ゲーム依存症(1)~今のゲームと昔のゲーム~

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ゲームコントローラー ゲーム
スポンサーリンク

ゲーム依存

定期的に話題に上りますが、先日テレビで「ゲーム依存」が取り上げられたそうです。私は観ていませんが。

10歳から30歳未満の男性に取った「1日のゲームプレイ時間」のアンケートでは、1時間未満という割合と3時間以上という割合がほぼ同じで、それぞれ4人に1人だと言います。

子供の頃からファミコン漬けになっていた私からすれば、ピッタリ3時間であればまああり得るかなと。パソコンでは『信長の野望』なんて徹夜の勢いでやってましたしたね。

ではこの「3時間以上」にどのくらいのヘビープレイヤーが含まれているのかと想像すると、ちょっと怖くなりますね。中には6時間なんてツワモノも結構いるらしくて、やっぱり3時間と6時間ではかなり違いますよ。

ツイッターでは擁護派もかなりいるんですよ。「不登校だったのにゲームによって救われた」とか「ゲームで出会いがあった」とか。それもまた事実でしょう。が、1日3時間以上ゲームをする人のうち、一体どれほどの人が「救われた」のでしょうか

こういうインパクトのあるエピソードは目立ちますが、実際にゲームの長時間プレイで救われた、あるいは人生に良い影響があったって人はどのくらいいるのか、私には疑問なんですよ。僅少な例をもって全体を語るべきではないし、それをやるならネガティブなことで全体を語ることもできてしまうわけですよ。「こういう良いこともあるんだから、何時間プレイしたって良い」という文脈になってしまうわけで、そりゃ違うだろ、と。

その時間を他に充てたら…?

残念ながら時間と言うのは有限で、全ての人に等しく1日は24時間しかありません。3時間ゲームをすることに時間を費やせば、他の3時間を犠牲にすることになります。3時間ゲームをすることが悪いということではありませんよ。計算としてそうなりますよってだけの話でして。

問題はその3時間、1カ月にすると100時間近くで何が得られるか、です。全然面白くないことを言いますが、3時間のうち1時間を読書に充てれば、文庫本にして数冊分の知識が得られるわけですよね。

高橋名人の名言「ゲームは1日1時間」なんて妄言なんですよ。1時間で済むわけない。でも「ゲーム以外のこともやれ」という趣旨には大賛成なのです。

時間の価値は子供の頃には分かりません。高校や大学を卒業する段になって初めて「あー、もう少し勉強しとけばよかった」「今なら〇〇の講義は全部出席して聴きたい」みたいなことを言うんです。で、大人になったらなったでまたすぐにその失敗を忘れて、ゲーム(とは限りませんが)にハマる。白髪が生え始めてまた思うんです。「あー、投資の勉強でもしとけば良かった」「ゲームの課金に費やした金で一眼レフカメラが余裕で買えた」「なぜ俺には彼女がいないんだ」と。

あれもこれもゲームと一緒にするな

「1日6時間で“ゲーム依存”なら、1日8時間仕事すれば“仕事依存”なのか!?」

「1日6時間野球やってても“野球依存”と言われないのはどういうことだ!?」

一種のジョークとしてならまだしも、マジでこれ言ってる人が結構いますね。

一応マジレスしておくと、仕事は生産であり、生活するための活動です。仕事がやめられないのは、やめられない事情があるからであって、直接的に自らが欲するというケースは少数です。野球などのスポーツは、多くの場合選手たちは放っておけばサボります。依存症ではありません。

ゲームは、ドラッグやギャンブルと同様に、やめられなくなるのが怖いんです。大昔のゲームから、コンシューマー機初の本格ネットゲームであるPSOをこの身で体験した私が言うのだから間違いありません。

今のゲームは昔とどう違うのか

一旦ここで、昔のゲームと今のゲームの違いを整理しておきます。

よく言われることですが、昨今のゲームの特徴は「エンディングがない」こと。

昔のゲームは、
・単純に難易度だけが上がり、ひたすら繰り返す。
・有限のステージ数があり、終わり、もしくは「1周」の概念がある。
・ストーリーがあり、明確なエンディングがある。
というのが普通でした。

もちろん今のゲームにもエンディングがないわけではありません。そうでない物が増えてきたというだけです。それは所謂ソシャゲで顕著で、やめるきっかけが掴めません。

そしてゲーム供給側は広告収入と課金(誤用)ユーザーを増やすべく、あれやこれやでプレイヤーを引き留めることに尽力します。沼にずぶずぶ吸い込まれていく感じです。

コミュニケーション媒体としてのゲーム

ネトゲやソシャゲはコミュニケーションツールとしての側面を持ちます。先述のPSOは、初めての本格ネットゲームにして、チャットインターフェースが極めて秀逸な「チャットアプリ」としての側面を強く持っていました。晩年などヘタするとプレイを一切せずに何時間もダベってログアウトするなんてプレイヤーが普通にいましたし、私もその1人でした。もはや強くなることに何の意味もなくなっていたからで、それまではキャラを成長させるべく必死でプレイしていたのです。

これね、純粋にプレイするにしろチャットするにしろ、ベクトルとしては廃人に向かうんですよ。プレイするのが目的であっても、チャットが目的であっても、家に帰ればすぐ電源オン。ログインしたまま「風呂入ってくる」「飯食ってくる」なんて当時から当たり前でした。もう生活の一部になっていて、そこから抜け出せない体になっていたわけです。

それでもまだPSOが健全だったのは、あまりに当たり前になりすぎていて、ログインしたままテレビ観てたり、マンガ読んでたりと、他のこともやってたって点ですね。いや、「健全」という表現が妥当かどうかは分かりませんが、ログインしてきていくらかチャットしたと思ったら、気づけば一言も発することなく寝落ちしてた…みたいな友人もいましたからね。実質のログイン時間なんてほんの数分ってことになります。

廃人に向かうというベクトルの方向は同じでも、その度合いは今とまるで違うレベルだったと言えるかもしれません。後述しますが、少なくともこの頃はまだ「アイテム課金」や「有料ガチャ」みたいな悪質なネトゲ商法は生まれてませんでしたし。

 

次はゲーム廃人について語ります。

ゲーム依存症(2)~身近なゲーム廃人の話~
ゲーム依存症について。「ゲームに救われた」って話で肯定できるなら、「ゲームで廃人になった」って話は否定材料になります。その実例をいくつか。

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました