老いた親の世話をしてはいけない
「母親が死んだのは医者のせいだ」として計画的に立てこもり、猟銃で訪問医を銃殺してしまった事件。
真相は分かりませんが、報道を信用するなら、殺された鈴木医師は非常に責任感の強い正義のお医者さんだったようで、加害者の母親を軽んじてたとはちょっと考えづらいですね。
この犯人も66歳とのことで、ひょっとしたら認知症を患い始めていた可能性だってあります。
何にせよですね、私がかねてより主張しているのは、「老いた親の介護はするな」ってことなんです。
若い世代の生活に支障をきたさない程度なら良いでしょう。しかし、明らかに体力的に無理をしたり、仕事を辞めたりしなければならないようなレベルになると、それは社会全体の損失に繋がるのです。
それだけではありません。狭い空間の中に特定の人間とのみ長期間一緒に暮らす。しかもその相手は自分に依存する関係。こういう環境って、いとも簡単に精神を壊してしまうのですよ。その相手に抱いている感情がポジティブであろうがネガティブであろうが、です。
今回の事件の犯人も、ひょっとしたら、母親への愛情は非常に深いものがあったが、正常な感覚を保てていなかったのかもしれないわけです。ただでさえ、若くても思い込みの激しい人というのはいて、そういう人が付きっきりで親の介護を始めると……と想像してみてください。
家族に兄弟の介護を強要する母親
それに関連するもうひとつの事件
これは、重度の知的障害を持つ弟の世話をしていた50代男性が心中に及んだというもの。
7年前、母親が亡くなる直前に兄に伝えたのが「弟を施設に入れないで」という遺言。
兄弟の年齢から察すると、当時お母様は80歳前後だったのでしょう。本当に罪深い。この“犯人”男性にだって人生はあったのに、それを弟の介護に捧げろと言ったわけです。
と言って、ではこの母親を責められるかというと、私は同じ立場を経験したことがないので、何も偉そうには言えません。
兄を中心に考えた場合、彼にできたのは「弟を施設に入れる」という選択肢を持つことだったかもしれません。しかし、その弟がどんな状態なのかも私には分かりません。
要介護者に政治・行政ができること
この2つの案件から、今度は「社会」を主体として考えてみます。
どうすればこんな悲劇がなくせるのか。
それは、高齢者にしろ、何かしらの障害者にしろ、政治・行政はもっと積極的に、そしてシステマチックに、ケアができる体制を取らなければならないということです。
家族以外に介護されるのは可哀想?
他人に介護を任せるのは後ろめたい?
まだ根強く残るこういう価値観はできるだけ早く払しょくしなければいけません。だったらなるべく可哀想にならない介護施設や介護手法を開発していけば良いんですよね。
どうしても貴方が家族1人のために全ての時間を捧げたいと言うなら、そのご家族を施設に入れて、その施設で貴方がヘルパーとして働けば良いんです。それで貴方と言うリソースは何倍もの価値を持つことになるわけですよ。
そういうことができるよう、法律やルールを整えていくのが、政治・行政の役割でしょう。
とにかく、「子が親の世話をする」という慣習は、この急激な少子化社会にはとんでもない害悪をもたらすことになります。そもそも子がいない老人だってたくさんいるわけで、別に可哀想でもなんでもないのですよ。
エラい人は福祉事業が破綻するのを見てるだけ?
つい先日当ブログで書いた事ですが、このコロナ禍で各介護施設はてんやわんやになっています。大規模な経営をする介護事業者はまだ良いけど、施設を2つ3つしか持っていない事業者は、1人でもコロナ陽性者が出るともう大変で、「濃厚接触者」の取り扱いによっては、「その日の営業が破綻」してしまいます。障害者施設なんかはもっとマイナーなのでどうしようもなく、健康な職員が代わりに命を削って働くしかないわけですよ。
こういった問題は、他事業者であっても連合を組んで人材の融通が利かせられるような体制を作るべきだし、その前にそもそも絶対的人材不足なんだから、給与を上げるような仕組みが必要になってきます。
立憲民主党の皆さん、あなた方もリベラルを自称するなら、維新叩きに腐心する時間があるなら先にすることがあるんじゃないですか?
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