ゲーム好きな人ってすぐ怒るの?

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ゲーム好きな人ってすぐ怒るの?

2ちゃんねるのゲハ(ゲーム業界・ハードウェア)板では、任天堂vsソニー各々の信者による宗教戦争が長年続けられております。

私の見たところ、彼らは大方“マジ”で参加されているご様子。

思いつく屁理屈と悪罵のボキャブラリーを限界まで使って、とにかく敵を罵倒する。

これ、いったい何が面白いんでしょうかね。
「相手より優れていたい」
というオスの優越志向…?

歴代の任天堂ハードとプレステシリーズを全部買ってきた私は、一体にどっちに参加すれば良いのでしょうか。

んで、当ブログの『ジャッジアイズ』についての記事に対するコメント。
最近、姉妹ブログ『犬の部屋』にも同じようなコメントが付いたのですが、自分の好きなものをディスられると、その論者の人格を否定しないと気が済まないというタイプの人が、世の中にはかなりの割合で存在するようです。アドレナリン過剰分泌症なんでしょうかね。

ちなみに私は任天堂ファン

任天堂ハードとプレステシリーズを全部買ってきた私ですが、ゲームメーカーとしてどっちが好きかというと……比較にならないんですよね。任天堂にはゲーム作りの思想があって、そのゲームが作りたいからこういうハードを用意しました、というのが分かるんです。ソニーは基本的にハードメーカー=プラットホーム提供者であって、ゲームそのものを作る企業としてはどうなのよ?と。

任天堂製のゲームと言えば、マリオに始まり、ドンキー、ゼルダ、カービィ、メトロイド、スターフォックス、ポケモン…まだまだありますが、キリがありません。ではソニー製のゲームと言えば?私は『パラッパラッパー』が大好きだったのですが、あれはソニー製ではないし。グランツーリスモとか?むむ……。

任天堂の素晴らしい功績については、語り始めるとそれで埋まってしまうのでここでは割愛します。

ゲームに点数を付けて評価する意味

映画とか小説とかゲームといった芸術作品に点数を付けることのナンセンスさは常にだれかが指摘しているものですし、私もそう思っているうちの1人なのですが、それでも点数を付けるのは、それが表現方法のひとつだからです。

点数を付けることが無意味であり、無責任であったとしても、点数以外で論評することもまた同様に、無意味であり、無責任な行為でして、結局はその論評そのものの娯楽性、公益性、時に広告性こそが大事なポイントとなるわけです。

つまり、その評価そのものが面白い、その評価によって買う/買わないの参考にする、その評価が宣伝になるといった形で役に立てばそれで良い訳です。まあ、最後のは消費者にとって逆効果になることもありますけどね。

もしそこにネガティブな問題があるとすれば、明らかなウソがある場合くらいのもので、それさえなければ何書いてもOK、のはず。なんせ、その評価が評価者の主観であることは百も承知の上で読む訳でしょうから。

クソゲー買ったのは自分の責任じゃ…?

さて、件のコメント主さんよると、どうやら私がシェンムーを大絶賛していることに納得がいかず、「シェンムーなんて0点レベルのクソゲーだ」とのご主張。

驚いたことに、この人はその0点レベルのクソゲーを、律儀にも自分の手でプレイした上で「クソゲー」と酷評しているところ。リマスターとのことなので、最近発売されたPS4版ということなんでしょうが、シェンムーそのものは20年も前の前世紀に発売された作品で、情報はいくらでもあります。Youtubeでも以前から無数のプレイ動画がありましたし。なんという情…ゲホッゴホッ。

仮にシェンムーがクソゲーだとして、そのクソゲー掴まされたことを私に八つ当たりされてもね…と。私は無条件に買え!と言ってる訳ではなく、いくつかのポイントを挙げて、他のゲームと比較しているので、それに納得がいかなければ、どこらへんが違うのかを主張すれば良いだけです。それはここへのコメントでも良いし、ご自身のツイッターでも良いでしょう。

私は懐古ゲーマー

わざわざ「懐古クソゲー」と言ってるあたり、この人はかなりお若い方なのかもしれません。たしかに私は年寄りで、昔のことばっかり言ってますが、できるだけ「思い出補正」「懐古」にならないよう(そういう時は最初から断っておく)どこを比較すべきかのポイントは明確にしているつもりです。

さて、最近のゲームをやっていて気になるのは、『ドラクエXI』にしろ『龍が如く』にしろ、「次何をすれば良いか」を常に教えてくれるゆとり仕様です。微に入り細に入り、プレイヤーの行動をクエストというフォーマットでもって監視(保護)し、ちょっと移動しただけで「CLEAR」という文字列が画面を飾ります。もうなーんも考えなくてもゲームを進めて行くことができてしまいます。

このことはドラクエXI論評でも書きましたが、まだ旧ブログに置いたままでして、近々引っ越しさせる予定です。

自分で調べる、自分で探す、自分で考える、という行為が、特に昨今のオープンワールド系アドベンチャーゲームにおいては徹底的に排除されている気がしてなりません。

もちろんそんなゲームばかりでないことは分かっていますが、全体として見てみれば、ゲームは年を追うごとに想像力や思考力が必要なくなっている印象は拭えないんですよね。

私が子供の頃やってたテレビゲームは、とにかく忍耐力が必要でした。RPGと言えば拷問のようなレベル上げ、アクションゲームにセーブ機能はなくて電源を切れば最初からやり直し、テキストアドベンチャーゲームはフラグ立てのための総当たり、画面中にチュートリアルなんて一切表示されないからマニュアルは必ず見なければいけない。

さらに、一人の子供がゲームをする時間は相当増加しているらしいです。とことんプレイヤーを甘やかしてくれる心地良い環境に浸る時間が長くなっているということですね。ひょっとして、それが原因で若いゲーマーはキレやすくなってるとか…

最近ちょっと話題になった「ゲーム障害」の話しようと思ってたんですが、また今度にします。
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