犬に対して「責任を持つ」とはどういうことか
フォロワーさんのツイキャスより。
「責任を持って飼うなら犬をペットショップで買うのも良い」というご意見に異論を。
先にポイントを指摘しておくと、この発言がおかしいのは、本来の主題とは「座標系が変わっている」という点です。
このツイキャス配信の内容は、ペットオークションとボランティアの実情を詳細に説明する貴重な情報です。そしてその趣旨は「社会」を座標系とした犬の扱いについての問題点の抽出、であるはずです。
ところが、引用した「責任を持って飼うなら犬をペットショップで買うのも良い」の「責任を持つ」対象は、「自分の飼い犬」なんです。これが「座標系が違う」ということであり、それとこれとは全く別問題なのですよ。
私がかねてより……と言うよりは、ブログの最も大きな主題としているのは「犬の殺処分」問題です。そして犬の殺処分が発生するのは、犬を商業流通させていることだと指摘しています。ペットショップ経営者や職員、ブリーダーなど、犬でメシを食っている人は必死に詭弁を弄します。「殺処分される個体は雑種ばかりでペットショップは関係がない」などと平気で言うのです。
もちろんそんなワケはありません。仮にそれが本当だとしても、確認されている実数ベースですら血統種も1000頭オーダーで殺処分されているのですよ。
さて、まずこれだけの犬が殺処分されているという現実を問題視するかどうか、です。私は問題視しています。問題視しない人は幸せな人ですね。うちの犬は可愛い。よその犬が殺されようが知ったこっちゃない。羨ましい神経の持ち主です。
犬の商業流通を認めるか否か
ここからは犬の殺処分は問題であり、解決しなければいけないという認識を共有できる人のみとお話しましょう。
フローチャートを作るなら、まずは「犬の飼養自体を禁止するか否か」が来るでしょう。しかし、「一切犬を飼っちゃダメ」というのは(私はそれも良いと思うんですが)現実的ではありません。
次に「生体としての犬の商取引を認めるか否か」が次の分岐になるでしょう。
私はやめてしまえば良いと思っていますが、それには政治決断が必要で、やはりこれも現実的ではありません。
となると、「犬の商取引にどのような規制を設けるか」という話になるはずなのです。
続きは後回しにして、「責任を持って飼うなら犬をペットショップで買うのも良い」という認識は、この規制の話をしない間は「現状肯定」を意味します。
この配信では、「社会の中の犬」が主題だったはずなのに、座標系が「飼い犬と飼い主の関係」に縮小されてしまっているのですよ。
犬を飼う前に一度これ見て
もちろん私には断じて承服しかねる結論です。
とは言え、私は人の消費行動に制限をかけられる立場ではありませんから、それが法律で許されている限り、ペットショップで買おうがブリーダーから買おうが、個人の自由です。
なので、これは【私の要望】に過ぎません。犬を買う前に以下の動画を見てください。可愛い犬の動画ですよ♪
「愛玩」という目的で犬が飼われているはずなのに、需要に見合わなかった個体、「所有者」に見捨てられた個体はこうなります。
食用動物が眉間のスタンガンで痛みを感じることなく屠殺されるのに対し、「愛玩動物」である犬は「ドリームボックス」などと名付けられた窒息室で悪夢に包まれながらもがいて死んでいくことになるのは実に皮肉な話です。これはおそらく、犬が狂犬病対策で捕獲されてきたことと、個体の差が大きく触れると危険が伴うことというのが理由でしょう。
殺処分頭数のピーク時には、この世に7頭の新しい子犬が産まれると、そのうちの1頭がドリームボックス送りになる計算でした。
つまり、公園で7頭の犬とその飼い主が集まって
「またココアちゃんのお洋服買っちゃったんです。もうタンスがパンパン♪」
「犬用のクリスマスケーキって高いですよねー。買ったけど♪」
「うちの子がまた体重増えちゃって……でも可愛い♪」
というどうしようもなく頭の悪い会話を交わしているところを、1頭の犬の亡霊がじっと見ているわけですよ。この亡霊にとって、こういう飼い主たちはさぞ醜悪な生物と映っているでしょう。
この説明を読んでなお「それでもペットショップで犬を飼いたい」と思うのであればドーゾドーゾ。
私の見立てでは、犬の商業流通がなくなればこの悲劇もほぼゼロになるはずで、この状況を容認する事情はどこにも見当たりません。今犬を飼っている私は、犬がいることによって幸福を得ていますが、自分が幸福を得るために別のどこかで知らない犬が望んでもないのに産み落とされ、最期は無機質な寒い部屋で窒息死させられるというのは、極限の悪なのです。
それを「責任を持って」といういかにもポジティブな言葉で装飾して、問題が一歩前進したかのような幻想を作り出すのはいかがなものでしょうか。
ドリームボックス行きだったうちの犬
私が今飼っている犬2匹は雑種犬で、保護団体を経由せず、いわゆる多頭飼育崩壊の家から直接保護した保護犬です。漫画になるような、実に奇妙な巡りあわせでうちに来ることになったのですが、詳しく書くと身バレするので書きません。
うちの犬を引き取った後、その飼い主とは一切の連絡を取っていないので、他の個体たちがどのような運命をたどったのかも知りません。
ただ、よく想像するのはやはり「俺が引き取ってなかったらコイツら今頃……」ですよ。
自分で言うのもなんですが、私に飼われた犬は本当に幸せだと思います。どれだけ見渡しても歴代のうちの犬たちほど他人に撫でられる犬は見当たらないのです。
そんな彼らだって、私と繋がることがなければ、誰に撫でられることもなく、モノ扱いされて見知らぬ犬と一緒にガス室へ。墓を建てられることもなく焼却されて終わり、だったわけです。さっきの殺処分動画に、うちの犬が生々しく合成されて脳内で再生されるんです。
今手元にいる彼らがドリームボックスで死ぬことはまずないでしょう。しかし、私が子供の頃に捨て行かされた野良犬がここで死んだ可能性は十分にあります。
もちろんこんなのは私の個人的な話ですから、皆さんは誰に遠慮することなく、ペットショップでウンメーでも何でも感じて気軽に犬という商品を買ってきてくださいね♪
では解決法は?
