老人は犬を飼ってはいけない

老人と犬 社会

以前に、

「女性と老人は犬のボスになれない」という記事を書いたのですが、主として女性にばかり焦点を当てていて、老人の方にはあまり触れていませんでした。

 

さて、高齢者が犬を飼うことにどのような問題があるのか、詳しく書いていきたいと思います。

 

スポンサーリンク

散歩ができない

うちの近所でもお年寄りが犬を散歩する風景はよく目にします。

しかし、その様子を見る度犬が可哀想になります。

歩く速度が遅すぎる

飼い主(散歩主?)であるお年寄りは歩くのが遅く、犬はその速度に合わせざるを得ません。あの速度で1時間歩いたところで、どれほどの運動量になるんでしょうか。

リーダーウォークなんてできるわけがない

リーダーウォークの重要性は度々主張していますが、リーダーウォークにおいて歩く速さは非常に重要な要素です。速ければ良いというわけではありませんが、ある程度速く歩けるという能力は必要なのです。

基本的なリードの使い方もわかってない

お年寄りと言えば、自分自身の安全の確保すらままなりません。例えば、自転車に乗っても動線が定まらずフラフラしがちですし、歩いている時もろくに後ろを確認しないまま曲がったりするのがお年寄りです。

犬の散歩において気になるのは、どこでもリードを伸ばしっぱなしということ。後ろから車が接近していることに気付いているのか気付いていないのか分かりませんが、飼い主本人は道の端にいても肝心の犬が道路の中央に寄っていて非常に迷惑かつ危険なのです。

 

食事のケアができない

ちょっと前になんかの記事で書きましたが、これも非常に多いケースで、人間は齢を取るにつれ共感力が強力になる反面、理性的な判断力が衰えていきます。犬が欲しそうな顔をしていたらどんどん食べ物を与えてしまいますし、その中に禁忌食材が含まれる可能性だってあるわけです。私は身を持って知っています。

 

その他の健康のケアだってできない

そうなると、ブラッシング、シャンプー、爪切りは?なんてことまで気になります。ブラッシングはできたとしてもシャンプー、爪切りは?美容院があるから安心?では健康上の異変に気付けるでしょうか。

 

基本的に「弱い人」が犬を飼うのはNG

基本中の基本として、「弱い存在」が犬を飼うのはダメなことなんです。

例えばですね、私の身近に高齢の女性が(寄りに寄って)柴犬の多頭飼いをしていたのですよ。そのおばあちゃんは独居ではなく、飼い主は家族の別の人ではありましたが、散歩にはよく来てました。飼い主がまともなしつけをしていないのも分かっていたのですが、さらに悪いことに、トボトボとしか歩けないおばあちゃんに扱いにくい柴犬を、しかも複数同時に散歩させるというのは全くダメでして、おばあちゃんは疲れてベンチに座ってしまうのですよ。それが2~3分の休憩ならまだ良いんですが、散歩の時間の大半を座って過してしまうのです。

散歩中、犬を一か所に長時間とどめておくというのは、年齢に関わらずNG行為のひとつです。犬はその場所を「それ以上逃げられない自分の城」と思い込むようになり、近づく別の人間や犬に対して威嚇するようになるというケースが多々あります。

ましてやお年寄りがそれをやると、散歩主の弱さをいたずらに過剰演出してしまうことになるのです。

具体的にどんなトラブルがあったかと言うと、犬を連れて前を歩いて通ろうとするだけで、その犬達の1匹が襲い掛かかり噛み付くのです。うちも被害者の一人。

 

このような酷いケースでないにしても、お年寄りに飼われているがゆえに犬がむやみに不安症になり、慢性的な吠え癖になってしまっているケースは非常に多いんです。

飼い主と犬の関係は「人間が犬を守る」という構図でなくてはならず、「人間が犬に守ってもらう」になってしまってはいけないのです。

 

