ようやくシェンムー3クリアしました
これからその感想を書こうと思うんですが、そもそもこういう記事を読む人ってどういう人なんでしょうか?
シェンムー1&2をやって3をやろうかどうか迷ってる人?
シェンムーシリーズを一切やってなくて3の評価次第で1からやろうと思ってる人?
1&2なんて古いゲームには目もくれず、3だけをやろうと思ってる変わった人?
中には本当に3だけをやったという奇特な方もいらっしゃいますが、その人はシェンムーにどんなイメージを抱いたのか、物凄く気になるところです。
ではシェンムー3のクリア後の感想を、過去作と現行同類ゲームとの比較という形で。ネタバレありということで気をつけてください。
背景NPCの存在
過去作においては、そこにいる人間はストーリー進行に関係あろうがなかろうが、あるいはセリフらしいセリフなんて用意されてなくても、話しかけたら【フルボイス】で返事をしてくれました。ハッキリ言って意味のない会話なのですが、それでもそれが臨場感を演出してシェンムーの世界が出来上がってるわけで、この無駄なリソースの使い方こそシェンムーだったわけです。
ところが今作ではタブーを破ってしまいました。
他の同類オープンワールドアドベンチャー同様、単なる「動く背景」でしかないNPCを採用してしまったのです。
これ、最近のゲーマーさんにとっては本当にどうでも良いことかもしれませんが、シェンムーファンからするとかなりガックリくるんですよ。
それやっちゃったらシェンムーの取り柄って何やねん!?と。
構造物の情報量の少なさ
シェンムー3では、舞台が前半と後半で変わってきます。
前半は白鹿村というド田舎で、何もないがゆえに道に迷いがちな、はっきり言って歩いてても何も面白くない空間です。
でもここで溜めたストレスはきっと後半で解消してくれるんだろうと期待して、舞台は鳥舞という漁村へ。
残念でした、高い建物なんて一切ない、ここも「ちょっと賑わっている」程度の田舎の漁村だったのです。
いろんなお店がズラズラーっと並んでいますが、そのほとんどは入らなくてもストーリーは進むし、いろんな物が売っていますが買う意味の分からないものばかりです。
ワクワクしながら迷路のような九龍城を駆け巡ったあの日が懐かしい。
探索が面白くないのに腹だけ減る
構造物が平屋ばかりで訪れる意味もないものばかり。でも基本は「お使いゲー」ですから、移動だけはさせられます。
途中、探索要素がほとんどないのに、退屈なマップをただただ移動させられ、しかも今作からはダッシュすると体力が減っていく腹減り要素が追加されて、動くほど腹が減ります。
この腹減り要素は、嫌な予感しかありませんでしたが、ゲームを終えてみて改めて言えます。
「全く意味がない」
と。
腹が減ったら飯を食わないといけないのですが、何を食うかというと、ゴボウを30本とか、スイカ20個とか、あり得ないものばかりです。
その食材はものすごい種類が用意されているのですが、ゲーム上、特殊効果などの個性がないので、どれを食べても同じ。ということは、体力回復量/価格のコスパだけで同じものばかり選んで買うことになります。
最近流行の、材料を合成して(食材を調理して)新しい何かを作るというような要素もありません。
QTEが難しい
シェンムー1&2で“発明”された、突然画面上にコントローラーの操作指示が出るQTE。過去作においてはこれが絶妙な緊張感を演出を実現していました。
が、なんで今回QTEをこんなに難しくしたんでしょうか。
QTE指示が出てから入力までの猶予がめちゃくちゃ短くて、多分ほとんどの人が初見クリア不能というレベルです。
しかも100%正解が前提になっていて、途中で躓くと最初からやり直し。結果に幅がないのです。
作り手側からすると、多分失敗前提で『サイモン』のようにコマンドを覚えてクリアさせるという意図だと思うんですが、それ何が面白いのか?と。
ここ、鈴木裕氏の、割と深刻なバランス感覚の喪失があるんじゃないかと心配してしまいます。
バトルが少ない
お話の中心に武道がある割にバトルシーンが少ないのは過去作でもそうでしたが、今作はさらに少なくなっています。
サブクエストはないも同然
昨今のこの手のオープンワールドアドベンチャーは、とにかくサブクエストが豊富なのが特徴です。中には本編の何倍もの時間を要するゲームもあるくらいで。
