運動とストレスの関係~そもそもストレスって何?~

散歩する犬 健康

からの続きです。

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ストレスとは何ぞや

さて、このブログではとにかく「ストレス」という言葉がたくさん出てきます。あれもストレス、これもストレス、と。でね、例えば、「昨日1日姑が家にいてさー、すっごいストレス溜まったわー」なんて使い方の「ストレス」の場合、その言葉の定義は問題にならないのですよ。皆が思ってる「ストレス」ですから。しかし、このブログであまりに多用される「ストレス」は、「じゃあそもそもストレスって何?」ということが問題になってきます。

「ストレス」というのは学術の分野によって定義が微妙に変わってくるんですが、一般的な用法としては「生活上に生ずる精神的苦痛」とでも定義できるでしょう。が、これはあくまで日常会話上のものであって、より学術的にアプローチするとそんなに単純な概念ではなくなります。

仮に、
(1)嫌悪感を感じるものは全てストレスであり
(2)ストレスは全て避けて通らなければいけない
とすると、人間も犬も生きていけないのですよ。

どこかのお家に引き取られた犬は、最初のうちは怖い物だらけです。散歩に連れて行こうにも怖がって家を出ないかもしれません。家から出たくないのに無理やり出すのは間違いなく「ストレス」です。じゃあそのストレスを回避するために、家から外に出すのはやめておこうと、瀧澤先生はそう言ってるのと同じなのですよ。実際はそんなことはないと思いますが、理論としてはそう解釈されるものです。

ではなぜ、嫌がる犬を無理やりにでも外に出す必要があるのでしょうか?この説明が、このブログにはないのです。以前にも指摘しましたが、一般化に失敗している=理論として不完全なので、「アレはストレスだからダメ」「これは必要だからやるべき」といった個別事象についての判定が恣意的なのです。つまり、書く人の好みでどうとでも言えるナンチャッテ理論でしかないわけです。

運動はストレス源?

さて、運動はストレスでしょうか?これを読んでいるあなたは、この問いに簡単に答えられますかね?

「運動嫌いの人にとってはストレス」

という回答が考えられます。が、これは正確ではありません。運動は全ての人にとってストレスなのです。

例えば、マラソンが快楽ならなんであんな辛そうな顔をして走るんでしょうか。実際、肉体には物凄く大きな負担がかかっています。少なくとも肉体には大きなストレスです。あるいはサッカーや野球などの団体競技はどうでしょう。ミスしてはいけないというプレッシャーや、負けた時の悔しさはストレスです。その前に練習がストレスです。早起きももちろんストレス。

それでも人間が運動をするのはなぜでしょうか。ポイントは以下の二つ。

(1)ストレスの先に快楽がある
(2)ストレス=快楽

(1)これは分かりますね。マラソンなら42.195kmを完走した時の達成感があります。団体競技なら勝つことはもちろん、皆で力を合わせて何かをやるということそのものが喜びです。

(2)ややこしいのがこれ。

いろいろ例は出せるのですが、犬にしろ人間にしろ子供は動きたがりますよね。運動はストレスなのに。理由は簡単で、子供にとってじっとすることこそがストレスであるわけですよ。で、成長に伴う「じっとすることがストレス」から「動くのがストレス」までの変化はグラデーションであり、明確な境界がありません

あるいは、誰しも殴られるのは嫌ですよね。ストレスです。でも肩こりの時に肩を叩かれるのは気持ち良いもので、ストレスが抜けていく実感が得られます。その叩く場所や強さというのも明確な境界がありません。

味覚でもあります。子供というのは苦い物、辛い物を受け付けません。本来、動物は辛い物も苦い物も酸っぱい物も「危険」なので忌避するものです。ところが人間の場合は、徐々に刺激物を美味しいと思うようになります。風呂上がりにビールを飲み、刺身にはわさびを付けて食べます。うな丼に山椒がなかったら怒るようになります。

これらがつまり、ストレス源とストレス解消法の区別が難しいところなわけです。ストレスを「肉体的ストレス」と「精神的ストレス」に分けて考えるのも良いでしょうが、それはこの記事の趣旨とはちょっとずれるのでやめておきます。

同様のことは以前にも書いたことがあります。

不穏な状態の犬を抑えつけると、その瞬間には強いストレスを感じたとしても、徐々にストレスが解消されていくという現象を定量的に確認した論文です。

 

つまり、犬にとってのストレスなんてそんなに単純な話じゃないってことですよ。

吠える犬がいるところは通らない?

外飼いで吠え立てる犬がいたら、そこは散歩のルートにはしないと言ってたのって瀧澤さんでしたっけね?まあ、誰でも良いんですが。これもストレス回避行動ですね。しかし、私はこういった事は絶対にしません。

一旦、話を根本に戻します。

当ブログではかねてより何度かこの話をしていますが、人間社会で犬を飼うということは、犬を人間社会にフィットさせるということに他なりません。具体的に言えば、犬のストレスをなくすために、犬が敵だとみなすもの、恐怖を感じるものに対する認知の修正を行うことこそが犬のストレスをなくすことになり、しつけの根幹であるわけです。

例えば、人間を怖がって触らせてくれない犬って結構いますよね。あれって可哀想じゃないですか?家族以外に触らせることなく日々を過ごし、そのまま死んでいくんですよ。この原因は、家族以外の人間に恐怖を感じ、過剰に警戒しているからです。そんな相手は(ほとんど)いないのに、です。

