先日、この記事を投稿しました。1年以上前に姉妹ブログで書いた記事のリライトで、当ブログでも投稿した気がしていたのですが、気のせいでした。この記事は、私が犬の飼養について語る際、どこに立脚しているかを示す結構大事なポイントなので、再投稿しておこうと。
ってことでまずは補足。
あなたの犬に憑いている亡霊
この記事の内容を少し言い換えると、あなたが1匹の犬を飼っているとして、そこには“7分の1匹分の亡霊”が常に憑いて回っているということです。
知り合いのインスタグラムなんかを見るとですね、
「今日はココアの大好きな横浜へお散歩に来ましたぁ♪」
などとやっているわけですよ(もちろん仮名)。
「ココアのお散歩日記」とご丁寧に自分の犬の名前をハッシュタグにして。
誕生日やクリスマスには犬用のケーキが、大晦日には犬用年越しそば、お正月には犬用おせちが振る舞われ、犬はそれをろくに食べもしません。
「今日はドコドコのお店でセールをやっていたのでたくさん服を買ってきましたぁ♪」と何十着目か分からない犬用の服を購入。
この手の人たちは霊感があまりなくて、7分の1匹の亡霊も見えないんでしょうね。こういう光景を見るたびに、「その余計なケーキ代や洋服代、ペット税に回してもいいよなぁ~」なんて思うわけですよ。
なんせ犬が分かるわけもない「うちの子記念日」とやらでケーキを食っている間、その犬を生み出すためにどこかで名前もつけられないまま二酸化炭素で窒息死させられる犬がいるんですからね。
私はペットショップで働く人を信頼しない
私が言うまでもなく、巷ではペットショップが好きでよく行く人がいる一方で、「ペットショップで働く人ってどういう意識でいるんだろう」と思っている人もたくさんいます。
私は【基本的には】、ペットショップで働く人は、
「知性か人間性のどちらかが大きく欠如している」
と思っています。理屈はちょっと後回しにしましょう。
冒頭で書いた「一連の流れ」とは、
こちらのブログ主さんとのやり取りのことでして、そのブログには人気の記事として、
二度とペットショップで働きたくない理由|わたしが見た実態|犬と笑えば
この記事がトップに上がってきます。
この記事に書かれているのは「ペットショップの実態」で、要するに、
「職員は売上のことしか考えていない」
「売りたくない人にまで売る」
「職員には犬の知識がない」
といったことです。
で、この記事を読んで「へ~、なるほどね~」などと感心してしまう人というのは、うちのようなブログを読んで腹を立てるタイプの人かもしれません。
当たり前の分別のつく人間なら、ここに書いてあることはどれもこれも、ペットショップに就職しなくても分かるはずです。これを読んで「それ何年もペットショップに勤めないと分からなかったのか!?」とツッコめるかどうかに社会常識や最低限の想像力のラインがあると心得て下さい。少々厳しい言い方かもしれませんが。
犬猫を保護する体制がない
ペットショップとは、犬や猫をオークションで調達してきて、そこに粗利+αが出るよう値札を付けて、素性のよく分からない消費者に売る商売をする施設です。
犬猫が商品であること、そして商品でしかないことは当たり前で、犬猫を保護するような(少なくとも実効性のあるような)法律なんてないんですよ。
最近、いくつかの自治体で、保健所がペットショップからの受け入れを拒否できる権利を認める条例が出来たらしいですが、ナンジャソレ!です。拒否された個体は、引受業者の手に渡ることになりますが、まあ酷いことになってます。法律(条例)いじるのそことちゃうやろ!と。
その上、ペットショップは特別な事業という扱いはされておらず、あくまでも一民間企業であり、営利事業体です。犬猫の尊厳より売り上げを優先するのも当たり前で、仮に犬猫の尊厳を大事にしたくても売り上げを上げないとその尊厳は守れないという構造的ジレンマが存在します。
私の知る限り、職員には資格など必要ありません。獣医師免許を持っている者ですら「犬の平熱を知らない」なんてヤツがいるのに、何の資格も持ってない者がどういうレベルの人間かは推して知るべし、でしょう。
また、これも以前に書きましたが、保護犬(猫)の引き取りにはかなり厳格な身元調査みたいなのがあるのに、ペットショップからの購入にはそういう審査がありません。当然、新飼い主の知識など問われるはずもありません。
子供がそのまま大人になったような人がペットショップに…?
