失言王森喜朗は裏切らない
森会長、女性蔑視発言で炎上
森会長、発言を撤回し謝罪するも辞任はしない意向
でも炎上止まらず辞意表明
森が後任指名した川淵氏、イヤイヤながら会長職を受諾
川淵「でも政府がモンク付けてきてるんでやっぱやめるわ」
次は橋下聖子? ←イマココ
森喜朗東京オリンピック組織委員会(元)会長の女性蔑視発言と辞任までのゴタゴタ、そして世論がもうグダグダ過ぎて、日本人はいつの間にこんなアホばっかりになったのかと嫌になります。
女性蔑視だとされる森氏の発言は一旦脇へ置いといて、森擁護論を取り上げます。
朝日新聞お得意の“切り取り報道”で始まった森発言問題。ご本人が誤解を招いた発言を撤回し、謝罪しても延々と攻撃が続く。83歳の老人をよってたかって吊るし上げる図式に“人権侵害”という言葉が浮かぶ。世界が全体主義に突き進む中、日本でも文革が始まったか。吊るし上げ文化は“あの国”に任せよう。 https://t.co/JzaG63XOXy
— 門田隆将 (@KadotaRyusho) February 11, 2021
先に言っときますが、門田隆将さんは私の好きな文化人の一人です。
しかしこの森擁護論はダメ。あ、「いつまでやってんだ」という所には合意しますが、と言って森は擁護しちゃダメなんです。
そもそも森喜朗とはどういう人か。若い人はあまり知らないかもしれませんが、政界一の失言王でした。その失言集はググればずらずらーっと出てきますが、例えば、
「日本は天皇を中心とした神の国」
「無党派層は投票日に家で寝ててくれればいい」
「(浅田)真央ちゃんは大事な場面で必ず転ぶ」
「大阪はたんつぼ」
等々。
森喜朗失言のパターン
森氏の失言には、実はいくつかパターンがあるんです。「主旨そのものがおかしい」「主旨は良いけど表現がNG」「そもそも言わなくても良いこと」といった感じ。
例えば「日本は天皇を中心とした神の国」と言うのは、近所のお爺ちゃんが言う分には私も首を大きく縦に振って「その通りだ!」と共感します。でも私が総理大臣ならこんなことは口が裂けても言いません。日本は「国民主権の国家」だからです。個人の思想としてそういう考え方を持っているのは自由ですが、公の立場、ましてや総理大臣と言う一国の首脳がこれを言っちゃダメなんですよ。
「家で寝てて」発言は全体の主旨としてはその通りだけど、だからと言って「家で寝ててくれればいい」なんて公の場で言うことじゃありません。それは完全なオフレコの自民党内の雑談で言うことであって、「皆投票に行こう」と社会が啓蒙するなら「家で寝てろ」は論外です。
「大阪はたんつぼ」はいたずらに誰かを刺激する表現ですね。大阪に住んでいる人にとっては、シンプルに激昂する案件でしょう。
「真央ちゃんは大事な場面で転ぶ」これ言う必要がありますか?
森氏はこれらの失言について「マスコミに切り取りされてる」「私の表現は常に反語的で最後まで聞いてほしい」などと言い訳しています。「反語的」と言うのは結論ではひっくり返すという意味で使われているんでしょうが、例えば「家で寝てて」発言はひっくり返っていません。「家で寝ててくれると自民党が勝ちやすい」は真理ですから。
仮に主旨として正解だったり合理的だったりしたとしましょう。百万歩譲ってね。それでも、マスコミに切り取られて批判のネタにされるようなことを言っちゃダメなんです。「大阪をどうにかせにゃならん」と純粋に思っていたとしても「大阪はたんつぼ」なんて表現はダメなんですよ。
嫌な予感はしていた
そもそも私は東京オリンピック開催自体反対でした。
昨今のオリンピックにはとんでもない金がかかる上にそこまでのリターンが見込めるか分かりません。どうせやるなら大阪や福岡など発展の余地のある都市でやるべきで、十分発展しきって人口も飽和状態の東京でなぜわざわざオリンピックをやる必要があるのか。東京一極集中を何とかしないといけないという流れに完全に逆行しています。
景気対策?いやいや、そんだけ金をかけるなら学校の教員の増加、子育て支援、国土強靭化等々高い再生産性が期待できる事業はいくらでもありますよ。
東京でやるくらいならトルコに譲って恩を売っておけば幾分かでもプラスになったでしょう。
そしていつの間にやら五輪組織委員会会長にはあの森喜朗……。いやいや、アカンでしょこの人は……って思ってたら案の定です。
東京オリンピック招致には反対でしたが、やると決まったら挙国一致で推し進めなければいけません。もう使うだけ金は使ったんだから後は回収です。新型コロナという幻覚を切り破り何としてでも開催すべきです。
が、しかし、やっぱり、コイツが!!
