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ゆたぼんのマネをした子に責任持てる?

育児・教育

最近再び話題になったゆたぼんについて、改めて何が問題なのかを抽出しておきます。

話題になったきっかけは、わざわざ動画で小学校の卒業証書を破り捨てる様子を配信したり、同じく動画で「中学校には行かない」と宣言したりしたゆたぼんについて、ひろゆきがツイッターで

登校が嫌なら通信制の中学校で教育を受けることは可能。子供に教育を受けさせる義務を放棄してる親には罰則が必要だと思います。教育の機会を捨てるのを是とする考えを広めるのは社会的に良くないしアホの再生産になります

と指摘したことです。

 

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ゆたぼんパパの法的な問題

まず法的な観点から話をすると、日本国憲法に「教育の義務」が規定されていることは誰でもご存知のはず。これは「子が教育を受ける義務」ではなく、「親(保護者)が子に教育を受けさせる義務」のことで、子に教育を受けさせない親は「憲法違反」ということになります。

「でもこの“教育”の手段って別に学校に限ってないよね?」

その通り。憲法上はね。

ところが今度は法律に「教育基本法」と言うのがあり、そこには「就学の義務」が規定されています。すなわち、「子供が一定年齢になったら小学校・中学校に通わせないといけませんよ」ということが書かれています。これをやらないと「違憲」ではない可能性はあっても「違法」なのですよ。

「でもいじめなんかが理由で学校に通えなくなった子もいるよね?」

ハイ、そうですね。

同法には、

保護者が就学させなければならない子(以下それぞれ「学齢児童」又は「学齢生徒」という。)で、病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のため、就学困難と認められる者の保護者に対しては、市町村の教育委員会は、文部科学大臣の定めるところにより、同条第1項又は第2項の義務を猶予又は免除することができる。

とあり、例外が認められています。

と、ここで、ゆたぼんの場合は「その他やむを得ない事由」に該当するかどうかという問題になるのです。「その他やむを得ない事由」というのは要するに、現場教職員や教育委員会の裁量に任せられるってことなんでしょうが、まあ、常識的に考えてゆたぼんがこれに該当するとは思えません。不登校になった理由が、「宿題をしなかったことを教師から咎められたため」であり、さらには気が向いたら登校しているというのですから、これを「やむを得ない事由」として認めてしまったらもう認められない事由なんてないだろう、と。

しかしながら実際は就学義務違反で親(保護者)が立件されるというケースはほとんどないのだそうな。

つまりは、ゆたぼんパパは今のところ、「限りなく黒に近いグレー」状態と言えそうです。

はい、法律論はここまで。

 

なんだかんだ言っても学校は効率が良い

公立学校という教育機関に不満を持っているのは私も同じです。いつまで経っても学力別授業を本格実施しないのは、そもそも政府が学校を「規則を守る工員」を作り上げる機関としてしか認識していないからだし、置き勉やランドセル以外のバッグの使用の禁止をしているのは「古い因習を守ることこそ正義」という思い込みがあるからです。このような環境で子供たちが本来の能力を発揮したり、次のGAFAの創始者が生まれたりするとは到底思えません。

とはいえ。

その代替手段があるかというと、普通の親にはまずないのが現実です。

1日45分×6コマの授業を親がやってやれるかっていうと、仕事をしていてそんなことができるはずもありませんし、時間があっても教えるスキルもないでしょう。

学校に不満があったとしても、子を学校に通わせると言うのは、【学校に通わせないよりは】はるかに教育方法として極めて効率的ではあるのです。

ゆたぼんパパは「ホームスクーリングを実施している」と言いますが、それが具体的にどういう方法でどのくらいのレべルでできているかについては私は全く知りませんし、当人からの説明も多分まだないと思います。

 

基礎的な教育に「本人の意思」は必要か

どうやらゆたぼんパパは、ゆたぼんが投稿している動画のような活動をも「学習」だと認識しているようで、まあそれも分からないではありません。あらゆる経験は学習ですから。

が、義務教育というのは、言わば「学習するための学習」であり、基礎中の基礎の教養を身に付けることに他らないわけです。諺を教えようにもその前に言葉を知っておかなくては教えようがありません。奈良の大仏を見ても、何の基礎知識もなければ「でっかいなー」で終わってしまうでしょうが、これが「京都に都を移すさらにその前と言う大昔の話で、疫病、大地震、政情不安で暗鬱な空気に満ちていた世の中を変えるために造られた」ものであると知っていれば、その価値は全く違ってきます。金閣寺だって何も知らなければただの派手な家ですが、ちょっとした教養があれば「ひょっとしたらここで足利義満と一休さんがとんち比べをやっていたのでは」などと想像して楽しむこともできます。今皆が普通に使ってるSDカード1枚にファミコンのスーパーマリオが2000万本以上も入ってしまうことに驚けるのは、コンピュータの素養があるからです。

