大変お久しぶりに投稿します。
これまで当ブログで書いてきたことは、主として私の身の回りに起きていることをベースにして一般化、つまり犬を飼うということについての倫理だとか理念だとか、あるいはしつけのメソッドとして披露してきたわけです。
で、最近また、非常に分かりやすい形の新しい事例が出てきたので、また紹介しようかと。
犬はキラキラ生活のアクセサリー?
犬種などは明かしませんが、その犬はまだ寿命というのは程遠い年齢で死んでしまいました。その犬の飼い主こそが、ここで散々書いてきた「やってはいけないこと」をやっていた人だったのです。
生活の全ては犬が中心。誕生日は当然のこと、クリスマスもお正月も犬仕様でお祝いし、週末のお出かけは犬が一緒に行けるところでないと行かない。出かけた先でインバウンド価格の(人間用)スイーツを丸ごと与え、家では食後に「犬がほしがるから」と餌を追加する。毎日のようにインスタグラムで犬との「幸せ生活」を報告する。
当ブログの読者なら説明するまでもありませんが、まともな犬の飼い方ではないのですよ。
「犬の気持ちになって思いやること」は「犬を中心に生活を営むこと」ではありません。これをやってしまうと、犬はどんどん神経質になり、人やよその犬を怖がるようになります(幸い、この犬はそうでもありませんでしたが、暗い性格ではありました)。
何より大きな問題は犬を太らせていったことです。当ブログではずっと言っていることですが、犬を肥満にさせるのは虐待です。肥満は心臓を含む内臓疾患の原因であることは人間も共通ですが、特に犬の場合は結石や腎臓病になるリスクが高くなるというのが私の仮説です。また、今だ原因はよく分かっていませんが、犬でよく聞く「胆泥症」も肥満が原因候補のひとつだとも言われています。
「欲しがるから与える」のは虐待
で、その犬は若くしてガンを患ってしまいました。そして発覚後数カ月後に死去。
ガンと言う病気が厄介なのは、それこそ原因が特定しにくいという点です。人間の場合だと、例えば「酒の飲みすぎ⇒肝硬変⇒肝がん」とか「ピロリ菌⇒胃がん」なんかは分かりやすいのですが、その他のガンは、要するに体の酸化(老化)、免疫力の低下がベースにあると思われるので、どういう生活習慣がガンを引き起こしたか、単一の犯人を特定にはなかなか至りません。
この犬のガン罹患だって肥満が原因なのか、あるいはストレスが原因なのか、またあるいは遺伝的なものなのかは分かりません。
しかしこの飼い主は、どこかで後悔しているでしょう。「もし餌の量を適切にしていれば」「もしソフトクリームを与えていなければ」と。もちろんそれをストレートに聞き出すようなことはしません。私は犬が若いうちから、「気を付けた方が良い」とそれとなく注意してきたのみです。
犬を亡くして後悔しないためには
こんな後悔をしたくないので、私は犬を太らせないばかりか、食事を手作りしています。食事の手作りなど大した手間ではないし、何より100%国産で揃えても高級ドッグフードよりはるかに安くつく上に、農薬や添加物の心配は最大でも人間の安全基準で収まります。この手作り総菜+白飯、ドッグフードを与える時でも量は半分、もう半分をこの手作り総菜にします。もちろんその食材は、栄養士の知識など必要ない範囲で栄養を考えています。ほぼ毎日キノコ類を食べている犬も珍しいでしょう。
そのおかげかどうかは分かりませんが、うちの犬は2匹とも平均寿命を過ぎてなお散歩に行く時は走っています。
これだけやってたら後悔がないんですよ。「あの時、ああしていれば」と言うのがなくなります。やるだけのことはやって、それでも病気になるならそれが運命だったのだろうと割り切れます。実際、うちの片方の犬は数年前に腎臓病が発覚したのですが、「そういう体質だったのだろう」と割り切れました。ま、元の体力があったからかどうか知りませんが、今でも元気ですけどね。
「責任」と「趣味」の向かう先
おさらいしておくと、当ブログでは犬の健康を「食事」「運動」「メンタル」と大きく3つの要素に分けて解説してきました。もちろん、人に偉そうに教える立場なので、私の自己評価は3要素ともほぼ満点です。
「どこへ行くのもワンコと一緒♪」なんていうバカな真似はしない代わりに、家族でお出かけして自分が行き帰りの運転をしてヘトヘトになって帰ってきても、たとえ15分であっても犬の散歩は欠かしません。食事だけでなく、カット、シャンプー、爪切りも全て私がやります。
これらは責任感に基づくものであると同時に、趣味でもあります。その責任と趣味の向かう先は共通で「犬が幸せになること」です。「犬が幸せになること」は、「制御し切れないほど溢れる自分の母性をどんな形であれ犬に浴びせかけること」ではありません。
生きたぬいぐるみにされる犬
さて、当該の飼い主は愛犬の余命宣告を聞いて、慌てて動物病院のトイレに入って泣き叫んだと言います。
(そうとは確定していないものの)愛犬の健康を損なうことをやり続けたのが自分が持つ共感性なら、愛犬の余命を知った時に発露するのもまた共感性です。
もちろん、この人に「だから言っただろう」なんてサイコパスなことは言いません。が、ここなら言えます。
あまりにも愚かです。

スイーツを食べさせているところをインスタに上げては、「ココアくん、幸せそう~♪」などとコメントをもらい、太れば「コロコロして可愛い~♪」ともてはやされ、死ねば「辛かったね、でもココアちゃんも〇〇さん(飼い主の名前)も最後まで頑張だったんだよね」と人間サマ本位の勝手なポエムを創って慰められる。
ビジネスのために繁殖され、金で引き取られ、わざわざ引き取られたのに健康を損なう生活を強いられ、死んだらポエムのネタにされる。
私はこういう、人間の「生きたぬいぐるみ」にされる犬を減らすためにこのブログを始めたのです。
「愛情無罪」が生むマイルドな虐待
さて、この話から得られる教訓は結構汎用性が高いものです。ま、以前にも同じことは書いてるんですけどね。それは、
「その愛情表現が、愛情の対象にとって良いものとは限らない」
です。
欲しそうにしているからと余計に食べ物を与えて太らせるのもそう。体温調節の要らない季節にフリフリの服を着せてわざわざ運動しづらくさせるのもそう。犬が寂しがるからと週末のお出かけに連れまわすのもそう。
「だって、愛しているんだから!」
「可愛がるってこういうことでしょ!」
「私が犬のためを思ってやってることが犬を不幸にするわけないでしょ!」
私はこういう飼い主の心理を「愛情無罪」と呼んでいます。
この愛情無罪に支配された飼い主たちが集まって話す内容に、「犬が幸せになる選択肢」が出てくることはあまりありません。主人公は「自分」ですから。その空間で、早死にした愛犬の飼い主に対し私が「だから言っただろ」とでも言えば、そりゃあもう酷いことになるでしょうね。人非人呼ばわりされて二度とその公園には行けなくなるかもしれません。彼ら(主として「彼女ら」なんですけどね)にとって必要なのは「共感」であって、「理性」や「正論」や「解決法」は必要ないのです。
そして彼らは過去を振り返って反省をすることがありません。イコール、反省を活かして次により良い選択肢を用意できるような前向きな姿勢でもありません。【今この瞬間】を本能的に生きているだけです。
大事な愛犬を失って、悲嘆にくれ、ペットロス状態に陥った彼らが次にするのは、「新しい犬を飼う」ことです。
どうでしょうか。言葉でまとめると、ちょっとしたホラーのように感じられませんか?




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