犬との「主従関係」について。
人間が犬をしつけし、健全な形で共生するにあたって、「主従関係」を形成することは必須であると一般にはよく言われます。
しかしこの「主従関係」という言葉が独り歩きして、いろいろと勘違いされているところもあります。その勘違いにも立場の違う複数のパターンがあります。
その細かいところは置いときまして、ここで触れたいのは、「犬に主従関係など必要ない!」派の勘違いです。
このサイトは、パックリーダー論を否定する愛犬家の論説です。
パックリーダー論とは、明確なリーダーを設定し、リーダーとして振る舞うことによって犬をしつけるという手法のこと。それに対し、ブログ筆者さんは、「犬は対等な存在で上も下もない」という論理をベースに反対論を展開されています。
では、ひとつひとつ突っ込んでいきましょう。
「イヌはオオカミのネオテニーであり、大人のオオカミを基準とした社会感覚形成は不適当である」
ネオテニーとは、元々の種が本来持っている各器官の機能や性格が未成熟なまま繁殖可能になる状態のこと。早い話、子供のままセックスして子孫を作ることができる状態。
あ、ここからはいちいち断りませんが、要旨を抜粋しています。
これに関しては「極論」としか言いようがありません。ネオテニーだから成体オオカミの性質を持たないというのは「程度問題」であって、それがどの部分にどのくらいの度合いで残っているかは細かな検証が必要です。これが論理として通用するなら「ネオテニーだから」で全ては片付いてしまいます。
「イヌはヒトを同種とみていない」
趣旨はともかくとして、この文言だけは同意見と言って良いかもしれません。
私がよく言うのは、
「犬を家族として迎えるな、自分が犬のボスとして赴任するつもりで犬を飼いなさい」
というものです。
飼い犬がトラブルを起こした時に、「うちの犬はおとなしくて良い子なのになぜ」なんていう飼い主は、犬を“家族”にしてしまっているがゆえに犬のことを理解できていないのです。
「そもそもオオカミは群れを作らない」
L.David mechという学者さんの論文をベースにしているようですが、やや眉唾で読んだ方が良いかもしれません。
まず、「オオカミに天敵はいない」ということはありません。オオカミと生息区域を共有し、オオカミより大型で、オオカミを襲う動物はいるからです。仮に「天敵がいない」が本当だとしても、百獣の王たるライオンが群れを作ることからも、それが群れを作らない根拠にはなり得ないでしょう。
この博士がいつからデータを採っているのかは分かりませんが、オオカミはここ数百年で個体数が激減しているらしく、そうなると群れの単位は小さくなって当然です。何より、家族より大きい単位の群れが野生でも確認されている以上、「群れを作らない」と言うのは根拠がかなり薄弱ではないかと思います。
「何か目的があれば犬は群れを作ることもある」
じゃあやっぱり群れを作るんじゃん。
例えばですね、私が散歩に利用する公園でも犬がたくさん集まるんですが、新顔や特定犬種が公園内に侵入するや耳を塞ぎたくなるほど吠え立てる犬がいます(その飼い主はまともなしつけを施していません)。すると、他の犬たちも共鳴してその声は数倍になります。よそ者の排除とそれへの共鳴って、明らかに群れの行動ですね。誰が教えたわけでもないのに。
ちなみに、うちの犬たちはめちゃくちゃ活発ですが、こういった行動を採りません。バカな犬に交じって共鳴することもありません。そういうしつけをしているからです。
「生活習慣も考え方も、第一種族も違う相手のことなんて、リーダーだなんて思いますか?」
この筆者さんは、同じ口で「犬は家族」と言っています。
だったら、
「生活習慣も考え方も、第一種族も違う相手を家族だなんて思えますか?」
と指摘されたらどう答えるんでしょうかね。
このダブルスタンダードはあちこちに出てきます。
「こんなに可愛い犬がリーダーになろうとしてるだなんて妄想にすぎない」
こんなに可愛い犬でも、よその犬や、ときに人を噛み殺すことがあることをご存知ないのでしょうか。幼稚なポエムに過ぎません。
「人間が支配するより犬がリーダーの方が良い」
もはや何の話をしているのかも分からなくなってきましたが、この手合いにはよくある思想です。
「パックリーダー論が犬への虐待を正当化する」
部分的に同意。全体として反対。
これは個別にすでに別記事に投稿してありますし、してない部分はこれからやります。
が、「仰向け抱っこ」についてのみ、ちょっと触れておきましょう。
ここに書かれている仰向け抱っこの(この筆者が言う)問題点が、この人の思考回路を象徴しています。物凄く単純化しているんですよ。「これは虐待だ」って。
私にとっての仰向け抱っこというのは、どちらかというと【しつけの結果】であって【しつけの手法】ではないんですよね。つまり、犬との関係が健全に形成できていれば、仰向け抱っこは当たり前のようにできるんです。
では、しつけのために仰向け抱っこをしないのかというと、そうでもありません。犬とじゃれ合っている流れでそのまま仰向け抱っこに持っていきます。慣れていない犬の場合、最初は緊張が走るでしょう。弱点を丸見えにされるわけですからね。
で、この筆者さんはその際に「服従させる」という意識があるから「虐待だ」となってしまうのですが、そこが単細胞だと言うのです。
仰向け抱っこは、ある程度「服従心」が形成されますが、と同時に犬は「安心感」を得られるのです。「あ、このままでも良いんだ。気持ち良くなってきた」と犬の意識も変わってきます。
私の仰向け抱っこのやり方は、膝の上で仰向けにさせるなんて生易しいものではなく、両手でそのまま頭よりも高く持ち上げます。特にこのやり方を「生贄」と呼んでいますが、うちの1号犬なんてそのまま寝てしまいますよ。
強い恐怖心を抱いて、仕方なく服従している犬がそのまま寝ますかね?
