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人はなぜ孤独を避けようとするのか

悩む女性 学術
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孤独は人類の持病

先日ツイキャスでお送りした「人間はなぜ孤独を忌避するのか」の文字起こしです。

と言っても、本来の意味での「文字起こし」ではなく、ブログバージョンとしていろいろ付け足しています。

 

人間は孤独なもの。
そんなことは誰でも言われなくてもわかっていることですね。
しかし、人間誰しも孤独だということは分かっているのに、いざ自分が孤独を強く実感すると、それは怪我や病気をした時と同じように、「不調」であり避けるべきものと思ってしまいます。私もそうです。「孤独」に良い意味がないことは全ての人の共通認識です。

ではなぜ、我々は孤独を避けようとするのでしょうか。

答えは簡単で、それが我々にとって苦痛に他ならないからです。

ではなぜ、孤独は苦痛なのでしょうか。

それは、人類がそういう進化を選択したからです。

「そういう進化」とは?

人類が群れを作り、社会を形成し、社会の中で協調し、別のコミュニティー同士で戦争をするような動物になっていったということです。それが人類にとって合理的進化ルートだった訳です。

私がこういう人間の心理を考察する時、その対象のほとんどは「人間が持つ社会性の副作用」についてです。

 

「孤独ではない」状態とは?

「社会性」というキーワードで考えた場合、身近では犬と猫が対照的な動物です。

犬が集団でいると、そこには上下関係ができ、高度な協調行動を取ることがあります。例えば、公園のいつもの仲間たちで集まっていると、新参者の犬が公園に「侵入」してきた場合、ある1匹が警報として吠え始めると、他の犬も一緒に吠え始めます。見事な社会性です。

一方の猫は、群れはするけども、それは「屯(たむろ)」に近いもので、犬のような上下関係の拘りもなければ、群れのために警報を発したりもしません。

この犬の猫の対比で言えば、そもそも猫には「孤独」がありません。猫は元々単独で生きていけるように進化した動物であって、それぞれが独立した存在です。高度な社会性を持たない代わりに、無用の喧嘩もしません。他個体との関係に対して関心が薄いので、「孤独」という概念そのものが通用しないのです。

犬は、集団でいるのが当たり前であって、その集団においてルールを守れなかったり協調できなかったりボスの座の獲り合いで負けたりした個体は孤独になります。猫と違って無用のマウンティングをするのも、社会性の副作用です。

どうでしょうか。ツイッターを見渡すと、無用のマウンティングをし、事あるごとに諍いを起こす犬畜生みたいなのがウジャウジャいると思いませんか?

 

後からも触れますが、「孤独を忌避する」ことに執心すると結構愚かな方向へ行くことが多いんですよ。

 

「言論プランクトン」になると孤独でなくなる

最近私はツイッターで、橋下徹氏のウクライナ侵攻にまつわるコメントに脊髄反射的に攻撃している連中を「言論プランクトン」と表現しました。

この手の人間にはこれまで「犬」だの「ピクミン」だのといろんな呼び方をしてきましたが、「常識」とか「その時に流れている空気」とか「マスコミの情報」とかに従順で、波に逆らわないという点では「プランクトン」と呼ぶべきでしょう。

彼らは自分の頭で考えよう(自分の力で泳ごう)としません。彼らはその海流がどのくらいのスピードかも分からないまま身を委ねて生きているため、めちゃくちゃ楽なのです。ただし、常に仲間たちとランデブーする彼らは寂しくはないでしょうが、彼ら個々には個性と言うものがありません。

そこで足腰を鍛えて砂に足を踏み込めば~つまり、確固たる自己を確立して海流に抗えば、その海流の強さに比例してストレスが生じます。

人込みの温もりが夢見がちな季節を生んでいないかい

私の好きなASKAの名曲『晴天を褒めるなら夕暮れを待て』の歌詞の一部です。

私がくどくど「対立構造を作るな、対立構造に入るな」と言うのは、“群れ”に入るのは安心であり快感である一方で、そこに入り込むと個性と知性を喪失してしまうからです。人間は常に”群れ”への加入と言う誘惑にさらされる訳ですが、それに抗い続けないといけないのです。「一個の人間に立ち戻れ」は自分が自分でいるための格言であり、自ら孤独を受け入れることに他なりません。

