この件については改めてきっちり書くとして、今はざっくりとだけ。
ひろゆき氏が、飛び級も落第もありにした方が子供は幸福であり、「落第は可哀想」という意識の方がむしろ不幸にしてしまう、という主張をしています。
基本的に賛同します。
「基本的に」と言うのは、私の場合は教育のシステムをもっと根本的に変えてしまった方が良いと思っているからです。
落第とか飛び級って、結局1年単位で、しかも結局全員が同じ授業を受けなくてはならないという点で、実はさほど合理的ではないのですよね。算数は積み重ねの学問なので、どこかで躓くと次に進むのが困難になります。「落第」は、どこか一つの躓きでも起こり得る話で、そのワンポイントのためにまた同じことを1年間繰り返さなくてはいけなくなります。
私の提案は、今1年単位で行われている学校の授業を、3段階くらいに分けるというもの。それを「単位」として、科目によっては順序を設定すればいいんじゃないかと思うんですよ。
今小学校4年生の算数のカリキュラムを見ているんですが、割り算や角、面積といった要素が出てきます。割り算は掛け算が分かってないと話になりませんから、掛け算を含む単位をクリアしないと割り算には進めないようにします。一方で、任意の単位の試験を学期の始めか終わりに受けさせてクリアできれば、その授業はクリアしたものとして次にステップに進めるようにします。
この方法を採れば、1年という大きな時間を無駄にすることがありません。出来る子はどんどん先に、出来ない子はじっくりと分かるまで、遠慮なく授業を受けることができるのです。
本当なら3段階と言わず、6段階くらいにしても良いのですが、そうなると児童の数も教諭の数も足りなくなるんですよね。いや、本当は簡単に実現できるんですが、その方法は別投稿で書くことにします。
この案自体は当ブログで以前にも書いたことですが、少子化の現在でも1学年3学級くらいはあるんだから、その3教室で全く同じ授業をやるなんて全く非合理的な話で、学力を3段階に分けて違う内容の授業をしろよ、って話です。
何にせよ、塾というアウトソーシングに頼らないと国立であり日本最高学府である東京大学に入れないというのは、どう考えてもおかしいんです。
今ある3クラスを数だけではなく学力別にするだけで、コストをかけずに「教育格差」の大きな是正が可能なんですよ。
ひろゆき氏の「発育の早い遅い=頭の良い悪いではない」という意見も重要ですね。全くその通りで、人間の発育の早さはまちまちな上に、1学年は1年間の幅があります。7歳になったばかりの子と明日8歳になる子が学年という括りで同じ授業を受けることを強要されるのですから、ナンセンスな話なんです。
この問題、学校の統廃合(大規模化)、公立中高一貫化などいろいろ言いたいことがあるんですが、一旦ここで終わり。
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