以上のことは別に秘密にされている訳でもなんでもなくて、知ろうと思えば誰でも確認できることでしょう。ペットショップに就職して後悔するなんて人は、それすらせずに就職しちゃったということになるわけですよ。
一般の企業に就職しようとする場合、志望先の企業について下調べをし、セミナーや面接で確認できることは確認するはずです。ペットショップに就職しようとする人はしないのでしょうか。
想像するに、
「わたし、わんちゃん大好きー!だからペットショップで働くのー!」
という子供がそのまま大人になってしまったような人たちで溢れているのかもしれません。
だとしたらそれは「知性の欠如」を意味し、そうでないとしたら、(少なくとも私が共有できるような)倫理観がない=「人間性の欠如」という論理的帰結に至る訳です。
だからペットショップの職員は信頼できないのです。
ただ、どちらかと言えば、まだ人間性が欠如している人間の方が信頼できます。知性の欠如した人間は「良い」と思い込んで悪いことに加担しますからね。
大事なことは「解決法の提示」であるはず
ブログ著者である瀧澤かいるーさんは、ペットショップの職歴を「過ち」だと述べておられますが、5年とは結構時間がかかったようですね。5年必要だったことはまあ良いとしても、その後に「ペットショップはこんなにひどいとこ」という誰でも分かるようなレポートだけでは、5年の間にペットショップで犠牲になった犬猫も浮かばれないでしょう。
大事なことは、
「私はこう感じた」
「私はこんな思いをした」
という「私」を主語にした感覚ではなく、「だったらどうしたらいいのか」という解決法のはず。
私が殺処分の実数を分かりやすい数値に変換してみせるのは、ペットショップが「殺処分される犬猫の生産施設」であることを多くの人に知ってもらうためであり、ペット税のことに触れたり「犬猫なんて飼うな」と言ってみたりするのは、それが「解決法」だからです。もっとも、まだまだ詳細は書いていないので、これから書くことになるでしょうが。
「私はこんな思いをした」と言ってみたところで、日本の生体販売の体制は変わりません。
当ブログを取り上げて頂いた際にはアクセス数の桁が変わりました。まあ、元々家族と親戚しか見ていないブログなので、桁が上がったと言っても零細ブログには違いありませんが。取り上げられてアクセス数が飛躍的に伸びるということは、取り上げた方のアクセス数が元々かなりの数字だということで、それはすなわち「影響力の大きさ」です。正しいことを書いていても間違ったことを書いていても、です。
ちなみに、今はブログの再構築に伴いアドレスが変わってしまったため、当ブログは再び「ただの日記」同然に戻ってしまいましたが。
最後に…
さて、このような話は、本来法律や行政運営を変えていくことが必要になるのですが……ってな話をこの後がっつり書いてしまって、「長すぎるし、主題と関係なくなってる!」ということに気付き、削除しました。
ついでながら、私は犬にキラキラネームを付けたり、本名と呼称を別に付けたりする人も信頼しません。
あ、もうひとつ、「私は【基本的には】ペットショップ店員をしようしない」と、わざわざ「基本的には」を付けたのは、ひょっとして私の思いもよらぬ理由や理念で働いている可能性もあるからです。
コメント
あなたのような人が経営するペットショップだったら大歓迎なのになぁ。
販売する個体の価値よりもスタッフの能力が問われるような、
購入後のサポートに価値が見出される社会になればいいと切に願います。
平たく言えば「犬なんかその辺で手に入るけど、飼育コスト(時間orお金)が莫大」と認識された社会。
ありがとうございます。
まさに仰るように、現状、犬猫は普通の商品として扱われるのが根本的な問題ですね。普通の商品であれば、売り手が商品品質を保証しますが、犬猫は買い手がその品質維持(健康管理、幸福の実現)に尽力しなければいけません。しかし、構造上、今それが制度化されていないわけです。
お返事ありがとうございます。
制度化するなら運転免許のような免許制にするのがよいと思います。
飼育開始には免許が必須として、飼育する犬を免許に紐付ける。
定期的な免許更新を義務付け、問題飼育者は免停or取り消し。
完全に問題をなくすことは難しいでしょうが、
一定の無責任な飼い主を排除できるでしょうし、
免許更新とかで税金が集まるなら制度の維持や講習会などの新しい活動も行なわれやすいのかなと。
犬猫のICチップ義務化はそのあたり見越した布石だったりするんですかねぇ