犬に怒鳴るのは虐待?

ラブラドール犬 しつけ

「犬に怒鳴るのはNGなのか」という疑問について。

 

仮に怒鳴るのがダメだとして、その理由は何でしょうか。

もっと話を分かりやすくしましょう。

犬を叩くのはアリかナシか。

アリならなぜアリで、ナシならなぜナシなのでしょうか。

 

という質問を投げかけると、かなりの割合で「怒鳴るのも叩くのもダメ!だって虐待だから!」と答える人がいます。

では、「虐待」とは一体どう定義される概念でしょうか。

皆さん、一度考えてみてください。

考えましたか?

 

では、ここから私の見解を披露します。

犬であっても人間であっても、「虐待」をテーマに議論される時、その論点はどうしても「何をやったら“虐待”になるのか」になってしまいます。

しかしこれは私から言わせれば問題の本質から乖離したナンセンスな議論と言わざるをえません。

 

「虐待」が疑われる行為について、その「虐待性」を評価する際、「何をやったか」が問題視されるのはもちろんですが、その前に「どういう脈絡でやったのか」こそが問題視されるべきです。

 

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これって虐待?

個人的な実例をひとつ。

セガレ君が自転車に乗れるようになり、初めて公道を走らせました。その際、当然ながら交通ルールを厳格に教えることになります。

交差点に差し掛かり、「“止まれ”って書いてあるやろ。ここは右左から車が遠慮なく走ってくる。絶対に止まらなあかんねんで」と教えます。

別の日の2度目の機会、私はセガレ君を試します。すると一旦停止を無視して交差点に進入しようとします。「こらっ!!“止まれ”があるやろ!!」と怒鳴って制止。そして「3回目は口では注意せえへんぞ」と予告しておきます。

そして3度目の機会。注意力に問題のあるセガレ君はまたしても一旦停止を無視。標識ではなく私が「止まれ!」と命令します。自転車から降ろし、ヘルメットを脱がせ、頭をバチーン!と一発かまします。「どや、痛いか。痛いっちゅーことは生きてるっちゅーこっちゃ。良かったな」と、車に轢かれたら痛みを感じることもなく死ぬだけだということを教えます。

 

「虐待」の境界はどこにあるか

さて、この交通ルールを教える過程において、「虐待」はどこにあったでしょうか。

もちろん、私からすれば教育のつもりでやっているので、虐待と言う認識はありません。身体の安全という極めて重要な事柄において、その記憶の濃度を濃くする作業なのです。

「体罰=虐待」という等式を持っている人にとっては、頭をはたいた時点で「虐待」となりますね。では「体罰」って何でしょうか。

例えば、保育所に行くと、他の子を叩いたりした子に保育士が注意する場合、その子が無視して立ち去ろうとすると両腕を掴んでお説教したりします。私たち保護者がいる前でもやります。「腕を掴む」というのは「体罰」ではないでしょうか。仮に「体罰」でないとしても、「不当な身体拘束」になりませんか?だとしたら重大な人権侵害ですよね?

もちろん私はそんなこと思わないので、自分の子が悪いことをしたら遠慮なく腕を掴んででもお説教してもらわないと困ります。

その時、保育士さんは絵本を読む時のようなトーンで話すでしょうか。普通はそんなことありませんよね。相手の感情に響かせるためには声は大きくしなければいけません。ではどこから「怒鳴る」になるのでしょうか。音量計を持ってデシベルでも計りますか?

 

「何をやったか」だけに着眼すると、このようなアホらしいことを議論しなければならなくなるのです。

 

「叱る」とは何だろう

そもそも「叱る」と言う行為は、分別のつかない子供にものの道理を教えることですが、お花畑派の人は「子供だって言葉が分かるんだから、やさしく言って聞かせれば理解できる」などと言いがちです。

冗談じゃない。

少なくとも私はそんな子供ではありませんでした。

「言って聞かせれば分かる」のであれば、子供を褒める時に笑顔で接するのはどうでしょうか。表情だけでなくトーンだって違うはず。「残さず全部食べたの~?えらいね~(*^_^*)」ってなってるでしょう。子供にとって大事なのは、理屈ではなくこういった感情表現です。

自分がしたことからリンクする快・不快の感情、これを積み重ねて「何が良いことで何が悪いことであるか」の判断力を身に付けていくのです。

残さず食べて褒めてあげる時も、交差点を飛び出して叱る時も、同じトーンだなんて実に馬鹿馬鹿しい。

というか、「説明すれば分かる」なんて言う人だって実際にはトーンが違うのです。

あるいは、褒める時は笑顔になってトーンを上げても良いけど、叱る時は無表情でってことですか?これまたバカバカしい。

 