うちの犬はどうか?当ブログの読者さんならよくご存じだと思いますが、どいつもこいつも自分から飛んで行きます。さあ、触ってくれ!と。なぜこうなったかと言うと、

「人間は怖くない」
「人間は楽しい仲間だ」
ということを徹底して教えたからです。

人間社会に不慣れな犬にとって、よその人間も犬も、車も自転車も、あらゆる物が恐怖の対象でありストレス源です。それを「ストレス源だから」と言って遠ざけてしまうと、犬はずっと怖がりのまま。犬の選択肢は大きく狭まってしまう上に、それでもそういったストレス源と不慮の遭遇をしてしまうことはありますから、その時のストレスたるや半端ではないでしょう。

以前に書いたことですが、私の知り合いのボーダーコリーは怖がりのあまり、攻撃性が抜けず、決まった数匹の犬以外とは一切の接触をさせなくなりました。彼は生涯、この限られたほんの数匹の犬としかコミュニケーションを取らず、命を全うすることがほぼ確定してします。なぜなら、飼い主さんに改善しようとする意志がないから。まあ、馬鹿馬鹿しい話ですよ。

とりあえずうるさい犬への対処法

散歩経路上に吠え立てる外飼い犬がいたら?堂々と歩いて下さい。自分の犬が不穏になりかけたら、リードで合図を送ってください。「気にするな」と。3回もやれば自分の犬も素知らぬ顔で歩くようになります。

この手の無駄吠え犬は、邪魔などころかむしろちょうど良い“教材”です。街を歩けば、あるいは公園に行けば、おとなしい犬ばかりではありません。それにいちいち反応して興奮していては、ろくなことが起きません。「ああいうヤツがいても大丈夫。俺の方が強いから、お前は黙ってついてきなさい」と言ってやれば犬は落ち着くのです。

「アレルゲンを遠ざける」ではなくそもそも「アレルギー体質にしない」

さて、この考え方の違いは何かと言うとですね、簡単に言えば、

「アレルゲンを遠ざける」

「アレルギー体質にならないようにする」

の違いなんです。

「こっちにはダニ!あっちには花粉!むこうにはそば!」と騒いで選択肢を狭めてしまうのが前者。実際のアレルギーはものすごく厄介なものなので、こういったやり方もやむをえないところがあるのですが、ここで比喩として表現する「アレルギー」は、そもそもアレルギーにならずに済むのに、人間がわざわざアレルギー体質にしてしまうという愚を犯してしまっているのですよ。

例えば犬同士の諍いは、人間の方が無暗に怖がったり警戒したりして犬を怖がらせたり、最初から近づけるのを諦めて余計に嫌悪感た恐怖心を増幅させているしているケースが非常に多いんです。

人間だって人間同士の接触がウザい、面倒くさい、気を遣う、といったことからストレスにもなりますが、そのストレスを超えたところに人付き合いの喜びもあります。繰り返しますが、ストレスと喜びは表裏一体というところがあり、大好きな恋人ですら一緒にいたくない瞬間というのは誰でもあるでしょう。

「知る」ことで嫌悪感や恐怖感は反転する

ここで言う「アレルギー」の治療法は簡単なものでして、「知る」ことです。人間社会での差別や偏見が無知によるものであるのと同様、知らないという状態はいつまでも恐怖や嫌悪の情を維持あるいは増幅させてしまうのです。だから私は、「知らない犬同士は積極的に近づけることをマナーと心得るべきだ」とかねてより主張しているのです。

「嫌いなものは避ける」というやり方が通用する、たまたまちょうど良い環境なら良いですよ。でも、犬が頭数密度の高い地域で犬嫌いはどう生活すべきでしょうか。近所に河原もドッグランもなかったらどうすれば良いでしょうか。家に閉じ込めておけば良いと?そんなアホな、ですよ。


「自由運動」とは何か?

この瀧澤先生の散歩の仕方を見てみると、時間的にはそれほど短くもないと思います。一点気になるのは「自由運動」という言葉。「板垣死すとも自由は死せず」のあれですか?と思った方は、多分違います。それは「自由民権運動」ですね。「自由運動」とはおそらくノーリード(オフリード)状態のことかと思われます。

ノーリードのことだとして、なぜこんなサラリと、曖昧な書き方をしているのでしょうか。推測できるところはありますが、それは置いておきまして、ノーリードそのもののことについて少しだけ。

犬のノーリードについては、大昔から別のコミュニティーや今とは違うブログで書いておりまして、当ブログでも書く予定ではあったんですよ。その主張は「たとえ短い時間でも犬はリードを外して外を歩かせる必要がある」というものです。ところが、今のブログを書き始めたら、問題はそれどころじゃないんですよね。もう皆、根本から間違っていて、犬との信頼関係が築けていないので、リードを外せるわけがないのです。

詳しくは後日……書くかどうか分かりませんが、ここではポイントだけ。

・「危なくてノーリードにできない」は因果が逆。「ノーリードにしないからずっと危ない」のである。

・リードに関する「マナー」や「モラル」は最近作られた歪んだ価値観。それを優先するなら、「犬を飼うな」と主張すべき。

・「犬にはリードを!」は、「動物の習性を理解してより良い共生のために努力する」(論旨)という動物愛護法の理念に違反する。

特に最近は「個々が嫌という権利」をやたらと主張する社会になってきて、すぐにクレームがつくため、なかなかこれを主張できないんですよ。

余計な反発をけん制して重ね重ね断っておきますが、どこの誰でもリードを離せば犬のしつけはできる、と主張するものではありません。もう一つポイントを追加するなら、「犬のリードを離せるのは、リードの使い方を知っている飼い主だけ」なのですよ。これ、めちゃくちゃ重要なのですが、詳細は別の記事に譲ります。



一応「犬の運動とストレス」についてシリーズとして書いてきて、この記事で終わるつもりだったんですが、書くべきことがどんどん派生してくるんですよね。実を言うと、ここまでほとんど一気に書き上げていてこの後もすでに書いてるんですが、他に書きたいネタもあるので、終了ではなく一旦「中断」とさせて頂きます。

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