【川崎市19人殺傷事件「一人で死ね」論争】志らくも高橋ジョージももっと考えるべき

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「一人で死ね」論争は論点を絞るべき

川崎市19人殺傷事件について、
「死ぬならひとりで死ね」
「いや、そんなこと言っちゃダメ」
という論争が発生しました。

この論争に乗っかって、無暗にテンション上げて、あーだこーだと言ってりゃ気持ち良くなるかもしれませんが、これ、かなりアホな論争だと思いますよ。

何がアホかって、論点がムチャクチャなんです。

志らくと高橋ジョージのトンチンカンな意見

まず、立川志らく氏の意見。

「でも日本中の幼い子供を持っている、愛している親のほとんどは、死にたいならひとりで死ぬべきとおもっています。その気持ちをその怒りをぶつける事が悪い事なのか。ましてや非難されるべきなのか。本当に悪魔を生みだす言葉だとしたら二度と言いませんが」

次に高橋ジョージ氏。

「『勝手に一人で死ねば』の前には『人を巻き込むくらいなら』が入るのです。非難されて当然です」

えーっとですね、この事件にあたって、本当に社会のためを思う人が何を言うべきかと言うと、「同様の犯罪を減らすようなこと」でなければいけないんですよ。

では、「死ぬならひとりで死ねよ」という言葉が、この手の犯罪を減らす助けになりますか?ってとこが論点にならないといけないんです。

ところが志らくは「怒りをぶつけることが悪いのか」、高橋ジョージは「非難されて当然」とトンチンカンなことを言ってるわけです。

心配しなくても、み・ん・な、怒ってます。この犯人が「非難されるべき」なんてことは、誰かが言わなくてもみ・ん・な、分かってるんです。

もし自分が「ギリギリライン上の人間」だったら?

私がもし今回の犯人にように、精神的におかしかったら、自分の境遇を呪っていたら、社会を恨んでいたら、幸いにして今の私はそういう状態にはありませんが、元来妬み嫉みの強い人間なので、ある程度は想像できるんですよ。

犯罪を犯すあるいは自殺するギリギリのライン上に自分がいたとして、こんな事件が起きたとします。「ああ、誰かと一緒に死ぬ方法があるんだ」などと恐ろしいことを考えているかもしれません。当然ながら、その時に法律や倫理観など関係ありませんよ。

「死ぬならひとりで死ねよ」
なんて言葉を聞いたら、今まで2Hくらいで薄っすら書かれていた文字が、3Bくらいの濃い黒でなぞり書きされることにもなりかねません。
「あ、皆嫌がっている。だったらますますやりたい」
なんて思う可能性があるわけですよ。

少なくとも、です。
極限状態の時に「皆を巻き込まずにひとりで死ねよ」なんて言われても、「ああ、そうか。ひとりで死ぬべきなんだな」となる確率は限りなく低いと思います。

感情は理性を狂わせる

「親が殺されたので仇討ちを」
という考え方は、さらなる仇討ちを誘発する可能性があります。殺されるに至った経緯を全く考慮せずに感情的になっている可能性もあります。実は勘違いである可能性もあります。悪人であるかもしれないけど、殺されるほどのことはしていない可能性もあります。

先進国の法律で仇討ちが禁止されているのはそういった理由からでしょう。法は基本的に被害者遺族や大衆の感情は考慮しません。それは、大衆の感情に阿ることと社会の今後のためになることが一致するとは限らないからでしょう。

私だってですね、犯人が生きていたとして、その犯人を自由にして良いと言われれば、そりゃもう皆が考え付かないような残虐な刑罰をやってみせますよ。腹の中にものすごいドロドロしたものを抱えてますからね。

でも、です。その怒りをぶつけることは、その時その場、ほんの少しだけ留飲が下がるだけであって、解決法ではないのです。ましてやテレビに出るタレント、フォロワーの多いインフルエンサーなどは、無責任に短絡的なことを言ってはならんのですよ。

今の子供たちが安全に暮らせる社会を作る助けになるようなことを言わなければいけないのです。

あるいは、「これからの社会や子供たちがどうなろうと知ったこっちゃない。とにかく俺は怒ってるんだから、怒りを表現して何が悪いんだ!」とハッキリ言えば良いじゃないですか。

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