俺の平成電脳戦記(3)ファミコンとの出会い

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ドンキーコングの衝撃

ファミコンの思い出と言っても、特にオタク的知識があるわけでもなければマニアックな体験をしたわけでもなく、私が書けることとしては実に平凡なものでしかないんですよね。

うちにファミコンがやってきたのは発売後割とすぐだったと思います。私のおねだりとかではなく、同居してた親戚が買ってきたもので、ソフトは『麻雀』だけでした。当時子供だった私は麻雀のルールも知らないので、ゲームとしてはサッパリでしたが、ファミコンの持つ鮮やかさ、賑やかさだけは十分に体感できました。

その間もなく、『ドンキーコング』を誰かが買ってきてくれて、それが私自身がプレイした初めてのファミコンソフトでした。

 

初めてプレイしたドンキーコングは、感動という言葉でも足りないくらいの衝撃でした。自分の家のテレビにゲームセンター同様のゲームが映し出されるという、異様な空間に入り込んでしばらく出ることができなかったのです。

それまで家庭用テレビに繋いで遊べるゲームと言えば、ポンクローンとカセットビジョンでしたが、でっかい□を繋ぎ合わせただけの、思いっきり電子ゲームでした。それに比べて、ファミコンのきめ細やかさ、色鮮やかさ、音の賑やかさは、全く次元の違うものだったのです。

その衝撃の度合いは、「ひらかた菊人形」しか見たことのない少年が初めて東京ディズニーランドに連れて行ってもらった時くらい、と言えばお分かり頂けるでしょうか。分からない?じゃあいいや。

その後、また誰かが買ってきたテニスを経て、多分自分が望んで親に買ってもらった初めてのソフトが『ポパイの英語遊び』だったと思います。どうですか、小学生にしてこのチョイス、私の知性を物語っていますね。このゲームで私は「soup」のスペルを覚えたのですよ。(主要なゲームソフトは大体人に借りて遊び尽くしてましたからね)

任天堂ゲームハードの歴史はインターフェースの歴史

ゲームウォッチのダブルスクリーンで採用された十字キーという入力方式は、そのままファミコンにも踏襲されました。ここに、家庭用据え置き型ゲームハードの基本的操作系が完成したわけです。

ちなみに私は、最初のうちどう持てばいいかよく分からなくて、こたつテーブルの一番手前に置いて、まるで小さなキーボードでも打つように操作していました。これ、今やれと言われても絶対にできません。

これは過去にも書いたし、これからも追々書くことになるでしょうが、任天堂ハードの歴史は、インターフェース(ここでは入力装置の意味)の歴史と言えます。

ファミコンで十字キー⇒スーパーファミコンで背面ボタン⇒ニンテンドー64でアナログスティック&振動装置⇒ゲームキューブは飛ばしてWiiではモーションコントローラー
という具合です。
支流としては、光線銃や3Dシステムなんてのもありましたが。

これらのインターフェースはことごとく他社が追随し、結果的に現行ゲームハードの操作体系のほとんどは任天堂が作り上げてきたものとなります。

この視点ひとつ取っても、ゲハ板で繰り広げられる任天堂vsソニーみたいな争いがいかに不毛なものかが分かります。どのハードがどれだけ優れているかには、そこにどういう評価基準を設けるかだけの話ですが、少なくとも何か新しい物を生み出してくれるという期待感においては、任天堂とその他のメーカーでは比較にならないのですよ。

ファミコン本体の価格のナゾ

どう考えても安すぎたファミコン本体

うちに来たファミコン初代機は誰かに引き取られたのかどうだったか忘れましたが、うちで2台目のファミコン本体を買うことになりました。その時は私もデパートについていきました。

その際の親と店員さんの会話をまだ憶えています。
「よう売れてますな」
「でもメーカーの方は売るほど赤字らしいですわ」
というもの。

ふむふむ。

これが事実かどうかは分かりませんが、ファミコン本体の14,800円という販売価格を、大卒初任給ベースで現在に換算すると2万円程度になります。現行のどんなハードより圧倒的に安いですね。

当時のファミコン本体原価は多分公表されてないと思うんですが、この価格設定はやはりとんでもなく安かったんじゃないかと思います。PS4がいくら凄いと言ったって、当時のファミコンほどではないはずです。それくらいファミコンはスーパーマシンだったんですよね。

例えば同時期に、ファミコンとよく比較される、MSXという廉価パソコン規格がありましたが、その構成パーツは既存技術の流用品が主で、相当安くできたはずです。ところがその価格は4~5万円台で、廉価といってもファミコンとは比べ物にならないほど高価でした。スペック的にはファミコンには遠く及びません。もっとも、メインRAMやキーボードなどファミコンにはない部分も多く、さほど単純には比較できないのも事実ですが、それでもファミコンは恐ろしく安かったのです。

ところで、上のファミコンの写真はうちの初代機でしょうか、それとも二代目でしょうか。
正解は、借用した写真なので、どちらも違うのですが、モデルとしては二代目と同じです。そう、ABボタンが四角いゴムではなく、プラスチック製の〇ボタンに変更されているんですよね。これによって操作性はかなり向上しました。ゴムボタンでは高橋名人も16連射は無理だったでしょう。え、高橋名人はジョイスティック派?うるせーよ。

本体ばらまき、ソフトで回収

この秘密は、ひとつには、「本体が赤字でもとにかく普及させて、ソフトで回収すれば良い」という考え方があったはずです。

次に、サードパーティーにロイヤリティーを課すという手法です。これはなかなか悪名も高いのですが、要するに任天堂以外がソフトを出す場合でも、そのうち一定割合の上納金を任天堂に支払えよ、というものです。

結果、この手法は大成功。任天堂はとんでもない売り上げと利益を生み出す怪物企業となりました。

この手の話は他に詳しく書いてあるサイトがいくらでもあるので、そちらをご覧頂くとして、そんなことより、この「俺の平成電脳戦記」はいつ平成にたどり着くんでしょうかね。

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