ムツゴロウさんを知らない世代とヒダリ巻きしつけ論

ムツゴロウさん2 その他
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ムツゴロウさんを知らない世代の犬のしつけ論

ここでも時々「ムツゴロウさん」というキーワードを使いますし、「ムツゴロウさん=動物のことならなんでも知ってる動物大好きおじさん」という等式は国民が共有する常識でもあるでしょう。

しかしですね、最近ケーブルテレビで昔のムツゴロウさんの番組観てて思ったんですけど、もう30代前半以下だと、少なくともリアルタイムで番組は観てないはずなんですよね。再放送の頻度も少なかったし。私の世代だと家族で観てたんですよ。このせいで犬のしつけ論について世代間で認識が大きく違ってるんではないかと思うわけです。

犬になりきるムツゴロウさん

そのムツゴロウさんの犬の触れ合い方と言えば、最近の「お行儀の良い」しつけ論の真逆を行くもので、自分が地べたに這いつくばって、犬に襲い掛かったかと思ったら、今度は襲い掛かってくる犬を避けもせず受け止める。顔をベロベロ舐められたかと思ったら、今度は犬がウザがるほどに舐め返す。写真の犬(ボス)だって袖がボロボロになるほど噛んでますが、ムツゴロウさんはそれを叱ろうともしません。

ムツゴロウさん2

私はこの光景を強く意識したことはないのですが、私の犬の「しつけ論」もこれでして、「舐めたいなら舐めさせろ、噛みたいなら噛ませろ、そして舐め返し、噛み返せば良い」なんですよね。意識はしなかったものの、子供の頃から見ていたムツゴロウさんの振る舞い方が染みついているのかもしれません。ちなみに私も「犬に咬ませる用のパーカー」を常に持っています。

 

お行儀のよいしつけ手法は人間の上から目線

最近のしつけ論は、いかにもお行儀の良いやり方なのですが、これってどこまでも人間の上から目線なんですよね。人間の目から見て「美しい」から、「お行儀が良い」から無理やりそうさせてる、私に言わせれば「抑えつけしつけ論」なんですよ。犬の本能や楽しいという感覚を持てないから、「甘噛みさせるな」なんてことを軽々しく言えるわけです。

 

アンチパックリーダー論はサヨク?

何を突然!と思われるかもしれませんが、こう考えるとピタっと符合するんですよ。

戦後の日本は所謂「戦後民主主義」によって急速に左傾化してきました。左に傾くこと自体は悪くありません。社会が成熟すれば左に舵が切られるのは、私から見ても正しいことです。ただ、中にはハンドルが壊れる程に左に曲がりたい人もいるのが問題でして。

例えばね、『踊る大捜査線』だったかあるいはそのスピンオフの『真下正義』だったか失念しましたが、「リーダー不在の犯罪者グループ」ってのが出てくるんですよね。これって明らかに縦のつながりを嫌う現代の若者の価値観を象徴したものです。若者がどんどん左に傾いて行ってることが分かります。

 

先人を嫌うレフティーたち

戦後の日本人は年を追うごとに「人間は皆平等であり、対等だ」という価値観を強く持つようになり、最近では上司が部下を叱ればパワハラ、なんとプロ野球でもコーチがきつく叱ると選手が逆に言うことを聞かなくなるからと気を遣っているんだとか。

左に寄った人たち(面倒くさいので、以下「レフティー」)は、先人を嫌います。なぜなら「対等」だから。

「自分たちには尊厳があり、誰かに叱られる所以などない」
「嫌だと思うことを拒否する権利がある」
「私たちは世界にひとつだけの花だ」

そういう思想を持ってるんです。

そういう人達にとって、縦の序列をベースとした「パックリーダー論」が受け入れられるはずがありません。「人間にも犬にも上下関係なんてない!」とこう言いたいわけですよ。「主従関係ですって!?人間と犬は殿様と家来みたいな関係じゃない!」と一気に飛躍してパックリーダー論を否定するのですよ。

ところが面白いことに、実際の共産主義国家と言えば、極めて強固かつカリスマ的なリーダーがいてそのリーダーに従順に従ってるんですよね。そして共産主義と言えばリンチ(私刑)・暴力が付き物であることはよく知られた話。とにかく異分子を発見したらカリスマ的リーダーのひと声で取り囲んで殴る蹴るの暴行、家族をダシにした脅迫、なんでもありです。

おやおや…そういえばどこかでそんな光景を見たことが……。

ブログコメント

↑ちなみに全部同じIPアドレスからのコメントです。同じペットショップの店員さんなんでしょうね。

私はあまりこういうことで腹を立てるタイプではなく、研究対象にします。社会学的観点から人間はなぜこういう振る舞いをするのかと考えるんですよ。…てなこと言い出したらまた別の話になるので、この記事での中核部分を申し上げるなら、人間ってなかなか空間的にも時間的にも自分を俯瞰で見ることができないものなのよってことです。

 

レフティーの近視眼的世界観

「今の」そして「自分の周辺」だけを見て、それが世界の全てであるかのように、あるいはそこに正しさが集中しているように思い込む。自分が信じる対象が侵された途端、その犯した相手は絶対悪となり、どのような攻撃も赦されるという思考回路は、理性の観点から言えば恐怖であり、カルト宗教と何ら変わりません。

そしてレフティーたちは歴史が嫌いで、やや乱暴な言い方を承知で言うなら、過去=悪という考え方を持っています。

だから政治でも保守を嫌うし、アンチパックリーダー論者はパックリーダー論を「古い」と言って批判するのです。「古い」と言えば批判できたことになるのは、彼らの意識の中で「古い=悪い」が成立してしまっているからです。イヌがオオカミから分化してからでも最低1万年以上の歴史があるのに、たかだか10年20年の“新しい”や“古い”で論じられたら犬も迷惑ってものでしょう。犬にとって必要なことは、新しいか古いかではなく、正しいか否かであるはずです。

 

犬は感情ではなく理性で接するべし

さて、より根本的な結論へ。
自分の感覚を押し付ける人、理性の利かない人は動物を飼うべきではない。
言いたいのはこれです。

「犬を引っ張るなんて可哀想」
「食べたがってるのに食事を与えないなんて可哀想」
「去勢手術なんて可哀想」(←本当はこれを書こうと思ってた)

ソフトクリームを与えて、良い服を着せて、車で連れまわして「ほら、うちのココアちゃんがこんなに喜んでる♪」

どこまでも人間の感覚でしかないのですよ。

私がムツゴロウさんやシーザー・ミランを尊敬するのは、感覚として犬(動物)を知っており、確立した理論を実践しており、それをメディアで公開しているからです。彼らが接してきた犬(動物)の個体数は数えきれないほどで、それは即ち実績です。そんな彼らの言葉には重みがあります。自分が信じたいものを飾るための言葉ではなく、ですよ。

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コメント

  1. aiueo より:

    いくつか記事読みました。

    ムツゴロウさんは、シーザー・ミランに否定的です。https://ameblo.jp/mutsugoroanimalkingdom/entry-10838004177.html

    狩猟採集民族は上下関係をほとんど構築しません。
    https://www.n-acp.com/archives/4381

    どうでしょうか?

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