虐待はなぜ虐待なのか

私もそういう親に育てられたので、実感としてよく分かるのですが、「虐待」の虐待性って殴られることなんかではないのです。もちろん怪我をするような体罰はダメですが、これは分かりやすい話。

多くの人が議論を避けているのは、「一貫性」の話です。

子供あるいは犬が、同じことをしたら親あるいは飼い主は必ず同じ反応をする。「悪いことをしているのに機嫌が良いから許す」もダメだし、「何も悪いことをしていないのに機嫌が悪いから怒る」もダメ。当たり前ですね。ここから子供も犬も何も学べず、ただただ混乱するだけですから。そして後者は、ただ不機嫌な顔をするだけでも「虐待性」は高いのです。

先述のセガレ君の例を再度引きますが、自転車をいちいち止めるのって面倒くさいんです。面倒くさいから怒鳴って済ませる。これがダメなんです。声って慣れちゃいますから。何とかして子供の心に刻まなくてはいけない。だから、自転車を止め、自転車から降ろし、目を見て、頭をはたくのですよ。

もう一度言います。

怪我をさせるというのは論外として、虐待の本質は教育者側が恣意的であること。先に「これをやったら不快なことをする」というルールを提示して、そのルールに従って教育者が対応する。これは「法治主義」の根本でもあり、「逮捕」「懲役」は言わば国家権力による合法的体罰です。

 

犬に対する適切な叱り方

※本来、ここには厳しい調子で犬に注意するやり方を説明するムツゴロウさんの動画を貼ってあったのですが、動画は削除されてしまいました。

またしてもムツゴロウさん。

この動画は以前にも全く同じ趣旨、つまり「犬に怒鳴ることの是非」という脈絡で当ブログで紹介しました。

私が先に書いた通り、犬の行動によって、人間側が感情表現に大きなメリハリをつけています。

というわけで、ムツゴロウさんを信頼するなら、「怒鳴るのもアリ」ということになります。

さてさて。では、改めて犬の叱り方についてご説明します。

シーザー・ミランは犬の叱る際の3つのコツとして「低く、短く、鋭く」を挙げていますが、全くその通りだと思います。というか、犬を理解している人にとっては基本中の基本。その基本ができない人が問題犬を作り出してしまうわけですよ。

当ブログではかつて「女性と老人は犬のボスにはなれない」と言う、一部の人をひどく怒らせてしまいかねないテーマで記事を書いています。

女性は、体格が小さく、筋力が弱く、心が優しく(共感力が高く)、怖がりなので犬のしつけは難しいから、犬を飼おうとするならそこをよく熟慮してくださいという主旨です。

加えて、女性には低く力強い声がなかなか出せません。「低く、短く、鋭く」の「低く」は、低い声でないと犬には響かないからです。人間の耳にだって、チワワの声とグレートデンの声では、それを聴いた時の緊張感は全くが違うものです。動画のムツゴロウさんだって、褒める時は高く柔らかい声、叱る時は低く硬い声を発していますよね。

 

なので、あなたが女性である場合、低く、短く、鋭く、力強い声を出す練習をしてください。

しつけのできない飼い主はこれと真逆のことをやりがちです。

 

よその犬を見る度に興奮状態になり無駄吠えをやめない飼い犬に、「ココアちゃん!ダメでしょ、お友達でしょ!」と。犬は一切言うことを聞かないのに、飽きずに何年でも続けてしまう飼い主さん、いくらでもいますよ。1度やってダメならその方法は間違いってことなのに、なぜ分からないんでしょうか。

「低く、短く、鋭く」の前に一つ付け加えるなら、「瞬時に」です。問題行動が発現したら瞬時に修正行動を取る必要があります。さらに言えば、ダメな飼い主は「問題行動」に気づくのが遅すぎます。例えば無駄吠えの場合だと、実は犬は吠え始める前に問題行動が始まっています。それをちょっとした動きや表情からスイッチが入ったことを察知して、先回りの修正行動を取らないといけないのですが、それができないわけですよ。

リードの緊張の仕方から、犬が悪い興奮状態に入ったことなど簡単に分かります。その時点で、【瞬時に】犬の前に回り、【低く、鋭く、短く】「こらっ!」と注意すれば良いのです。

これを「怒鳴る」と言うかどうかは知りません。

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