志村けんの偉業

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志村けん お笑い

先月29日、志村けんが新型コロナ肺炎で亡くなった。ということで、志村けんについて少しだけ語ります。

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志村の代わりがヒカキンという現代っ子の不幸

土曜の8時。僕らが子供の頃、これほど神聖で大切な時間はなかった。

ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』の放送時間である。

今の子供と比べれば、朝から晩までアニメ・特撮・お笑い番組など子供向け番組で溢れていたパラダイスのような世代だったが、その中でもドリフは別格。

それこそ、子供たちがテレビに噛り付いて観ていたのがドリフであり、志村けんである。

我々世代にとっての志村けんがどれほど大きな存在だったかは、筆舌に尽くしがたい。これは同じような世代の多くの人達がツイートしている。

 

志村けんがどれほど偉大だったかを今の子に説明するなら、『ヒカキンくらいすごい』と言えば良い

というようなツイートがあった。

僕も以前に「HIKAKINは現代の志村けんなのか」という題で記事を投稿したことがある。本当に今の子供は不幸だ。今の子供たちには、志村けんも欽ちゃんも伊東四朗もいない。当時僕らが、昨日見た志村けんの「怒っちゃやーよ!」をマネする代わりに、最近の子供は「ゆーちゅーぶ~♪」とHIKAKINの歌を口ずさむ。悲惨だ。

ドリフもコント55号も見ずに、まともな子供が育つか!というポリシーを基に、今うちの子供たちにはAmazonプライムの『全員集合』を見せている。

今は子供向けコメディアンが生まれない時代

しかし、今の時代に志村けんがいないのは、全くやむを得ない話で、「客である子供がいない」上に「テレビに金がかけられない」ようになったからだ。コントはただでさえ金と時間が要る。

昔から若手お笑い芸人のチープなコント番組は深夜枠でひとつやふたつはあったものだが、今はそれもない。

その代わりに、『マツコの知らない世界』や『ダウンタウンなう』など、グルメ+トークで、ともすればスタジオすら使わない、恐ろしく低予算で視聴率がそこそこ獲れる番組が重宝される。

そういえば、松本人志も若手の頃、「ドリフみたいに金かけたら誰でもウケる」「家の壁崩れてきたらそりゃ子供は笑うやろ」とラジオで批判的なことを言ってたが、これはドリフへ批判というよりまだ思い通りの番組を作れるほどの権力を持っていなかった自分への憐憫というべきかもしれない。その松本も間もなくドリフほどではないにしろ、『ごっつええ感じ』で大予算と時間をふんだんに使ってコントを作るようになる。

漫才や簡易セットのコントなど、安価にできるピュアなお笑いもある。だが、それは大掛かりなコントの代わりにはならない。ドリフは週にたった1時間の生放送のために、他の日をアイデアの練り込みとリハーサルに費やした。その結果、ドリフの週レギュラーは『全員集合』だけだった。今思えば、あのお化けユニットが週に1度しか観れないなんて、『全員集合』はなんと勿体なく、そしてぜいたくな番組だったか。

ドリフを始めとする、昔のテレビづくりの「金」は見えないものだった。ちょっとした被り物でも数十万、がっつりセットを組めば簡単に1千万単位の金が飛ぶが、そんなことを視聴者は意識しない。対してHIKAKINを始めとするユーチューバーが今何をやっているかと言えば、「〇〇万円分〇〇を買ってみた!」とストレートに金にモノを言わせて、変顔と大声とわざとらしいテロップで登録者を増やす。何が面白いんだかサッパリ分からないが、こんな下品なコンテンツが志村けんの役割を担っているのだから、(やむを得ないとは思いつつも)世も末というしかない。

