【表現の不自由展】「芸術」とは何ぞや。「表現の自由」とは何ぞや。

慰安婦像 文化

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で展示が一時中止となった企画展「表現の不自由展・その後」の出展作品の展覧会が来月中旬、大阪市内で開かれる予定だったが、会場の指定管理者が利用承認を取り消したことがわかった。

というニュースを受けて、私のTLが沸いていたので、私もコメント。

まずは2つの連ツイから。

 

(1)本来、芸術とは善悪や正邪という価値基準から独立した「美の創作」であって、天皇の御真影を焼いて踏みつけようが、特攻隊で散った若者を小馬鹿にしようが、それを本当に「美しい」と思うのであれば、誰にも文句はつけられない。

(2)例えば日本人が神と崇めるあの国民的アニメだって、「死こそ美」という価値観がベースになっていると言う。それはステルス的に表現されているが、ストレートに「首を絞められて苦しんでいる顔こそ美しい」と思う人がいれば、それは芸術なのである。

(3)よって、芸術にモラルや善悪を持ち込むのはナンセンスであると言える。芸術には他人が不快に思ったり迷惑をかけたりするものがある、というだけだ。

(4)似たような話に、「グラウンドに物を投げ込むような人は本当の阪神ファンではない」みたいなことを言う人がいる。いつ、誰が、そのような「阪神ファン」の定義を決めたのか。阪神タイガースが好きなら阪神ファンだろう。ただ阪神ファンの中には人に迷惑をかけるやつがいるというだけのことだ。

(5)さて、「表現の不自由展」だが、そもそも芸術の本質にモラルが関係ない以上、芸術と行政が絡むことは慢性的に矛盾を孕む。文楽や楽団に公金を使うべきかという議論は記憶に新しい。

(6)ただし、「表現の不自由展」はそれ以前の問題として、その目的が芸術ではないという点が挙げられる。目的はあくまで極左の政治イデオロギー発信であり、それを「芸術」というケースに入れているだけなのだ。しかし、それを客観的に証明する術はない。

(7)ウーマンラッシュアワー村本の笑いがなぜ面白くないかと言えば、人を笑わせることを目的としていないからだ。彼の目的も政治イデオロギーである。笑いが目的ならそのネタはバラエティーに富むはずだが、それより政治的主張が上位に来るので、そのネタは右側、安倍、自民党の批判ばかりになる。

(8)ウーマン村本を心情的に支援する爆笑問題太田だが、爆笑問題のネタはあくまで「人を笑わせること」であり、その手段として政治を使っている。「政治」より「政治家」と言うべきか。

(9)まとめ。芸術やお笑いと政治の関係。その目的と手段を整理してみると、本質が分かる。「表現の不自由展」もウーマン村本もクソダサいのである。<了>


 

先にも書いたけど、この問題を語る前提として「芸術とは何ぞや」を定義する必要がある。そこにモラルや道徳を含めるべきなのか、というところを中心に。

私見で言えば、何を美しいと思うか、何を表現したいかは、個人の感性に依拠するので、そこに「モラル」だの「道徳」だの「常識」だのといった、多数決的に決められる価値観が介入すると、それはすでに「芸術」ではないのだ。人殺しが美しいと思う人にとっては人殺しが芸術である。

芸術がモラルに即していないといけない、戦争を賛美してはいけない、といった縛りを受けるなら、別に芸術なんて必要ない。啓蒙なら道徳の教科書でやれば良いって話。例えばエヴァンゲリオンの庵野秀明は「破壊こそ美」という思想の持ち主だったりするわけだ。

以下、件のツリーにおいて、自分が引っかかるところをピックアップしてみます。別に批判的とかじゃなく、こういうツッコミができますよというご参考までに。

「左に寄った作品を展示するなら同時に右側の作品も」←例えば、ピカソの『ゲルニカ』にはどんな作品を対峙させるべきか。そもそも右とか左とかを判断する目はどこにあるか。当事者は皆自分が「ど真ん中」と思っているのでは?

「昭和天皇の写真を焼いて喜ぶ日本人はいるか」←いる。私は不快だが、いる。そもそも、芸術の基準は「喜べるかどうか」にはない。ゴッホなんてどう考えても辛そうに絵描いてただろうし。

「『間抜けな日本人の墓』はヘイト」←「ヘイト」をどう定義するか。誰かが不快になるものがヘイトだとしたら、ほとんどの芸術活動はヘイトになる。誰かを貶めたいという意図があるものをヘイトだとするなら、それを客観的に証明する手立てはない。

ちなみに、個人的には、『間抜けな日本人の墓』は、理屈だけを考えたら「なるほど」とも思える。津田大介が絡んでなければ、もっと違う視点から見られたかもしれない。

例えば、ドリフやダウンタウンの例を挙げるまでもなく、戦争って漫画やお笑いのネタにされてきたわけだけど、これって不謹慎じゃないか?と言われたらどうしよう。人によるんだよ、そんなものは。

例えば、『火垂るの墓』と言えば反戦をテーマにした日本を代表する名作アニメとなってるけど、本来のテーマは全く関係がない。でも、多くの人が「反戦」を見出したら、もう反戦アニメってことになっちゃうのよな。


 

その主催者の活動経歴から考えても、こういった催し物は不快そのものなんですが、だからと言って暴力的にそれを封殺してしまおうというのはダメなんですよ。

「表現の自由」「言論の自由」は認められるべきで、それをやらせた上で大衆が評価を下せばいいだけのこと。

「そんなものは芸術ではない」などと簡単に「芸術」は定義できるものではありません。「表現の自由」は、先進国社会が生んだ極めて高度な概念ですが、「芸術」は人類が有史以前の原始時代から存在するものです。壁画を見て「これは芸術だ」とか「芸術じゃない」なんて判断を下すのは全くナンセンスです。

もちろん、津田大介一派の目論見など皆分かってるんですよ。でも、分かっていても【形式】を重視するのが法治国家であって、「あいつの目的は〇〇に違いない」という一方的な判断で断罪してはいけないのです。

以上、津田大介氏からブロックされている小ライスの私見でした。

 

 

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コメント

  1. 月子 より:

    本当にそれです。
    私は昔から戦争やお葬式を茶化すようなコントや漫才などが苦手でした。
    あの作品も私は大嫌いです。ですが作者の意図を知りヘイトではないと思いました。

    ではヘイトとは?
    あの作品を他人から見てヘイトと呼ぶのなら、私から見てドリフのコントもヘイトだと感じます。

    お葬式も宗教関連ですのでヘイトですよね?

    表現の自由の一部だと思い、不快でも見ないようにしていましたが、あれをヘイトと名義するなら全て不快な作品はヘイトです。全てやめてしまえと思ってしまう。

    私は日本人ではないと言われました。
    何を持って日本人か日本人でないかと言われなければいけないんでしょうか。

    不自由展の話ではなくて表現の自由の話
    あれは誰が関わっているとか私にはわからなくて
    表現でいうところの話をしているのに
    全てをごっちゃにしすぎだと感じました。

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