俺の平成電脳戦記(1)PONG~インベーダー

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俺の平成電脳戦記

平成もあと少し。

ってことで、某国営放送でやってた『平成ネット史』に倣って『俺の平成ネット史』でも書いていこうかと……思ったんですが、「ネット史」って何よ?って話ですよ。

ネットについて語るってことは、即ちコンピュータについて語るってことであり、またコンピュータゲームについても語らないといけなくなるんですよ。しかも「平成」ってこれ実に中途半端でして、どうしても昭和後期からの歴史ってことになります。

ということで、『俺の平成(よりちょっと前からの)電脳戦記』ちょっとずつ書いていきましょう。時系列で。

「当時はこんな時代でした」と言うのを自分の実体験と思い出を重ねながら紹介していく感じになると思います。

任天堂『カラーテレビゲーム15』

昭和50年代前半、後にテレビゲームメーカーとして世界一のお化け企業となる京都老舗の花札屋から、1台のテレビゲームが発売されます。その名もファミリーコ……いえいえ、もっともっと前の話で、『カラーテレビゲーム15』というマシンです。マリオもドンキーコングもまだいない任天堂からの発売でした。

PONGの大ヒットを受けて

その数年前、あのATARI社が発売したテニスを模したアーケードゲーム『PONG』が大流行。その後各社がパクリゲームを発売、それらを総称して「ポンクローン」などと呼ばれます。

この任天堂のテレビゲーム15もブームに乗っかって作ったポンクローンの発展形と言って良いでしょう。100万台売れたと言いますからやはり当時から任天堂は凄かったんですね。

と言っても、決してボロい商売だったわけでもなく、その他の娯楽商品を合わせると、当時の任天堂はかなりの赤字を抱えていたとのこと。

そして、私が生まれて初めて触れたテレビゲームこそがこれ(…多分ですが)だったのですよ。この当時にこの手のマシンに触れる感覚、刺激、これらは今説明しようがないのが実に残念です。

当時のテレビゲームはまさに神秘体験だった

旅行先で訪れた森の神秘性や空気の味を、写真や動画や言葉では再現しようがないのと同様、あの独特の電子感はえも言われぬ快感であり、神秘体験だったのです。あの目に悪そうなギラギラした画像と「ポッ!」「ピポー!」という他では聞けない電子音が、いつも観ているテレビから出力されるという不思議体験。ただ棒を動かしてドットを打ち返すだけのゲームでしたけどね。

タイトー『スペースインベーダー』

その1年後となる1978年、アーケードではタイトーからあの『スペースインベーダー』が発売され、昭和史を語る際に欠かせない光景である社会現象が巻き起こされます。筐体に100円玉を積み上げた大人たちが目の色を変えてボタンを叩く姿は、皆さんも懐かしの映像でご覧になったことがあるでしょう。

ちなみにうちは喫茶店を経営していて、私はインベーダーもブロック崩しもやり放題でした。引退した筐体はそのまま自宅へ引き取り、稼働するインテリアとして余生を過ごしたのでした。おそらく当時の私は、未就学児としては日本有数の腕前の持ち主だったと思います。ついでに言うと、『ヘッドオン』もありましたよ。

インベーダーにも数々のパクリが

アーケード市場では、各社がインベーダークローンを出して小銭を稼いでいました。ちなみに任天堂も、「遊びにパテントはない!」という名言(?)を発明して堂々とパクリゲームを出していました。今のコナミに聞かせてあげたいですね。

ナムコが意地を見せつけた『ギャラクシアン』

その中でナムコだけがゲームメーカーとしてのプライドを賭し、「一画面で敵が隊列を組むシューティング」という点だけを踏襲して全く新しいシューティングゲーム『ギャラクシアン』を発売します。

これまた衝撃的でした。カラフルな上に敵がアナログ的な動きでヌルヌルと舞い降りてくるあの光景は、インベーダーに慣れ切ったプレイヤーにとって、良い意味で強烈な違和感を与えました。

今考えてみると、ゲームそのものの面白さもさることながら、「無機質でクール」というナムコの作風はここから連綿と受け継がれているように思います。パックマン、ゼビウス、ドラゴンバスター、ドルアーガ、私から言わせるとこれらは無機質な芸術性を持ってるんですよ。今でこそ太鼓の達人やらアイマスやらのメーカーですが。

まともな家庭用ゲームプラットフォームがなかった時代

ファミコン以降であれば、アーケードでヒット作が出れば、ファミコンを始め各コンシューマー機に移植されるのが当たり前になっていましたが、ギャラクシアンが1979年でファミコン登場の1983年までは、ギャラクシアンを移植できるようなコンシューマー機は存在しなかったのです。

つまり、アーケードと家庭は全く切り離された空間だったということです。

え?カセットビジョンがあったって?うーむ…カセットビジョンはポンクローンの発展版という程度で、ゲーセンのタイトルを移植することはできませんでした。実際にギャラクシアンも存在するのですが、それは似ても似つかないもので……。



ということで、ファミコン登場の1983年までは、少なくとも据え置き機としてのコンシューマーゲーム機に特筆すべき点はありませんでした。家でゲームをしたい人は、高級なマイコンか、安価なカセットビジョンでなんちゃってゲームを楽しむのみだったのです。

本当はLSIゲームまで書いてたんですがなりすぎたので区切ります。
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