志村けんの加入でドリフはどう変わったか

ドリフの中で志村けんが全く異質な存在であるのは、志村が唯一、自ら望んで加入したドリフのメンバーであり、そして唯一の「いかりや長介の弟子」という点である。

ドリフは元々音楽バンドで、徐々にコミック性が強くなり、いつの間にやら本業がお笑いに移っていった。メンバーは流動的で、人が入っては出て行き、出て行ってはまた別の誰かが入ってくるという形。我々が知っているドリフのメンバーは、一度いかりや長介と加藤茶の2人だけになってしまい、その後、仲本工事、高木ブー、荒井注が加わって5人体制に、さらに荒井注が脱退して、ドリフの坊やだった志村けんが入れ代わりの形で正式メンバーになった形のものだ。

志村以外のメンバーにとって、お笑いのドリフは「成り行き」である。加藤茶は天才的コメディアンだが、成り行きで生まれたコメディアンのドリフにとっては偶然の産物だったのかもしれない。

ところが志村けんは違う。すでに完成された「コメディアンのドリフ」を見て、コメディアンとしていかりやに弟子入りしたのだ。やる気がまるで違うし、実際、荒井注時代のドリフと志村入れ代わり後のドリフでは緊張感が違う。ドリフの中で志村けんだけが放っていた異様な光の正体は、才能ではなく意欲だった。

志村けんはいかりや長介と加藤茶が生み出したモンスター

「加藤は天才で、志村は秀才」というのはいかりや長介だったと思うが、これはまさにそう思う。加トちゃんは常にナチュラルだった。志村は秀才だったがゆえに、いかりやと加藤からいろんなものを学んでその後の「志村けん」を作っていった。

志村けんを象徴するボケ役の演じ方のベースは加藤茶にある。加藤の顔芸と動き、声の出し方をマネて、自分のモノにし、さらにアレンジを加えてオリジナルを作っていった。

ツッコミについてはいかりや長介。志村加入前のいかりやのツッコミは、志村加入後よりも鋭くテンポが良かった。PTAの講義のせいか、志村を活かすためのバランスかは知らないが、その後マイルド化している。いかりやの鋭いスリッパ(メガホン?)捌きを受け継いだのが志村けんであり、『全員集合』のミニコントや『ドリフ大爆笑』では加藤茶をボケ役にして、往年のいかりやよりハイテンポで鋭いツッコミを見せている。

加藤茶は志村けんに「玉座を奪われた」のではない。一時脱退した志村を家に居候させて、いかりやと共に育てたのは他ならぬ加藤茶である。加藤もまた志村の異様な向上心や探求心に感服し、新しいドリフの芽だと思っていたに違いない……多分だけどね。

その結果、ドリフの中でも志村と加藤のコンビは数々の傑作コントを生み出し、ついには『全員集合』から2人で独立し、2人だけのレギュラー番組である『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』にまで至る。

改めて志村けんの追悼特番を作るべきだ

志村けんをふり返る映像としては、『全員集合』のメインのコントや、「バカ殿」「変なおじさん」「ひとみ婆さん」など、後半のソロ活動時代の分かりやすいキャラクターばかり、つまりボケ役としての志村けんばかりが紹介されがちだが、加藤茶や女優との掛け合いではツッコミに回る方が多く、これがまた素晴らしいのである。志村けんの神髄はボケにあるのかツッコミにあるのかと考えた場合、僕は「50/50」だと思っている。

何より、「育ての親」の片割れである加藤茶が実に活き活きとしているのが志村とのコントでのボケ役なのだ。

亡くなった直後に放送されたフジテレビの追悼番組では、冒頭から『G線上のアリア』だったか、おとなしいクラシックが流され、仲本から「暗い」とクレームをつけられたが、全くその通りだ。稀代のお笑い芸人に対する敬意というものが全く感じられない。

志村けんの追悼番組のオープニングは『東村山音頭』、エンディングには『ホントにホントにご苦労さん』だろう。

その辺を踏まえて、お笑いの文化論、技術論を練り込んだ4時間の追悼特番をTBS、テレビ朝日、フジテレビ共同でやるべきだと思う。

とりあえずこのブログ読んだ人は、子供たちにAmazonプライムの『全員集合』見せてあげて!

 

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