犬に喋らせればいろいろと楽
ブログ村の犬のしつけカテゴリにずっとトップに君臨するあるブログ。
あまり良い予感がしなくて一度も覗いたことがなかったのですが、ツイッターで何かのキーワードで検索した時にたまたまブログ主さんのアカウントが引っかかってプロフィールを見てしまったんですよね。そのまま引用します。
アニマルライツを尊重した犬猫その他動物への接し方の普及。 ヴィーガンでヨーロッパ思想史の研究者、自閉症スペクトラム症診断済み、ノンバイナリー、アセクシャル。 天皇制も軍隊もいらない。
これはなかなかすごいですよ。
私のツイッターアカウントは、エンタメ系以外を全部こっちで書くことにしてるんで、そりゃいろいろ書くんですよ。政治・経済・教育・科学・犬と何でも来いです。
でもこの人のアカウント、どう見ても犬専門なんですよ。
「天皇制も軍隊もいらない」←これ要る!?
で、さすがに気になってブログも初めて拝見したんですが、まあ予想通りです。
こういう人達は犬を擬人化して会話(交渉・提案)したがります。
自分が飼っている犬が幸せだということを証明するためには、「犬が自分で幸せだと言った」ことにしてしまえば良いので、こうやって「会話」するのが最も楽なんですよ。だって犬自身が言ってるんだから!と。
具体的なしつけ方法に問題があるかというと、多分さほどはないと思います。いや、数件しか読んでないので何とも言えませんね。
犬の背中から漂う哀愁
この手の“愛犬家”を見てよく思うのは、「犬の背中にいろんなものを載せられている」という哀愁です。
例えばね、
この記事では、イタい飼い主が投稿するインスタの典型例を挙げてるんですが、
「グラム1500円の黒毛和牛を堪能してご満悦のココア♪」
「ココアがだーい好きな〇〇公園♪」
「ココア、500グラム大きくなったけど、皆からコロコロしてて可愛いと評判♪」
このような表現は、本来自分が主語である感覚を、犬が言った、あるいは思ったと無理やり書き換えているわけですよ。
あるいは、休日となると、とにかく犬を連れてでないと出かけない飼い主とか。
「いろんなお店が出てて楽しかったね♪」
って、お前本当に犬の気持ちわかってんのか?と。見知らぬ土地の人混みって、犬にとっちゃ物凄いストレスだとわからんのか?と。「楽しい」のはお前だけじゃないか、と。
いろんな衣装を着せ、いろんな高価な食事を与え、いろんなところに連れて行く。
中にはインスタの「いいね」がほしいだけでやってる人もいるんだろうけど、大体は本気でやってるんですよ。それが犬の幸せだと信じて疑わずに、犬が嫌がることをやってるんです。
犬と政治思想は切り分けた方が良い
んでね、犬専門のアカウントに「天皇制ガー軍隊ガー」なんて書いちゃう人も、ベクトルは多少違うけど、やってることは基本的には同じなんですよ。
犬が口がきけないことを良いことに、自分の思想を犬の背中に載せてしまってるんです。
そんなことを書きたいならせめて別アカウントでやりゃいいのに、わざわざ犬ブログのアカウントにそれを書いてしまうということは、その人の頭の中で天皇制や軍隊の話が犬とリンクしてるってことなんです。
物凄く大雑把に極論してしまうと、
「天皇制や軍隊に反対している私が飼っている犬は幸せそうだ。つまり、天皇制や軍隊の存在が間違っているということを犬が証明しているのだ」
と言いたいわけですよ。
犬のしつけについてアグレッシブにSNS発信する人と、サヨク思想というのは、どういうわけか抜群に相性が良いのです。(犬と相性が良いわけではありません)
「サヨク」とカタカナで書いているのは「左翼」ではないからです。詳細を説明するとかなりの文章量になるので割愛しますが、簡単に言えば、「軍隊」「戦争」と言ったキーワードに無条件に嫌悪感を感じて肝心の国防を語ろうしない人達、人間社会の縦の関係が受け入れられず、安倍さんが何か言うと「上から目線!」と批判する人達みたいな存在が「サヨク」です。これらは決して「左翼」ではないのです。
ちなみに私は自称左翼です。
犬の主たる飼い主は男より女が多い。
女はサヨクが多い。
だから犬についてアグレッシブに発信する人にはサヨクが多い、ということになるかと思います。
犬を腹話術の人形にするな
さて、過去に幾度となく俎上に載せてきたこのブログ。
このブログ主さんも縦の関係を毛嫌いして、アンチパックリーダー論を展開する一人です。
まあ、そりゃいいですわ。それよりタイトル画像。
犬に噴き出しつけてセリフを言わせるという手法を多用しています。ポップな戯れのつもりでやっているんでしょうが、そうだとしても、犬が喋れないのを良いことに汚い言葉を「犬に吐かせる」という行為には心の底から胸糞悪くなります。
人間は自分は絶対に正しいと思い込んだ時に最も残酷な事をする
と言ったのは歴史小説家の司馬遼太郎ですが、これって「正しいから」そうするのではなくて、「己が正しいということを補完するため」に自分と意見の対立するものを罵倒するんだと思います。まあ、口が汚いのは私も人のことを言えませんが、問題はその理論構築にあります。理論が幼稚で不完全なものだから、アンチを罵倒することで正当化できたように思い込むわけですよ。そしてそれを犬にやらせる。
…って書いてると、またアレコレ書きたくなってきたので主従関係についてはこの辺にします。
本当の意味で犬をフリーにしてあげようよ
ということでまとめると、本当の意味で犬をフリーにしよう!ということ。
ドアによって外出を制限し、家から出たらリードを装着し、食事は飼い主が用意し、病院にも飼い主が連れて行く。何よりその犬はペットショップで【金で】買ってきたもの。そこには厳然たる主従関係があるはずなんだけど、それでも「主従関係なんかクソ食らえ」。
行きたくもないところに連れて行かれ、着たくもない服を着せられ、食べたくもないバースデーケーキを食わされ「ほら、幸せそうでしょ♪」。
犬にはヴィーガン食。なぜなら私がヴィーガンだから。
どれもこれも、主人公は自分。
こういう人達が本当に犬の幸せを考えているのか?って言うと、甚だ疑問に思う訳ですよ。
いやいや、あなたの個人的な思想とか狭くて短い範囲の経験とか、そういうのを犬に載っけてやるなよと。あなたが「上下関係」で嫌な経験をしたことがあったからって犬には関係ないでしょ。高級和牛はあなたが汗流して働いた金で買ったから【あなたにとって】値打ちがあるだけじゃないですか。犬には天皇も軍隊も理解できないし、犬のしつけ論と共産党礼賛のツイートを並べることに意味ってあるんですか?
犬にとって大事なことは、飼い主が犬の習性を理解するということ。スタンダードなしつけ論が「あなたの思想とフィットしないから」と言ってそれを書き換える権利などないのです。
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