この他にもいろいろとツッコミどころは満載なのですが、キリがないので一旦まとめに向かいましょう。
そもそも飼いやすい犬種のしつけに成功したところで
この筆者さんが飼っている犬はシェルティーとボーダーコリーの2頭で、これが初めての犬だとのことですが、コリー系の犬なんてほとんどしつけらしいしつけが要らない犬種なんですよね。猟犬ではなく牧羊犬なので闘争本能が低く温厚でめちゃくちゃ頭が良いんです。その頭の良さというのも、人間とのコミュニケーション能力が高いところによく出ているので、飼い主の表情や声を敏感に感じ取ってくれます。
早い話、どんなバカだろうがどんな初心者だろうが、普通に飼ってりゃ「賢い犬」になってくれるのがこれらの犬種なんですよ。もちろん例外もいますけどね。
問題が出るとしたら、あまりに神経質なために極度の怖がりやコミュ障になってしまう個体がちょいちょい出てくる感じでしょうか。
で、コリー系の犬のしつけに成功したからといって、そのやり方を短絡的に一般化したところで、役に立たないどころか、むしろ他の犬種を飼い始めた初心者には誤った情報を教えてしまうことになり、大迷惑です。
その方法で全ての犬種をしつけすることができますか?柴犬は?ジャックラッセルは?バセンジーは?もう頭脳も性格も全然違うんですよ。
なので、犬のしつけ方法については、全犬種に通じる方法とそうでない方法を切り分ける必要があるんです。
飼った時点で虐待になる犬種
これは未投稿の別記事で書いているものですが、ちょっとだけここで触れておきます。
日本の都市環境では飼い始めた時点で虐待になるような犬種がいます。それは、必要運動量が極端に大きい犬種です。コリー系などの牧羊犬、ラブラドール、ジャックラッセルといった犬がそれです。
具体的な話は端折りますが、どこでもリードを外せば苦情が来る昨今、歩いてあるいは車で大型犬用ドッグランに行ける範囲内に住んでいないととてもまともな運動なんてさせられないんですよ。コリー系なんて1日で100km前後走り回る犬種ですよ。健康を維持するための運動量を1/3だとしても30kmは走らせないといけないことになります。ドッグランに行けたとしてもどのくらい滞在できるかも問題になります。
この筆者さんはそういう恵まれた環境に住んでいて、愛犬たちに毎日十分な運動をさせているとしましょう(かなり非現実的ですが)。だとしても「普通の人はこういう犬種を飼うのはやめて」と言うのがモラルだと私は思うんですよ。
「我慢することを覚えさせることが肝要」みたいなことが書かれていたと思うんですが、これらの犬種は先天的に我慢する性質を持っているのであって、どこまでがしつけによるものかというのはなかなか分かりません。そもそもなぜ「友達」に我慢をさせるのかもわかりませんが。
我慢できてしまうから、何も問題がないように見えちゃうんですよ。
坂上忍は犬好きではない?