これら身の回りの事物に驚いたり感動したり関心を持てたりする者の中からしか、次の技術革新を実現する開発者や研究者は生まれません。

それらの教育は「本人の意思」によって選択して与えられるべきでしょうか。私からすれば……いや、多分多くの人にとっては「とんでもない」話でしょう。嫌がろうがゴネようが、とにかく最初は強制的であっても教える必要があるのです。ひろゆきは「家庭で好きなことだけを学んでいても『虚数』に辿り着けない」という絶妙な例を挙げていましたが、私もまさにその通りだと思います。最初は嫌々詰め込まれた知識であっても、それをベースにした新しい知識には興味が湧くかもしれません。そのためには最初の「嫌々」は通過する必要があるのです。

 

義務教育の役割は「適性を知る」こと

学校の授業なんて大嫌い、もちろん理科だって嫌い。だけどその中に出てきた「宇宙」には興味が湧いた。宇宙を知るためには数学や化学の知識が必要だと知った。すると数学や化学を勉強したいと思うようになった……なんてこともあるわけですよ。ちなみに「虚数」は高校の数学で出てきますが、宇宙論には「虚数時間」という訳の分からない理論が出てきます。

「学校の勉強なんていつ役に立つのだ」と勉強嫌いの子は言います。仰る通り、直接的に役に立つことというのはほんの一部でしょう。しかし、その子にどんな才能が隠され、将来どんなことに興味を持ち、どんな職業に就くべきかはその時点では分かりません。初等中等教育には、何よりまず、その子にどんな適性があるかを判断するためのテストという役割もあるのです。

仮にゆたぼんのYouTuberとしての活動も立派な教育だ!という意見を認めたとして、自分の見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞き、やりたいことだけをやる人間が将来どうなるでしょうか。今のマスコミの踊らされる情弱国民って、「テレビしか見たくない」という人が実際に「テレビしか見ない」を実践した結果作られてるわけでしょ?

 

ゆたぼんにすり寄ってくるクズの大人たち

タチが悪いのがゆたぼんに阿り、すり寄ってくるろくでもない大人たちです。

アンタら、本当に「学校に行かなくても勉強はできる」という思想の賛同者なのか?

ということは、「学校行かない」宣言をしてYouTuberになった子供ならゆたぼんじゃなくてもコラボしてやるのか?

せんやろーが!!!

ゆたぼんのことを「ろくな大人にならない」とか「いつか挫折して後悔する日が来る」などと非難する人達がたくさんいますが、ゆたぼんは多分このままでもなんとか生きていけるんですよ。その理由は、この時代、有名であることは至上の財産だからです。十分食っていけるかどうかはまだ怪しいところがありますよ。今の動画の再生回数では厳しいでしょう。しかし、この知名度は今後の振る舞い次第でさらに上方向に化けさせることも可能で、中学卒業後に「ピースボートに乗ってみた」動画を上げればまた注目されるでしょう。

しかしそれはゆたぼんという「先行者のメリット」を持つものだから、その知名度を金に換えることができるのであって、ゆたぼんの啓蒙を馬鹿正直に信じてしまったバカ親の子供はそうはなりません。「2匹目のゆたぼん」を目論んでも「1匹目」が結構ギリギリなのに「2匹目」が注目されるわけもありません。つまり、ゆたぼんの言うことを聞いていたら食っていく手段がなくなるのです。

茂木健一郎氏なんかはマジで言ってるのでまだ良い(いや、良くもないけど)、ただ有名であるってだけでゆたぼんにくっ付いてくるヤツは本当にクズだと思いますよ。

 

ゆたぼんの主張は選択肢の拡大にはならない

「学校に行かなくても勉強はできる」ということを言いたいのであれば、一定の理解もできます。しかしゆたぼんは違います。多くの人はこの構図を理解できていないようですが、ゆたぼんは既存教育システムを完全否定しているのです。学校に行く子供を「ロボット」と呼び、わざわざ貰いにいった卒業証書を破り捨てるという侮辱行為を行っている訳ですよ。これは既成社会への敵対宣言になるわけで、(今の社会が理想的かどうかは一旦置いといて)その行為は「反社会的」なのです。

これは所謂パヨクが陥りがちな落とし穴で、本来リベラルは「選択肢を広げる」=「多様性を認める」という思想であるはずなのに、いつの間にか「自分のやり方こそが正しく、それ以外は悪である」となってしまうわけです。

例えば、女性の権利を主張するにあたって「男性は悪である」となってしまう。あるいは、「タバコの煙は迷惑である」と主張していたはずが「喫煙者の人間性は低い」となってしまう。

ゆたぼんだって「学校が合わないという子にはこういう方法もある」という「拡張的提案」をする分には今よりもっと理解されていたはずでしょうが、自分とは違う立場の人間を侮辱してしまうから反発を食らってしまうわけです。

ここでいつものコピペいきますね。

なんで皆そんなに対立構造を作りたがるのですか?

誰かの悪口を言わないと息が吐けないのですか?ケンカしてないと死ぬのですか?

 

だが教育システムの改革は必要

ってことで、これを読んでいるまともな大人がすべきことは、真っ当な教育改革です。

ゆたぼんのやり方は間違っていますが、今の教育システムが正しいわけでは決してありません。

 

『おとな研究所』という知的活動集団が、地方自治体の公営塾を紹介しています。

この組織のメンバーは相当若いらしく、実に頼もしい限りです。

 

私は私で、学力別授業の本格導入を唱えています。

少子化にともなうクラブ活動改革なんかも。

 

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