 

言論空間の孤独

言論空間における孤独と言えば、私が体感したものでは、コロナ禍があります。

最近でこそ、「これ以上の自粛・行動制限は要らない」という意見が国民の間でも多勢になってきましたが、それを主張する人は2020年の冬にはどう言ってましたか?オミクロン株が弱くなったからと言っても、それはデルタ株との比較においての話であって、元祖武漢株と同レベルだと言われてますよ?

私はこの2年間、何一つコロナについての見解を変えていません。オミクロンが怖くなければ、武漢株も怖くなかったのです。それが単なる心象論ではなく、愚直に数字を並べて「さあ、どうですか。これでもインフルと比べて怖いと思いますか」とやってきたのですが、2020年の段階でこれを言ったところで、耳を傾けてくれる人は少数派でした。どれほど論理を並べても「それでも怖い!」という感覚論で返されたら二の句は返せないのです。

しかし、少数派ではあっても冷静に見れる人は見ていたので、完全な孤独ではありませんでした。

が、そこには「その先」を想像する怖さがありました。2割でも3割でも分かっている人はいる(でも少数派だから政府は賢明な対策を取ろうとはしなかったわけですが)。ではこの数字が、2割、3割ではなく、2%、3%だったらどうでしょうか。1万人に1人だったら?自分以外の人間のほとんどが政府・医師会の生み出すカルトに染まって壊れていくのを、ただ1人正気を保っている自分だけが見届けなければいけないわけです。

なかなかそういうシチュエーションもないわけですが、コロナのような分かりやすいイベントに限らず、賢者は常に1万人に1人レベルの孤独を抱えているもので、当然ながらその孤独は私でも想像がつきません。

 

孤独を受け入れ、味方にする

以上は「言論空間における孤独」であって、割と扱いやすいものですが、「いやいや、私の孤独感はそういうものじゃない」と言いたい人もいるでしょう。それが人間が持つ、より根源的な孤独感です。

この孤独感が発生する原因は先述の通りです。人間だから仕方ない。

ではその孤独を苦痛でなくするためにはどうすれば良いかって話を。

 

まずは孤独を受け入れましょう。自分は一人の人間であり、自分の心の内など誰も理解してくれない。それは当たり前のことなのです。後頭部にUSB端子かなんかがあって互いに接続でもできりゃ良いのですが、そんなことは不可能です。大勢の友達と一緒にいても孤独を感じる人は感じます。むしろ、大勢の人の中でこそ、己の孤独が浮き彫りになって表れてくる感覚を覚える人だっています。

そしてその孤独を「苦痛」と思えば不幸だし、「当たり前」だと思えば精神的安定を維持することができます。

 

Aグループの中で諍いが生じていづらくなってBグループにすり寄る。Bグループでも喧嘩をして次はCグループへ。グループを移動してやることは、前にいたグループの悪口です。さて、この人はどうなるか?交流の幅を狭め、そして質を悪くしていっているのです。

この人を愚行に駆り立てる原動力こそ「孤独の強迫観念」です。孤独でいることは悪いこと。人類の脳にプログラミングされた本能が、間違った道へといざなうわけですよ。

喧嘩・諍い、あって当たり前。その時に自分を慰めてくれる味方を求めてわざわざ「敵」の輪郭を明確にする必要などないのです。

 

孤独を受け入れ、一個の人間に立ち戻った時こそ、本当の成長があります。誰にも阿らず、引きずられる、自分は何を考えているのかを客観認識する。多角的な視野は一人の時にこそ生まれるものです。

 

