【Gackt炎上】ペットロスになるような人は犬を飼うな

社会
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Gackt、犬の感動ポルノで炎上

ちょっと古い話になりますが、例のGacktがペットロスになった友人に自分の犬を譲ったという動画。

これがかなり炎上したわけです。私も「炎上側」にいて、特段これといって書くこともないのですが、備忘録的に。

前後の脈絡とかは存じ上げませんが、自分の敬愛する人物の奥様がペットを亡くしてペットロスに陥っているところを、Gacktが迎え入れて間もない愛犬をサプライズプレゼントすることで「治癒」しようというもの。言うまでもなく、動画の作りは「感動」を与えようとするものです。

そりゃまあ炎上するでしょうよ。

 

犬の死は愛犬家に必ず訪れる悲劇

私の場合、親が死んでも愛犬が死んでも泣かなかった、我ながらサイコパス気質が高い人間だと思うので、決して標準とは言えませんが、でもね、ペットロスになるというのは、犬への意識の持ち方がおかしいというのは間違いありません。

そもそもペットロスと言うのは、一次的なものであるにしても、ある種の精神疾患と言えます。

で、なぜペットロスに陥るかというと、「感情が処理しきれない」からです。

なぜ「感情が処理しきれない」かというと、その悲しみが「我が子を失う」という本来あってはいけないイレギュラーな出来事だからです。

親が死んだって悲しいでしょう。しかし、順番通りの死が訪れている限り、その悲しみはその瞬間だけのもの。ところが親が子を亡くすというのは自然の摂理ではなく、人間はその感情の処理の仕方を知りません。もっとも、ちょっと前まで人間の子供だって何人かに1人は必ず死んでいた時代があったわけですが、その時代の人間はそれを予測して1人の女性が何人もの子供を作るのが当たり前でした。

 

犬を子供と思うからペットロスになる

ペットロスと言うのは犬を自分の子供という認識のまま育ててしまうことに原因があります。

人間は子供として生まれいずれ大人になり自立しますが、犬は決して自立しません。人間以上の知能を持つこともありません。にも拘わらず人間の5倍の速度で齢を取り、飼い主よりも早く死んでしまいます。

つまり、犬を自分の子供として育て始めた時点で、いつの日かその人に「起きてはいけない悲劇」が襲い、ペットロスに陥ることが確定しているわけです。

 

私のリアルの周りでもこの話は出て、同様のことを私が言うと、「それでも無理!この子が死んだら絶対に私はペットロスになる!」と今から宣言している人がいます…というより、そういう人の方が多数派です。

「私はペットロスになったことがない」と言うと、「それは小ライスさんには子供がいるからでしょ。私にはいないもん」と返ってきます。

まあ、私がそれに当てはまるかどうかはともかく、一般論として人間の子がいるかどうかは大きなポイントですね。これ、まだ書いてなかったかもしれませんが、人間の子供がいないから代わりに犬を飼うというのは、本当にやめといた方が良いです。犬を亡くした時に全てを失っちゃうことになりますから。

ポメラニアン

「愛犬家」の多くが「共依存」に陥っている

まあでもね、「犬を子供と思うな」と言ったって、多くの人にとっては無理な話なんですよ。犬っていつまでも子供だし、老犬の域に入る10歳になっても見た目が変わりませんからね。犬は死ぬまで人間に依存するし、人間は依存されると愛おしくなりますから。

これ、悪い意味の鳥肌の立つ例で、しかも極めてよく目にする光景なんですが、犬種ごとにかかりやすい病気とか特有のケアみたいな話がありますわね。例えば小型犬なら涙焼けがひどいとか、パグなら皮膚病になりやすいから肌のケアが欠かせないとか、フレンチブルなら鼻の手術しないといけないとか。そういう犬のまつわる健康上のトラブルについて「そういうことがあるからまた愛おしくなる」と言っちゃう人がいるわけです。つまり、犬の不健康がポジティブな感情を生み出しているという気持ち悪い構図があるわけですよ。

これを心理学では「共依存」と言うんです。自分が依存されればされるほどその相手に愛情が深まり、「依存されることに依存する」状態のことです。

 

おっと、「備忘録」のつもりが長くなりそうな予感ですヨ!

