神聖なドラクエ3の曲を使うな
ドラクエXIは表エンディングが終わると、これまでの「おまけ」的なものではなく、ストーリーの繋がったちゃんとした(?)続編が始まります。するとフィールドBGMが、なんとあのドラクエIIIの「冒険の旅」に切り替わるんですね。
さらに、裏までクリアすると、エンディングではやはりドラクエIIIのエンディングテーマをベースとした、過去作の名曲を散りばめた再編オーケストラが。映像には、過去作のプレイ画面が流れます。
これらの演出によって、リアルタイムでプレイしてきたオヤジたちが「涙が出た!」などと感動していたわけです。
いやいや、お前らどこまで頭が悪いんだ、と。
まずドラクエIIIのフィールドBGMですが、あの神聖な大傑作の名曲をオヤジを喜ばせるためだけの演出で雑に使うなよ、と。ドラクエIIIにリンクできるほど、XIのストーリーは大きくないんです。
ここでまた、ストーリーと音楽の関係の話になりますが、ドラクエI及びIIというのは、すでにロトの伝説と言う土台が前提にあって、その子孫が悪魔を倒す物語です。そこに自由意志というものはなく、単に「勇者の子孫だから」という理由で魔物討伐に出向くことになるわけです。フィールドBGMを聞いてみると、IとIIは勇敢さよりも、悲哀や不安を慰める「引き」の曲調なんです。
IIIでは一転、親父こそ魔王討伐に失敗していますが、「伝説」と言った大げさなものは背負っておらず、仲間も居酒屋で誘った何のしがらみもない連中。伝説を背負った者ではなく、伝説を作る者になるわけですから、フィールドBGMは何の遠慮もなく勇敢さを前に出したあの曲がすごく似合ってるんです。グラフィック上も、4人が連なって歩くからこそあのBGMも似合いますが、主人公しか表示されないXIでは違和感しかありません。
と、ここでまたひとつ課題が。
かつて、ドラクエシリーズとFFシリーズの大きな違いは、移動中にキャラが全員表示されるのがドラクエで、主人公1人だけが表示されるのがFF、というものでした。
ところが、今それぞれの最新作を比べてみると、ドラクエが主人公1人になり、FFは全員表示されている、というように逆転してしまってるんですね。
ちなみにFFXVのキャラはAI制御が売りになってましたが。
やっぱりね、キャラは全員表示すべきですよ。
ドラクエならやはり馬車を復活させて、馬車が入れなかったり、崖が登れないキャラがいたりした方が絶対に面白いと思います。
メタを使いたがるヨゴレクリエイター
話を戻して、エンディング。
曲は良いと思います。問題は映像。
プレイ画面を出してしまうという「メタ」手法はヨゴレクリエイターのやることです。そりゃ私なんぞは直撃世代ですから、琴線に触れるものはたしかにあります。しかし、それ以上に、ゲームの本質部分で明らかに手抜きをしながら、こういう演出で媚を売るみたいなやり方に胸糞が悪くなります。
子供を置いてけぼりにするな!
ドラクエと言えばすでに30年以上の歴史があります。で、XIのプレイヤーは皆40歳以上なんでしょうか?
もちろんそんなことはないでしょう。
大事なのはドラクエシリーズのストーリーであって、プレイ画面ではないのです。どうしてもやりたいなら、鳥山明に各シリーズのイラストを描き下ろさせて、それを流せば良いんです。
プレイ画面を見せるというのは、明らかに購買力が高くて人口も分厚い、我々団塊ジュニア前後の世代を狙ったもので、若いプレイヤーを置いてけぼりにする行為なんです。
クリエイターのドヤ顔が見えたら終わり
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