないオスがメスに捕まって射精に成功したかと思ったら、その後その最愛の相手に食われてしまうんですからね。アンコウなんてもっと切なくて、メスの体に食いついてそのままじんわ~りと同化していくんです。自我も尊厳もあったもんじゃありません。オスというのは基本的に「道具」でしかないのですよ。

生物がなぜオスとメスに分化したのかはまだハッキリと解明されていないそうですが、結果論的に言えば「機能分化」による合理化とは言えそうです。

 

なぜ神様は「性」を作り給うたのか

オスメスの違いは生物によってバリエーションがありますが、人間の場合だと、オスの方が体格が良く、筋肉が付きやすく、計算が得意で、空間認知能力も高いとされています。これ、進化の過程を考えると当然で、外に出て狩りをしなければならないからです。走って獲物を追いかけなくてはいけないし、力がないと獲物を捕らえることもできません。地理感覚がなければ家にも帰れません。農耕でも同様、力も必要だし、面積の計算もしなければなりません。

他方のメスは、家の中にいて料理と子供の世話に追われます。さほどの筋力は必要ありませんが、マルチタスクをこなせる脳と微視的な観察力が生活の質を決めます。

脳と言えば、そのコミュニケーションの形態もオスメスでかなり違ってきます。現代人でも1日あたりの発語量を比較すると、女性は男性の3倍も喋っているんだそうで。と言って語彙力はと言うと、多分男性の方が高い。そして女性はよくしゃべるだけでなく、よく笑い、よく泣きます。これは家族の世話に共感力と感情表現が必要だからでしょう。対して男性が女性ほど感情的でないのは、狩りの現場で泣いたり笑ったりする能力(衝動)は邪魔になるからでしょう。

 

性別があるおかげでより豊かな暮らしができるようになった

このように機能分化をしたおかげで何が良くなったかと言うと、効率よく食事にありつけ、家を建てることができるのにメスはかなり安全でいられるようになったということでしょう。オスは自分で子供を産むことができない代わりに、それを可能な限りサポートできるような能力を与えられているわけです。

現代人が使う狭義の「社会」と言うのも基本的なところでは原始時代と同じで、まずは個々の家族の生活があって、その生活をよくするために「会社」という家の外の産業があり、それらを統べて治める「政治」があります。

会社経営や政治といった職業を男性の方が得意とするのも当然で、これらの仕事は基本的に数字の世界であり、また策略を練る脳が必要だからです。

 

「女性差別」の本当の問題点はどこにあるか

はい、ここらへんでフェミ方面の人たちの血管が浮き上がってそうですね。

もしここまでを読んで不快に感じられたら、上の記事も合わせて読んで是非話を掘り下げてみてください。

 

すでにあちこちの記事で書いていますが、大事なことなのでここでも書いておきます。

私は「男女平等主義者」です。

さっきまで書いてきたことはあくまで「進化の過程から考える生物学上の平均的なオスメスの差異」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

同じオスでも背の低く、筋力も弱い、数字や地理が苦手、だけど子育てや料理は得意って人は主夫になれば良いし、メスでも家の中にいることが嫌いな人は主婦になんてならなくて良いでしょう。女性だってアイデアがあれば起業しても良いんだし、政治経済に強ければ議員になっても良い。

選択肢は可能な限り広く持つというのが現代的価値観における正義であり、私も大賛成です。

 

問題は、

「では今障害となっているものは何か」

であり、その障害のうち取り払えるものとどうやっても取り払えないものに分けること、そして取り払える障害はどうすれば取り払えるのかを考えることだと思っています。

そして社会的な価値観がそうだからといって、生物学的な法則はそれに従ってくれるとは限らないということを頭に入れておかなくてはいけません。我々が理想的なものとして頭に描く「ジェンダー」は、必ずしも「セックス」とは一致しないのです。

これを前提としない男女平等は空虚であり、例えば「だったらオリンピックも風呂屋も男女区別するな」とか「郵便ポストが赤いのも男のせいだ」みたいな頭の悪い対立構造を助長するだけなのですよ。

 

……というのが話の前置きだったんですが、十分長くなったので一旦送信。

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