私がかつて書いたこの記事『あなたが死んだら犬はどうなるの?』は、そういう意識の真逆の観点によるものです。

すなわち、犬を育てるということは、自分に依存しないような精神や知性を与えるということである、と。「自分が依存されていることが嬉しい」という感覚の人って、自分が死んだ時とか、不慮の事情によって犬を手放さなくてはならなくなった時のことを考えていないのです。そりゃ犬の不健康を喜ぶような人たちだから、自分がいなくなった後の犬の末路なんてどうでもいいわけですよね。「この子には私がいなきゃダメなの!」という感覚は全く不健全なものなのですよ。

犬が死んだ後に後悔しない育て方を

私が、犬が死んでもペットロスに陥らないのは、別に悲しくないからという訳ではありません。悲しいに決まってますよ。可愛がっていた犬がいなくなるんだから。

ただ、その悲劇って、自分が犬を飼い始めたその日から毎日想像しているのです。それを想像しているからこそ、リアルに「犬にとって幸せとは何か」「犬が死んだ後に後悔しない育て方」を考え、長期的なビジョンで犬をしつけられるのです。

そのことはこの「犬の手作りごはん~犬を長生きさせるレシピ~」でも書いています。もし若くして重病が発覚した時に「食事は手作りの方が良かったんじゃないか」と思わなくてすみます。自分の体調がすぐれない時でも毎日欠かさず散歩に行くのだって、「あと1回でも多く散歩させてあげればよかった」などと後から思いたくないからです。

 

飼い犬の死よりも大きな悲劇

そして何よりもう一つ。

私は子供の頃に、犬について2度大きな悲しみを経験しています。

一つ目は、飼っていた犬が若くして病死してしまったこと。これはもう自分にはどうしようもありません。

もう一つが、捨て犬を拾ってきて、親の許しが得られずに捨てに行ったこと。これについては、タイムマシンが発明されたら当時に戻って根性なしの自分に「犬を連れて家出して警察沙汰にしろ!お前の家は持ち家の一軒家だから犬は飼えるぞ!こんな時くらい命かけてやれ!」と喝を入れに行きますよ。

特に捨て犬の件はずっとトラウマで、犬猫の殺処分とその原因となっている犬の商取引、何も考えずに犬を飼い始めてしまうアホな人間への猛烈な嫌悪感の源泉となっているのです。

私はこの2つの出来事で生涯に流す涙の9割以上を流してしまい、感覚が鈍ってしまったので、その後これといって悲しいことがないのですよ。

私に人間の子供がいるから?

いやいや、犬を捨てるという経験をしてしまったらね、飼い犬が寿命で死んだことなんてむしろ「最期まで面倒を見た」という充実感の方が大きくなるというものです。

 

 

どうしましょう。そろそろ話を戻した方がいいですかね。

質問掲示板にあったある質問でこんなのがありました。ちょっとURL特定が面倒くさいので、質疑応答のやり取りの趣旨のみ。

 

年老いて独居している母に犬をプレゼントしたいのだけど、老人でも飼える犬種って何でしょうか

いやいや、そもそもお年寄りに犬を飼わせるなんて無責任でしょ。どんな犬種だって散歩は必要だし、20年近く生きる動物なのに

 

生い先短い母にしてやれるというのはこのくらいなので

 

と、このように、犬や猫というのは便利なもので、人間の孤独を解消する慰めの道具なのですよ。

 

Gacktの件も同様。犬を亡くしてペットロスという精神疾患に陥った友人を治療するために、次の新しい犬をプレゼントした、と。ってことはこの人、死ぬまで犬を飼い続けなくてはいけないわけですね。最期にあたった犬は災難ですよ。独居状態で飼い主に死なれたら、ヘタすりゃ自分も巻き添えで餓死することになります。餓死を免れたとしても次の飼い主がいる保証はありませんね。

しかもしかも、Gacktがプレゼントしたのはなんと自分の飼い犬。いやいや、飼い主がいなくて殺処分待ちの犬なんていくらでもいますから!この犬がどういう由来なのか知りませんが、ペットショップで買ってきたのでは?自分の意思で犬を飼い、その犬が死んだらペットロスになるなんてバカに、さらにペットショップで買ってきた犬を差し出すのですか?ペットショップで犬を買うということは、売り物にならなかった犬が、我々の目に入らないところで悲劇的終末を迎えているということですよ?

そんな動画を見て「感動で涙が止まりませんでした!」って人、アホーウですか?

 

 

現場からは以上です。

 

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