死んだペットは「ゴミ」なのか?

社会
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犬猫の遺体は「ゴミ」なのか?

ある自治体において、ペットの遺体のゴミ処理に任せた際の扱い方が酷いというご意見がありました。

すなわち、
自治体指定のゴミ袋に入れた上で「ごみ処理券」を指定枚数貼って、環境衛生職員に手渡しすべし
とされていることについて、「家族同然のペットをゴミ扱いするとはどういうことか」というご意見です。

わざわざ断り書きすることでもありませんが、私は犬を含めてかなりの動物愛好家だと自分で思っております。それを前提として。まずは俺ツイート。

 

モヤモヤ案件。これって酷いことをしているのだろうか…。行政は選択肢を用意しているだけで、どう扱うかは飼い主次第なのでは。

死んだペットに尊厳を見出すのは基本的に飼い主家族。ゴミ扱いされたくないというのであれば、そもそも行政の衛生事業って時点でゴミになっちゃうわけだからね。嫌なら民間のペット葬儀屋に頼むべきかと。

確かに自治体指定のゴミ袋に粗大ゴミ用シールというのは画的にキツいものがあるけど、受け渡し方法はともかく、その後どう処理されるかって言うとどの自治体も基本的に同じなのよね。

「合同火葬」と呼ぶか「焼却処分」と呼ぶかは人間の勝手ってとこありますわな。「合同火葬」と言っても自治体に任せる限り骨すら返してもらえないわけで。

 

愛犬は自分にとっては家族でも…

自分のペットは家族であり、その命には尊厳があります。

しかし、その尊厳は飼い主家族が主観的に持つものであって、「愛犬の遺体」は客観的に見れば「獣の死骸」なんですよ。もちろん、一般的にはそれを「ただのゴミ」と思う人は少ないでしょうが、仮にそう思う人がいても「私と同じように、この遺体に尊厳を認め、死んだことを悲しみ、悼みなさい」なんて傲慢なことを私は言えません。職員さんだって一件一件共感してたら頭がおかしくなるでしょう。

 

ゴミ収集の職員はプロの仕事をしているだけでは

自治体の環境衛生事業の目的は文字通り「人間が居住する環境の衛生の保全」であり、「ペットの葬儀屋」ではありません。彼らがプロとしてやるべきは「衛生的にその“ゴミ”を処理する」ことなのです。

ペットの遺体を丁重に扱うというのは「やってくれたら嬉しい」というあくまでオプション的なサービスであって、「やらなければいけない」ことではないのですよ。

 

ペットの葬儀屋は高くて使えない?

今、おそらく最も安価に、「それっぽい形で」ペットの遺体処理をしてくれるのが、訪問火葬サービスでしょう。焼却装置付きの車で家まで来てくれて、目の前で火葬してくれて、骨上げさせてくれて、骨壺に入れて返骨までしてくれます。小型犬なら2万円程度の料金です。

うちでは飼ってた犬も猫もこのサービスを利用しました。

2万円ですよ。

一生に一度しかない重大なイベントに2万円の金が拠出できないようなギリギリの経済レベルの人が、自分以外の何かにどうやって責任が負えるのでしょうか。エサは?予防接種は?怪我したらどうしてたの?

かねてから申し上げているように、貧乏人が犬猫を飼うなんてことをしちゃいけないのですよ。

例外的に、どうしても引き取り手の見つからなかった保護個体を飼っていたというケースもあるでしょうが、そういうケースも考えて、私はペット税の導入を提案し続けています。

 

子供の教育上の問題

学校では命の尊さを教えるのに、行政では犬猫の遺体を「ゴミ」として扱うのか

という疑問についてですが、では我々人間が動物の肉を食べることについて道徳的な問題は生じないでしょうか。

生きていくために動物の命を頂く?

いえ、動物を食べなくても人間は生きて行けます。なので実際にベジタリアンやヴィーガンと言った人たちがいるわけです。

植物だけでは栄養が足りない?

