【犬のしつけ】主従関係とは何か~言葉のイメージに思考が支配される愚かしさ~

犬の散歩 しつけ
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言葉のイメージによって思考が支配される

引き続き、主従関係の話から「人間は言葉のイメージに支配されている」という話を。

「愛」
「教育」

といった言葉のイメージはポジティブでしょうか、ネガティブでしょうか。普通の人はどちらもポジティブな印象を持っているはずなんですよ。

ところが、

愛=執着
教育=洗脳

と言えばどうでしょう。

これは実際私が20年ほど前にネットで議論したことなんですが、「愛=執着」という仏教的価値観を誰かが提示したところ、「愛はそんな汚いものじゃない!」と言う論者がいました。「愛とは何かを育むものであって執着などではない」と。「1日中あの人のことを考えずにはいられない」と言うのは愛であると同時に執着でもあるはずなんですが。

「教育=洗脳」というのも、今でこそホリエモンがそういうタイトルで本を書いていますが、当時は反発する人がいました。教育というのは誰かの主観を排除することなく施せるものではない=すべての教育は洗脳である、というのは当たり前の話なんですが、「教育」という言葉のイメージと「洗脳」という言葉のイメージが正反対であるために理解できない人がいるわけです。

犬との「主従関係」否定派の思考回路とも同様

「主従関係」を否定したがる心理もそれと同じなんです。主従関係と言うと、殿様と家来とか、主人と奴隷とか、ウォーキングデッドにおけるニーガンとそれ以外とか、そんなイメージを持ってしまう人もいるのでしょうが、それは認識があまりに偏狭と言えるでしょう。

別のあるサイトには、
「人間と犬との間に必要なのは主従関係ではなく親子関係だ」
なんてことも書いてあって驚きです。

つまり、この筆者さんによれば、親子関係は主従関係ではないということになります。

食事を与える側と食べる側
おこづかいを与える側ともらう側
保護する側とされる側
物事の道理を教える側と教わる側
勉強しろとやかましく言う側といやいやそれをする側

これのどこが「主従関係ではない」と言うのでしょうか。

こうなるとどこに照準を合わせて話をすればいいかも分からなくなってきますが……
おたくの犬はある日突然インターホンを鳴らして家に来たんでしょうか。
ペットショップから買ったにしろブリーダーから買ったにしろ、基本的には奴隷取引と同じ手法で手に入れているはずです。

対等な友達になぜリードをするのでしょうか?対等な関係なら、犬の方が人間に食事を用意してくれることもあるのでしょうか?家賃を一部負担してくれていますか?

そんなことは答えるべくもないことです。

親が幼い子の手を引くのは、経験や判断力のある親が“主”で、そうでない子が“従”だからです。飼い主が犬にリードをするのも全く同じ、そこには厳然と主従関係があるのです。

我々は言葉を思考や情報伝達のツールとして使うべきであって、言葉の持つイメージに我々の思考が支配されてはいかんのですよ。

「主従関係」を否定したがる人の心理

ではなぜそこまで「主従関係」という言葉に対して否定的になってしまうのでしょうか。

(1)自分自身が子供の頃に理不尽な教育を受けて、あるいは会社などの組織内で理不尽な上下関係を経験して、「主従関係」にネガティブなイメージを持ってしまったから

(2)人間が犬を飼うということの後ろ暗さを少しで解消するため

今思いついたのはこの2つです。

(1)叱られ恐怖症?

人間を観察していると「叱られ恐怖症」とでも呼ぶべき一種の精神疾患のような性格の持ち主が結構いることが分かります。とにかく叱られる・怒られるということに恐怖や嫌悪感を覚えて、その内容などどうでもよくなってしまうという人。

その要因が先天的なものか学習によるものなのかは分かりませんが、とにかくそういう人に対して何かを教える際に「叱る」という方法が相応しくないことは間違いないでしょう。

問題は、じゃあその人が子供や犬をしつける立場になったらどうなるのかというところですね。

(2)皆原罪を負っている

これも当ブログでは何度か書いた覚えがあるのですが、そもそも犬を飼うということはエゴイズムなんです。

使役ならともかく、純然たる趣味として、愛玩対象として、生き物を入手して20年近く束縛するわけですからね。

ましてや、使役のために運動能力を高められた犬種がただの愛玩犬として飼われるなどその時点で虐待だというのが私の主張です。

ついでに言っておきますと、犬を飼うことに厳しい規制を設けるか、高い税金を取って一定区画ごとにドッグランを設置したり、トレーニング検定を実施したりすべき、あるいは犬の飼養そのものを禁止すべきだと、犬を3匹飼っている立場から主張しています。

犬を叱るな
体罰するな
犬の気持ちを考えろ
といった論理を原理主義的なまでに主張する飼い主は、このエゴイズムや原罪から自分だけは逃れられるとでも思っているのではないかと疑います。

今人に飼われている犬は、好きで生まれてきたわけではなく、またほとんどが自然繁殖ではなく、人に飼われる目的で繁殖させられたものです。

人間の趣味のために命をコントロールしているくせに、マズルをコントロールするのは虐待だ!と主張することがどこか大きくバランスを崩していると感じるのは私だけでしょうか。

とにもかくにも対立構造という泥沼に陥るな

あるテーマにおいて対立構造がある場合、往々にして「あちらの極端VSこちらの極端」みたいな頭の悪い話になります。例えばブログ旧館で取り上げたもので言えば「テレビゲームは子供の脳に影響を与えるVS関係ない」みたいなやつね。

なぜこのような対立構造に陥りがちかというと、それが分かりやすい上に、これまた敵味方に分かれて連帯する行為にも対立するという行為にもオキシトシンの分泌という報酬があるからで、いわば麻薬的快感が生じるからです。

「主従関係は必要」派と「主従関係なんて要らない」派の対立構造も然り。

必要派が「犬に先に食事を与えてはいけない」と言えば不必要派は「リーダーウォークすら必要ない」と言い、必要派が「甘噛みを許してはいけない」と言えば不必要派は「仰向け抱っこもマズルを掴むのもやめろ」と言う。

なんだこれは?と馬鹿馬鹿しく思えてなりません。

必要派の主張する、甘噛みを許して犬が凶暴になった例というのは本当にあるのでしょうか?

不必要派の主張する「やりたくもないのに長時間仰向けにさせられて」の「やりたくもない」「長時間」はいつどこで付け足された要素なのでしょうか。

我々愛犬家が考え、語るべきは「犬が人間社会の中で幸せに暮らすための方法論」のはずなんですが、どうもそこを逸脱して各々が「経典」みたいなものを作ろうとしているようにしか見えないんですよ。こんなイデオロギー対決は犬も食わないでしょう。

 

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