犬の安楽死のすすめ

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老犬は手術の前に考えよう

私の知人夫婦の話。14歳になる犬がガンで亡くなったんですが、ガンが発覚した後に手術をしたんです。そして手術の3日後に死去。

長年の付き合いながら、突っ込んだ話はあまりしたことがないのですが、おそらく子供のいない夫婦なのですよ。

犬が死んだ後、奥さんはうつ状態になり、塞ぎ込むようになりました。元々人と話すことが得意ではなかったこともあって、あまり外にも出ないようになっちゃったんですわ。

つまりは、絵に描いたようなペットロスに陥ってしまったわけです。

というわけで以下、「犬の安楽死」「ペットロス」について。

 

犬の飼い方が間違ってるからペットロスになる

…とは言い難いところもあるんですけどね。

例えば、あのシーザー・ミランでさえ愛犬の死に際して自殺を考えたって言いますから、一概には言い切れないことではあるんですが、それでもやはり、飼い主が持つ犬への意識というのはペットロスに深く関わっていると私は思います。

もう少し詳しく説明しましょう。

 

飼い主には「犬にとって幸せとは何か」を考える義務がある。

このことは過去の投稿でも触れています。犬の誕生日にケーキを買って帰っても、犬をインスタのおかずにしても、犬は別に喜ばない。喜んでいるのはあなただけだ。…てなことです。

さて、考えてみてください。犬が14歳で死ぬというのは、ほぼ平均寿命どおりか犬種によっては長生きの部類で、「天寿を全うした」と言えるわけです。犬が死ぬのは飼い主にとってはもちろん寂しいことですが、悲劇などではないのですよ。


自分が逆の立場ならどうでしょうか。

最近は若年層の貧困と医療技術の進歩のおかげで、生きてるか死んでるか分からないような老人も「死んだら年金が入らなくなるから」と管だらけにして生かしておくなんて話がよくあります。でも、自分が老人になっても管だらけで生かされたいかって言うと、ほとんどの人は嫌だって言うんです。そりゃ地獄ですからね。まあ、勝手なものです。

犬はむやみな延命処置を施されたわけではない?

犬は手術をしたのであって、むやみな延命治療をされたわけではない?

いや、本質は同じだと思います。14歳になってだんだん歩けなくなってきたと言いますから、年齢相応に弱っていたんですよ。体が弱っているということは、手術に耐える体力も少なくなってきているということ。獣医にすれば美味しい仕事です。手術は儲かる上に、老犬であれば「寿命です」と言ってれば良いわけですからね。あ、このケースの獣医がそういう悪徳獣医だったかどうかは知りませんよ。あくまで一般論ではそういうこともあり得るってことです。

うちであれば13歳になった時点から、大病が発覚しても手術や大掛かりな治療はしないと決めていました。内蔵の機能不全やガンは「老化現象」であって、病気と見るべきではないと思っているからです。

もちろん、腎臓の数値が悪いなら塩分とたんぱく質を控えるくらいのことはしますが、14歳でのガンは「死ぬ前のサイン」ですよ。仮にその手術が成功したところで、その後何年生きると飼い主さんは思ったのですかね

大金つぎ込んで、きつい麻酔を打たれて、腹を包丁で割かれて、その3日後に死んだとなっては、そりゃ鬱にもなるでしょう。

 

1日でも長く生きることが幸せとは限らない

あくまで個々の価値観の問題ということになるでしょうが、私にはそんな判断はできないのですよ。

あまりに傲慢、あまりに身勝手と思えるのです。

飼い主がしてやるべきは、苦痛があるなら薬その他の方法で緩和してやり、あとはなるべく傍にいてやることでしょう。苦痛を取る方法がなくなったら、安楽死です。日本では人間向けに今法制化しようと議論が交わされている最中ですが、私がその立場ならそうしてほしいから、犬にもそうしてやりたいわけです。

どんな手段でもとにかく長生きしてほしい、なんて考え方は「自分の近視眼的感覚上の幸せ」を追求しているに過ぎません

犬の幸せとは、落ち着いた飼い主のそばにいること

うちの最長老犬は、13歳になった時点で犬仲間に「もうすぐ死ぬので今のうちに可愛がってやってください」と言いふらしていました。半分冗談、半分本気です。

特に病気を持っているわけではありませんでしたが、歩くスピードは明らかに遅くなってきていましたから、そこから歩けなくなるまではあっという間だろうなと覚悟していましたし、いよいよ寿命って時に慌てふためきたくなかったのです。

これは犬のしつけ論の基本でもあるんですが、犬にとって最大の不幸は、「飼い主が落ち着いていない」ということです。

犬が不安な気持ちのまま最期を迎えさせたいか

「うちの犬がよその犬に吠えかかっている、どうしようどうしよう」
「うちの犬が家じゃない方向に歩いていく、どうしようどうしよう」
「うちの犬が下痢をしている、どうしようどうしよう」
「うちの犬が寿命で死にかけている、どうしようどうしよう」

こんな飼い主に飼われた犬は幸せでしょうか。犬のしつけで相談を受けたら、「まずは貴方が落ち着いてください」と決まり文句のように言うのですが、飼い主が落ち着かないと、犬も落ち着かないのです。ずっと神経がピリピリしている可哀想な犬になってしまうのです。

犬の死に際も同様。人間にとって死が恐怖の対象であるのは、死という現象を認識できてしまうことが原因です。しかし、犬には「体の不具合、不自由」を認識することはできても、死という現象は認識できません。

もし自分が犬なら。

最期に見る風景が、自分が最も信頼している飼い主が慌てふためくところだったり、泣きじゃくってるところだったりするのは嫌なんです。

犬が人間と大きく違うのは、人間の場合は年老いた者から順番に死んでいくのに対し、犬は子供のまま死んでいくということ。飼い主は犬が死ぬまで保護者でいなくてはいけないのです。
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