さて、あくまで「社会と犬」という座標系で語るなら、犬の商取引を認めるという前提においては今後規制が必要になります。これを語ってこその【解決法】です。
これは別に詰めたわけでもない、「こんな感じはどう」という程度の草案です。
・犬の戸籍(マイナンバー)を作り、血統管理を兼ねる
・ブリーダーには短周期で監査を入れ、妊娠・出産・死亡の管理をする
・ブリーダーとペットショップ従事者には資格を設ける
・犬を飼おうとする人のプライバシー調査を義務付ける
・犬を飼おうとする人のトレーナー講習受講の義務化
・「用なし」の犬を引き取る施設を作る
・これらの費用の財源は全てペット税と「保証金」とする
・国及び自治体には所有する「公園」の総面積に応じてドッグランの設営を義務付ける
一見めっちゃ金のかかりそうなドッグラン設営ですが、これは公園のデッドスペースにフェンスを建てるだけなのでほとんど金はかかりません。
それよりは犬の個体管理や犬にまつわる事業者を管理する組織に金がかかります。これにどのくらいの予算がかかるか分かりませんが、遠慮することはありません。犬を買う人に税金を課せば良いだけ。
まずは犬の小売価格に100%の消費税と固定額30万円の税金をかけます。さらに保証金50万円の支払いを義務付け、「犬の死亡届」提出の際に返還されるとします。
つまり、これまで税抜き20万円で売られていた犬を買うためには120万円が必要で、そのうち50万円が返ってくるということになります。
20万円が売値の平均、年間50万頭の犬が売れるとしたら、管理組織には年間3500億円の真水予算と2500億円の保証金(運用できる金)が入ることになります。これがどのくらいのものか分かりませんが、NHKの年間予算が7000億円程度ってことを考えると、もう少し安くしても良いかもしれません。
まあでも、120万円が高いと感じるのは今の相場の感覚があるからであって、今時120万じゃ軽自動車すら買えませんからね。犬を迎え入れるなら、せめて車買うよりは慎重になって頂きたいものです。
そもそも貧乏人は犬猫を飼うべきではないと思っているので、消費税500%くらいでも良いかもしれませんね。もちろんうちは買えませんし、安くても買いませんが。
逆に保護犬を迎え入れる場合、金銭面の負担は少なくとも初期費用はゼロになります。プライバシー調査とトレーナー資格取得さえすればOK。
私が独裁者なら今すぐこれをやりますが、実際にはここまでできませんし、やるとしても取れる税金の額は1つ桁が下がることになるでしょう。
何かしら解決法を論じない限りは現状肯定
いずれにせよ、我々が「社会の中の犬」に対して責任を負うということは解決法を模索することであり、そのためには叩き台となる草案を出し合うことに他ならないはずです。
まず「我々人間には犬を飼う権利がある」ことを当たり前とするような前提を捨て去り、「不幸な犬をどうすればなくせるか」を前提に「我々が犬の幸せを担保して飼う道筋はあるか」を考えるべきではないかと思うのですよ。
そしてやってはいけないのは、交流の場を作って「我々は話し合い、情報を共有したのだから建設的だ」と思い込んでしまうことです。そこに解決法の足掛かりになるものがなければ、むしろ現状を肯定することになります。具体的な解決法もないところで「責任を持って」などという心地良いフレーズは、汚いものに綺麗なラッピングをして見えなくするのと同じことでしょう。
さて、いま一度考えてみてください。
「責任を持つ」とはどういうことでしょうか。
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