この保健理論にはいろいろな主張があるでしょうが、仮に肉を食べることで栄養が補完されるとしても、動物の命を犠牲にしてまで健康を追求することが「善」でしょうか。

そもそも、街中に普通にある焼き肉やしゃぶしゃぶの食べ放題の店を見る度、心が痛んだりしないのでしょうか。

望みもしないのに生み出され、名前を付けられることもなく、振り返ることすらできな狭いクレートの上で無理やり成長させられ、良きタイミングで電気ショックで殺され、「生きる」ためではなく「娯楽」のために人間に食われる。

これ、子供にどうやって説明しましょうか。

道徳なんてものは追求し始めるとどこかに大きな矛盾があるんです。多くの人はそれを知っているはずです。でもそれを深く考えていくとノイローゼになります。結果、程よいところで身勝手に「これが道徳」と言うのを作っているだけなのですよ。

逆に、愛するペットがゴミ袋に入れられて処分される様だって教材になることもあると思います。

 

どうすれば納得できる?

さて、当該自治体のこの対応の仕方を問題視する人は、どうすれば納得できるのでしょうか?

「ごみ処理券」ではなく現金で支払いすべきということ?

しかし、私の知る限り、犬猫の遺体をゴミ扱いしない自治体などないはずなんですよ。どこの自治体だろうが犬猫の遺体処理は衛生事業部であって、戸籍管理の窓口などではありません。なぜなら人間ではないからです。そこに「ごみ処理券」を使うかどうかなんて、本当に、どーーでもいい、上っ面の問題だと思います。

あるいは、遺体を箱に入れるかどうかが問題なのでしょうか。

多分ですが、箱に入れてもそのまま引き取ってくれますよ。段ボール箱ならそのまま綺麗に燃えますし、出す必要があるなら直前でやってくれるでしょう。

どっちにしろ、電話で依頼しないといけないのだから、その電話で聞けば済む話ですよね?

 

そもそもよその犬猫の死体に触れたい人などいない

もう一度言いますが、その動物の死体に特別な価値を見出すのは、基本的には飼い主家族だけです。

私は動物が好きですが、犬猫の死体に特別な感情を覚えるのは、最低限、生前にその個体と触れ合ったことがあることが前提になるでしょう。

会ったこともない犬猫の死体など、率直に言えば「気味の悪い」存在なのです。

古来より、日本人はそういう気味の悪い存在を穢れとして遠ざけてきて、結果、いわれのない差別も生み出してきました。

本当は自分で処理しないといけないのに、できないから、本来その筋合いにない行政にお願いするわけですよね。

 

価値観を押し付けてはいけない

例えば、犬猫の遺体用に紙製の棺桶を行政が用意してくれて、引き取りの際は職員さんが手を合わせてくれる……なんてことは、「やってくれたらありがたい」ことではありますし、要望を出しても良いと思いますよ。私も個人的に歓迎します。でも、道理として、その要望に応じる【義務】は行政側にはないのです。

私は犬が好きですが、このブログで主張し続けていることは「犬なんか飼うな」です。金持ちだろうが貧乏人だろうが、です。

例えば、ヨタヨタとしか歩けない老犬をノーリードで歩かせていても「マナー違反だ」と文句を言ってくる人がいます。じゃあドッグランを作ってくれと自治体に要望を入れると「特定の人のみを利するような対応はしない」と突っぱねられます。

ここで多くの人は「マナーを守って」犬を飼おうとするのでしょうが、私の場合、それでは犬に対して責任を負えないと考えます。犬には、人間の想像を絶するほどの運動能力と運動欲求があって、日常のどこかでフリーで運動できる環境が必要だからです。

それができないので、「マナーを守り」「犬に対して責任を負える」この2つの条件を満たす行動として「犬を飼うべからず」という結論に至っています。早い話、現代日本の社会的コンセンサスを前提にすると、少なくとも都会では、法やルールを守ると倫理的に犬を飼うことができないのです。

この社会の不寛容さには反吐が出そうになりますが、確かに犬猫なんて生活に必要なものではありませんから、反論のしようもありません。

ましてや、遺体に「ごみ処理券を貼られるかどうか」ってのはね……本当、どうでもいいことですね。

 

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