森擁護論の空虚
森はそんなに責められるほど悪いこと言ったか?
ひとりの老人を吊るし上げて楽しいのか!
巷間では、有名な知識人を含めてこのような擁護論も飛び交っています。が、私から見れば何ともアホらしい。
森氏のあの発言、フェミ方面が黙ってるとでも思ったのですか?思ったのだとしたら、その感覚は改めるべきです。しかもあの発言は全文読んだところでやっぱり女性蔑視なんですよ。つまり、表現もダメだし主旨もダメなパターンなんです。
現実に森氏は辞任に追い込まれ、辞任してなお責められ続けています。仮に森氏の発言には一定の合理性が認められたとしても、この「辞任に追い込まれた」という事実こそが全てなんです。
なぜなら、問題の主眼は「東京オリンピックが開催されるかどうか」であって「森氏が正しいか」であってはいけないからです。
森氏の発言が正しかろうが間違っていようが、マスコミに責められるようなことを言った時点で、組織委員会長としての振る舞いとしては大間違いだったのですよ。
最初から森喜朗なんて使うべきではなかった
自民党の総理経験者で森喜朗ほどマスコミと国民に嫌われた人もまあなかなかいません。ところが実際に森氏に会った人からは不思議と悪口を言う人があまりいないのです。
つまり、この人、「気のいいおじさん」なんですよ。大昔からボロクソ言ってる私だって、近所に住んでいたら好きになる自信があります。
そういう人格だから顔もデカ…いや広いし、いわゆる寝技もできる。オリンピックという半世紀に一度程度しかやってこない大事業には定型的な手続きがありません。何から何までイレギュラーな作業だと想像できます。そういう職務は、森氏のような顔が広くて狭い範囲のコミュ力が高い人こそ相応しいのです。だから辞任圧力が高まり始めた時に、知識人たちは「代わりがいない」と声を揃えたわけですよ。
しかししかし、この人の仕事にはむちゃくちゃでかい副作用があったわけです。
件の発言で一人のIOCの女性委員は、「朝食会で追い詰めてやるからな、東京で待ってろよ!」と目を血走らせる始末。
こんな失言王を、国際的事業の顔にすべきではなかったのですよ。いつかはこうなるなんてこと、想像できなかったんでしょうか。逆に、本当に森喜朗以外に会長が務まらないのであれば、それこそ東京オリンピックなんてやるべきじゃなかったのでは?
じゃあ全文を読んでみようじゃないか
さて、では森氏の問題の発言、何がどう悪かったのかちゃんと解説しておきましょう。
だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。
この時点でアウト。少なくともポリコレ的には大NGです。「女性は」という主語自体使ってはいけません。
これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。
「女性が多くいることは結果として恥に繋がる」という訳ですね。これのどこが「女性蔑視ではない」と言うのでしょうか。
女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。
女性全体を高いところから見下ろしてその「習性」を語っています。当たり前ですが、アウト。
私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。
この「わきまえる」という表現が取り沙汰されたのですが、取り沙汰されるような表現を使うのがバカなんです。「組織委員会の女性委員の方々は本当にやりやすい」とでも何でも言えば良いのに、わざわざ「わきまえる」という上から目線ニュアンスの表現を選んでしまうんだからしょうがない。
擁護論がバカなのは、「全文を読め!女性を褒め称えているではないか」という論理。いやいや、前半の女性と結論部分の女性は違う女性ですから!これ言い換えたら「うちの組織には賢いのがいっぱい集まってくるけど、女性一般で言えば話が長くて規制が必要だ」ってことですよ。アンタらこそ全文をちゃんと読めっての。
もうひとつ、擁護論の詭弁は「引用であって本人が言ったことではない」というもの。でもその引用、脈絡として森氏も共感しているものですよね?「私はそうは思ってないけど」ではありませんよね?「~~~って誰かが言ってたよ」と言うのは実に男らしくない(失言)言い方です。
ジェンダー論を語りたいなら五輪終わってからにしろ
森氏がどういう脈絡でこういうスピーチをしたのかまでは存じませんが、どんな脈絡であれこんな話をするべきではありませんでした。この人は今、「東京オリンピック組織委員会会長」という立場で、何かあれば世界中のマスコミの餌食になるのは分かり切っていることなのです。
このブログの「ジェンダー」カテゴリーを覗いてもらえば分かりますが、私だって相当女性に嫌われることを書きまくってます。しかし私がもし森氏と同じ立場ならこんなことは絶対に言いません。
ジェンダー論は、アドレナリンを大量分泌しないと議論できない人というのが相当割合でいるのです。それを承知の上で、腰を据えて語られるべきものなんです。今この立場で覚悟も深慮もなくカジュアルに「女性っちゅーのは」なんて言うと多くの人が迷惑するのですよ。
森氏は、五輪運営の重役という立場でわざわざこんな話をする必要がありましたか?しかも、その内容はまるで浅い……と言うより、中身が全くなく、いたずらにその手の人達を刺激するだけのもの。なぜなら、森氏はジェンダー論について真剣に考えたことなんてないでしょうから。わざわざ李の木の下に行って帽子をかぶり直す。それ、そこでやらなくてもいいですよね?