喫茶店のモーニングに行って本を読め

若い頃、私は週の半分以上は喫茶店のモーニングで朝食を摂っていました。なんだか贅沢な気もしますが、毎日通ったとしても毎月1万円いかない程度の出費ですから、大したことはありません。

モーニングって良いですよ。なんせ自分で朝食を用意しなくても良いですからね。朝食の用意なんて5分程度と言っても朝の5分は貴重です。何より、ドリップしたコーヒーがめちゃくちゃ美味い。多分、コーヒー自体の味はどこでもさほど変わらないんでしょうが、なぜか朝に喫茶店で飲むコーヒーは美味い。

家で朝食を摂るのと一番違うのは、本を読むということです。

家だとダラダラテレビを観てしまうのですが、喫茶店に行く習慣ができると、わざわざ20分程度早起きしてゆとりを持って行くんですよ。で、トーストを頬張りながら経済産業新聞にさらっと目を通した後に、好きな本を読む。

私はジジイと違って店主とダベったりしませんから、まさに孤独です。ただし、人がいて程よいノイズが流れる心地良い空間の中での孤独です。

 

極端に読書量の少ない私ですが、それでも読書は良いものです。

孤独を忌避しているだけでは「夢見がちな季節」に浸るだけで成長がありません。SNSで最大限に警戒しなければいけないのは、「貴方はそのままで良い」という無責任な相互承認です。同じレベルの人間とダラダラお喋りしたって、そこには発見も進展もなかなかないものです。

※同じレベルの人とのお喋りを否定しているわけではなく、その際は「自分は今馴れ合いを楽しんでいる」という自覚を持つことが肝要ということです。

ところが本は、何かしら賢いことが書かれています。少なくともそれを書いた人は、読者である貴方よりは頭が良く、広い見聞を持っていることはほぼ間違いありません。そして賢い本を書けるような賢い人は、たいてい孤独を知る人です。

 

ってことで、どうせ一人なら一人でないとできない読書をしましょう。知識と見聞を広めましょう。自分をアップデートしましょう。

 

お勧めの本

どんな本を読めば良いのか分からない?

別に何でも良いんですよ。嵩張るのを厭わなければ漫画だって良いと思います。が、とりあえずお勧めしておきます。

 

『中島らもの特選明るい悩み相談室 』シリーズ。漫画のように読める活字の本。そして時々声を出して笑ってしまう。中島らもという特殊な脳の持ち主が、一般人の悩みに答えていく【哲学書】です。私はこれで中島らもにハマり、その後ほとんどの著書を読むことになります。この他にもエッセイは非常に読みやすく面白いのでお勧めです。

 

『永遠も半ばを過ぎて』。中島らもは小説も面白いんですが、個人的にはこれが一番好き。写植を生業とする男が、クスリでラリっている間に打ってしまっていたらしい覚えのない写植。それを「幽霊が書いたもの」として出版社に売り込もうとする詐欺師。続きは読んで下さい。

 

『人間失格』太宰治。孤独と言えば皆さんよくご存じのこれ。名作です。読んでいない人は是非。私は漫画版を読んだことがないのですが、太宰文学を味わいたいなら当然ながらオリジナルですよ。

 

『仮面の告白』三島由紀夫。太宰と同じカテゴリーに入りそうな三島由紀夫ですが、中でもこの作品は同性愛者の体験とその苦悩を三島節で描いた傑作でお勧めです。LGBTを語る前に読んで頂きたい1冊。これを読んだ後は「俺、三島読んだぜ」と自慢できます。

 

『ソクラテスの弁明』プラトン。えーっと、最もスタンダードなタイトルを挙げましたが、ぶっちゃけプラトンなら何でも構いません。とにかくソクラテスがいろんな人と議論するんですが、議論とは何ぞやというのが分かります。とっつきが良いとは言えませんが、議論が好きって人はハマるはず。

 

『藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編』。藤子F先生の短編については以前からブログを一本書こうと思ってたのでここでは詳しくは書きませんが、超オススメ。ただの天才。嵩張るので電子書籍の方が良いか。

 

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