「よその犬に吠えない犬」にするには~インターネットコオロギの話~

檻の中の犬 攻撃性

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飼い犬をよその犬や人間に近づけない飼い主


犬の散歩をしていて気になるのが、我が犬をよその犬に一切接触させない飼い主が結構いるということ。

もちろんこっちは全然平気なんですけど、向こうはピタッと止まり、犬のリードを短く持って自分に引き寄せ、挨拶もせず、「早くいなくなってください」とばかりに動きません。「お前は邪魔だ」と言われてるようなもんで、単純に不愉快ですね。

 

犬が不穏になって何をするか分からないから、持て余し気味に仕方なく犬を制御する、という光景は昔からありましたよ。ところが、このケースでは犬はそれほど不穏な様子もないし、そもそも子犬である場合も多い。

どうやら、彼ら(と言っても私が見るのは女性ばかりですが)はそうするのがマナーとでも思ってる様子なんですね。

いやいや、あなたが家族以外とは挨拶もしたくないコミュ障であろうと人間嫌いであろうと、それは「ご自由に」ですが、犬まで巻き込むなよと。犬は犬で社会性を持つ動物であって、他の犬と接触したがるんだし、精神的健康のためにはさせる必要があるんです。

 

元々精神的に何の不具合もない犬であっても、よその犬や人間と一切接触させないような生活させてると、後天的自閉症になっちゃいますよ。

私が長年観察してきたところによると、しつけのできない犬とか凶暴な犬って、家族以外との接触を避けてることが多いんです。

山登りをすれば初対面の他人同士でも挨拶するのと同様、犬を見かけたら近寄って互いに匂いを覚えさせるというのをマナーにしましょうよ。それを子犬のうちからやっていれば、よその犬や人間に怪我をさせるような犬にはなかなかなりませんから。


コミュ障経由の凶暴コオロギを作り出す実験


さて、「インターネットコオロギ」という面白い実験があります。

これ何かと言いますと、もう10年以上前のことらしいのですが、金沢工業大学の長尾隆司という教授が行った実験でして、コオロギの集団の中で透明プラスチックのケースで1匹だけを隔離するというもの。隔離されたコオロギからは、他のコオロギを見ることはできても触れることはできません。

そうやって育てたコオロギはどうなるかというと、いざ群れの中に放り込んでみると、とんでもなく凶暴で、他のコオロギを食い殺してしまうのだとか。

長尾先生がこれを「インターネットコオロギ」と名付けたのは、人間関係の多くを「オンライン」が占めてしまっていて、実物の人間と対峙した時にコミュニケーションが取れなくなる現代人への警鐘というニュアンスが込められているのでしょう。

まあ、このネーミングについてはいろいろ言いたいことがある人もいるでしょうが、実験そのものは実に興味深いものがあります。

 

人間も犬もコオロギも同じ?


さてこの実験、冒頭で紹介した私の話と見事に符合しませんか?

この実験が示すことは、大した脳も持たない昆虫ですら、いわゆるコミュニケーション能力の多くの部分が後天的な学習によって培われるということ。だったら、哺乳類、それも相当に社会性の高い犬で同じことをやった場合にどうなるか、何をか言わんやですね。

本来、あるべきコミュニケーションから遠ざけていると、精神的におかしな個体ができあがる。

犬のしつけのできない人は、あまりに自己中心的で、「本来の犬はどうであるか」という視点がないのです。

「私がこれだけ可愛がってるんだから、犬は幸せに決まってる」と。自他境界線が引けていないわけですよ。

 

犬を飼うこと自体、人間のエゴである。

これは私の持論であり、保護以外で犬を飼い始めた時点ですべての飼い主が共有する原罪だと思っています。もちろんそこには私自身も含まれます。

それを前提にして、飼い主にとっては犬がなるべく自然に近い形で、かつ人間社会にフィットさせるという2つの条件を可能な限り満足させるのが至上命題になるはずです。

よその犬を見たらフリーズして通り過ぎるのを待つ。これをもしマナーだと思っているのなら、ある意味その他の虐待よりもタチの悪い最悪のエゴだと言えます。

人間嫌いだから犬を飼う。

あなたの慰めの道具にされる犬の気持ちをちょっとは考えてあげてください。

(くどいようですが、こういう話は常に自戒の念を込めています)

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