撤回し、謝罪し、辞任し、なお攻撃の手を弱めない人達には私だって辟易しますが、それでもこういう人達がいることは皆さんご存知だったはず。
百歩譲って、女性の話が長いことが【本当に】問題だとするなら、主語を「女性」にするのではなく、一段上の一般論として「議論が長くなって時間が足りないことがある」「だから何かしら規制を設けた方が良いという意見もある」とすれば良いだけのことで、これなら誰にも文句をつけられることはありません。しかし森氏は本気でそれが問題だなんて思っていないのです。森氏は狭ーーい範囲の聴衆を喜ばせようという浅いサービス精神でスピーチの時間を埋めようとしたに過ぎないのですよ。
森氏は辞任表明後「老人全てを悪いように言うな」とさらに感情を逆なでするようなことをわざわざ言っちゃうんですよ。いやいやいやいやいやいや、言わなくて良いことですから!「老人のイメージを悪くしてるのお前やないか!」と突っ込まれるだけでしょうが!
主題は「森喜朗」ではなく「オリンピックが開催できるかどうか」
「ひとりの83歳の老人を皆で吊るし上げて恥ずかしくないのか」と言う前に、なぜ83歳の老人に組織委員会の会長という重責を負わせたのかを疑問視すべきでしょう。批判されたら老人扱いとは片腹痛い。オリンピック組織委員会会長という役割を本人が受諾した以上「ひとりの老人」でいられるわけがないのです。普段、私が好意的に見ている保守論壇がこういうガキみたいな擁護論を展開するのは実に情けない話ですよ。
そもそも、問題の主眼は森喜朗ではありません。東京オリンピックが無事に開催できるかどうかにあるはずなんです。
今森氏を擁護したところで、何がどうなりますか?何にもなりませんよ。IOCが「ハイハイ、この問題おしまいね♪」と言ったと思ったら見事な掌返しで「全く不適切だ」となったのは、そのバックにアメリカの放送局とスポンサーがいるからですよ。この巨大な力に声が届くとでも思っているのでしょうか。
森はバカだが役に立つ
悪いことには悪いことが重なります。
森氏が辞任を決めた後、
東京オリンピックには全体を総括するまともなブレーンがいないようで、森氏の後任はなんと悪いことに森氏が指名。その指名先は川淵三郎氏。川淵氏が森氏より年上って初めて知りましたが、適任ではあると思いました。顔が広いしスポーツ事業の実績は誰にも負けませんから。
ところが使命を受けた川淵氏は「やりたくないんだけど」「家族に大反対されてる」となんともキレが悪い。これまた嫌な予感がするなーと思ったら、「密室人事」を指摘されて政府が待ったをかけてしまった。
前にツイッターでちらっと書いたのですが、組織委員会の人事ってどうなってるの?って思ってたんです。やっぱりいい加減だったんですね。
で、密室人事を指摘される直接の要因は、川淵氏が「森氏を相談役にする」と言ってしまったことにあると思います。これも大失敗です。
森喜朗は使い方次第ですごく役に立つんです。ただ、役所を与えてしまってはいけない。これは最初からそうで、経費と、必要なら報酬を与えて、役職は与えずに裏で動いてもらってればよかったのですよ。で、辞任となれば、マスコミや世間にはなるべく森氏のことは忘れてもらって、やはり裏で動いてくれればよかったのです。それをわざわざ「森氏を相談役に」なんてことを言っちゃうから、「おいおい、話が違うやないか!」とマスコミが騒ぐ。当たり前のことですよ。
ということで、いよいよ東京オリンピックの開催が怪しくなってきましたね。でも多分開催されることになるでしょうが。
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