この筆者さんのブログ内で、「坂上忍は犬を怒鳴りつけて威圧するので本当の犬好きではない。一方、ムツゴロウさんは犬に言い聞かせて理解させている」と、ムツゴロウさんと対比させる形で坂上忍を批判しています。
では、そのムツゴロウさんの犬の触れ合い方を見てみましょう。
※ここ、本当はYouTube動画を貼っていたんですが、削除されてしまいました。内容としては、ムツゴロウさんの場合、遊んでやる時はとことん遊び、然る時はちゃんと迫力を演出して力のある声で「コラッ!」と怒鳴る、というものです。
おや……多分、坂上忍以上の大声で怒鳴っているようですが……。
人間は分かりやすい法則を希求する
この話は当ブログのあちこちに出てくるので、読者さんの中にはすでに飽きておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。
「努力は必ず報われる」
とか
「子を可愛いと思わない親はいない」
と言ったものがこれにあたります。
要するに、シンプルでかつ耳に心地よく響き、あたかも人間の行動原理や人生哲学をよく言い表したという錯覚を与えてくれるようなフレーズのことです。
「犬は友達!」はまさにこれ。
その時感じたことを直ちに言葉にしてしまうから、あちこちで矛盾が起きてしまうんです。
例えば、筆者さんはその「友達」にあろうことかハーネスをはめて歩くそうです。さらにはその「友達」が勝手に走り出そうとしたら自分が止まって首を絞めるそうな。
ここでもう一つの矛盾が出てきましたね。筆者さんはリーダーウォークを「犬を引っ張るだなんて虐待だ!」と声高に訴えていますが、走り出そうとする犬に対して自分が止まっても、それは物理的には全く同じことです。
要するに、「友達」とか「虐待」と言った言葉は、筆者さんにとってその時そう感じただけのことであって、極めて恣意的に使用されているのです。そういった中身のない軽薄なフレーズをもって、「一般法則化できた」とか「私こそ善良なブリーダーである」といった幻覚に浸っているわけです。
有名人では、茂木健一郎やオリラジ中田などがこのタイプですね。今一自身がなくて必死に言葉で装飾しようとする人や、「俺様こそ正義である」という傲慢な人。
まとめ
断っておきますが、この筆者さんの言ってることが頭から尻尾まで間違っているなどとは言いません。
問題は、自分の体験だけを基にそれを単純拡大して世界の全てを語ろうとする行為です。当然そのような行為は情報の質を大きく下げてしまいます。それを信じた未熟な飼い主が新しい【被害犬】を生み出す可能性は非常に高いでしょう。それは何としてでも回避すべきです。
ついでに、自分と違う意見には上から目線というのは単純に不快です。
「それはお前もだ」
と言われそうですが、私は自分と違う意見を叩いているわけではありません。根拠がいい加減な論説を叩いているだけです。
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コメント
根拠がいい加減だと叩く前に、まず叩く対象のブログをよく読まれたらどうですか?
色々突っ込みたいところはありますが、このブログの筆者さまは犬には首輪ではなくハーネスを、と推奨されてますよ。
それにこのあなたのブログの記事も読みましたが、根拠がいい加減なのはお互い様ですよね。失礼ですがブリーダーさまですか?まさに一昔前のブリーダーのブログって感じです。
ご指摘ありがとうございます。
一応修正しておきましたが、主旨はそこではありません。
ご質問については、すでに私に対するイメージが固まっているようですし、特にお答えする必要もないと思います。
記事読みました。
色々ツッコミどころはあるけど一言で言うなら、コソコソ批判してねーで直接もの申せよゴラ!!です。
まあ瀧沢かいるーさんはあなたみたいなの相手にしないでしょうけど。
え?w瀧沢さんってブリーダーなの?ww
初めて聞いたんだけどwww
人のブログ記事批判するならきちんと読み込んでからにしろよカス。
目悪いの?
あ、悪いのは目じゃなくて頭か。
ご指摘ありがとうございます。
確かに「ブリーダー」と書いてしまっていますね。お詫びして修正しておきます。
家族とは思わないかもね。
でも友達だとは思うかな。
そう言う自分はどうなの?
考え方も生活習慣も、種族も違う相手と主従関係しか築けないなんてかわいそうだね。
瀧沢さんに感情的すぎと注意されました。
確かに感情的にコメントしてしまいましたね。
すみませんでした。
私の犬は毎回散歩ルートを変えているため割とどこの公園でもよそ者です。なので割といつも集団の犬に大声で吠えられてしまい、近所迷惑の心配を吠えられている側の私がしています。私の犬は特に私から教えたことはないのですが、一緒になって吠えないです。というより、家でも外でもほぼ吠えません。
飼い犬はフレブル なのですが、レスリング好きな犬なので、うちの犬はひっくり返したりするとむしろ喜びます。犬を落ち着かせたいときはレスリングの時のように床に押さえつけますが、リラックスして寝てしまうこともあります。犬を傷つけたりは一切していないのですが、見た目は良くないので側から見たら虐待に見えてしまうかもしれません。
自分が知らない事も沢山あるので、イメージにとらわれず、一匹一匹犬によって色々なやり方があるんだろうなと思うようにしています。