神経症のフェネックの話

むかーし昔、宝塚市に「宝塚ファミリーランド」というちゃんとした遊園地とちゃんとした動物園の複合施設がありました。阪神間に住むファミリーにとって、「阪神パーク」と「宝塚ファミリーランド」は、ともに1粒で2度美味しい、そして気軽に行ける非常に重宝された娯楽施設でした。今はどちらもなくなりましたが…。

そのファミリーランドにあった夜行性動物区域の中で「フェネック」という動物がいました。耳の大きなキツネみたいな哺乳類で、実に可愛らしい。子供の頃ではなかったけど、若かった私はフェネックのケージからなかなか離れられませんでした。というのも、そのフェネックはケージの端から端を綺麗なテンポで行ったり来たりを繰り返すのです。寸分狂わぬ周期でいつまでも往復を続けるもので、「いったいいつになったら止まるんだろうか」と根気比べをしたのですが、こちらの負け。結局フェネックが止まるところを見ることができないまま、ケージを後にしました。

後にその行動の正体が分かります。ケージの中を行ったり来たりをいつまでも繰り返すその行動は「ストレス行動」だったわけです。フェネックは一種の神経症になっていたわけですよ。

そんなことも知らずに動物園から帰ってきた子供たちは「動物可愛かった」とか何とか言っちゃうわけで、私もその一人だったわけです。

 

犬は高齢者の活力源になる?

さて、私の「年寄りは犬なんて飼うな」という主張に対し、異論を頂きました。

「犬が高齢者の生きる活力になる」

と。

そりゃなるでしょうとも。犬の散歩は老人に歩く習慣をつけさせますし、「この子のために」と気力が湧いてくるでしょう。

で、そのために神経症の犬を作り出して良いのか?と言うと、私は断じて否!の立場です。

 

子供の頃から犬を飼い続けてきた私自身、犬の癒しの力はよーーく存じ上げています。しかし、だからといって一方的な人間の都合で、犬の幸せを犠牲にして良いのか?という話です。

私はまだ犬を飼える程度には若いので、私の犬の関係は「Win-Win」だと自負していますが、今後犬を飼うつもりはありません。犬は大好きだけど、もし今犬を飼い始めたら、その犬が寿命を迎える前に私が年寄りになってしまうからです。

もし飼い主が先に死んでしまったら?運よくすぐ発見してもらえる保証はありますか?

この記事でも触れていますが、お年寄りが犬を飼いたいという動機は、独居の方が高くなります。しかし、独居の老人となるとますます犬を飼ってはいけないのです。

「独りで淋しい」とか「生きる気力になる」とか、犬にとっちゃそんなもん知ったこっちゃないのですよ。そういう人間側の問題は人間で解決すべきでしょう。

私だって子供たちが自立して万一妻に先立たれたら、老人性のうつ病になって早々に自殺や衰弱死してしまうかもしれませんが、それは私自身が負うべき責任であって「淋しいから」と犬を飼うようなマネは倫理に反する行為だと認識しています。

それともこちらが「可愛い」とさえ思えば、動物園のフェネックだって幸せであることにしてしまいますか?それって犬にロールプレイを押し付けているってことであり、「愛情無罪」の考え方じゃありませんか?

 

もちろん、アニマルテラピーは個人であろうが業者であろうがどんどんやれば良いでしょう。私だっていつか独居老人になったら、用事もないのに公園に出向いて犬を触らせてもらうようになるかもしれません。

にほんブログ村 犬ブログ 犬 しつけ・訓練へ
にほんブログ村

【姉妹ブログ】

知の小人ブログロゴlarge

本館。政治、経済、ジェンダー、教育、育児などについて。

知の小人ブログエンタメ館ロgolarge

ゲーム、映画、テレビ、お笑い、マンガなど。

社会
小ライスをフォローすると運気が上がるかもよ!

コメント

タイトルとURLをコピーしました