ところがシェンムー3においてはこのサブクエストがものすごく少ない上に、ちょっとでもストーリーを進めてしまうとサブクエがクリア不可になってしまう厳しさで、「ついでに寄っていこう」みたいな気軽さで進められません。
このゲームは、一体何で勝負しようと思ったのか、本当にナゾです。
山場なしで終わってしまう
お話の上でもプレイヤーのプレイ内容でも、山場は特にないままエンディングを迎えることになります。
くどいようですが、シェンムー1の「70人バトル」は理想的なクライマックスでした。技を覚えて長い時間かけて鍛えてきた意味をそこで試す、胸熱の展開でした。
しかし今作にはなーんもありません。藍帝と少し拳を交えて終わり。
シェンムーはなぜこんなことになってしまったのか
ギネスに載るくらいの超高額予算を使って開発された過去作から一転、今作はクラウンドファンディングで開発されました。
そしてやってみて思うのは、「貧乏は情けない」ということ。
予算の規模がそのままゲームの質になってしまっているんです。
で、なんでこんなことになってしまったのか。
これ、いろんな角度から説明できると思うんですが、詳しく語りだすとキリがないのでいずれ『俺の平成電脳戦記』にて投稿するとして、ざっくり私が思うに、
・セガは家庭用コンシューマー機の売り方を心得なかった
・偉くなってしまった鈴木裕を止められなかった
という2点だと思うんですよ。
かつて「セガとは鈴木裕のことである」と言っても良いほど、鈴木裕はセガの大黒柱でした。なんせ『ハングオン』『スペースハリアー』『アウトラン』『アフターバーナーII』といったセガの本領である体感ゲームシリーズは彼が中心となって開発されたのですから。任天堂における宮本茂同様かそれ以上の存在だったと言えます。
その鈴木がやりたいと言って誰が止められるのかと。
しかもドリキャス発売当初のソフトのCMは最悪で(もうこれあちこちで書いていますが)、ソニックでは人形劇、シェンムーでは本編には出てこないイメージの風景に「開発費70億円」という、ユーザーにとってはどうでも良いただ下品なだけのものでした。
当時、プレステ2が発売されるまでのわずかな溝に次の世代のハードであるドリキャスを売り込むためには、ただただ15秒間プレイ動画を見せるだけで良かったのですよ。
結局ニンテンドー64の『ゼルダの伝説・時のオカリナ』同様、ハードが売れなかったためにせっかくのソフトが売れなかったわけです。
評価できるとしたらシェンムー3を発売したこと
今の鈴木裕がセガとどういう関係にあるのかは分かりませんが、クラウドファンディングで開発したことや今作ではゲーセンに自身の作品も一切使われていないことを考えると、少なくともセガという社名の肩書はどこにも付いていないのでしょう。
そして評価できるとしたら、『シェンムー3』を開発して発売したことに尽きます。
しかし、ハッキリ言って、『シェンムー4』が発売される可能性はゼロに近いと思います。
なぜなら、シェンムー3が全然売れてないから。世界で5万本程度という話もあって、これでは次にクラウンドファンディングをやりたくても資金が集まるかどうか。
ストーリーが完全に繋がっているシリーズですから、前作を上回るということは基本的にないはずで、今より売れないことが分かっている新作に誰が資金を出すのだ?って話です。
もちろん発売されれば私は買いますけど、期待はしません。
最悪、小説『シェンムー4』でも出してくれればなぁ~。
資金だけじゃない、シェンムー4への最大の障害
先にちらっと書きましたが、鈴木裕氏はすでにゲームの作り方を忘れてしまっているのではないかとすら思います。
空腹という要素やQTEの劣化、何も魅力のないマップ、サブクエストの少なさ、シナリオの抑揚のなさ、どれを取っても楽しめる要素がなく、素人同然なのですよ。
だとしたら資金以前の問題だし、中身のあるゲームを開発し、かつ売れるものにするためには、結局メジャーメーカーの下に入り込むか、有名なクリエイターでも招聘するかしかないのではないかと思います。
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