ドラクエXIがシリーズ最低である16の理由(5)~成長システムとパーティ編成編~

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成長システム

ゲームの容量が大きくなり、グラフィックやサウンドの表現力が増すに連れ、ドラクエIIIやFFVのような柔軟な転職システムは実現が難しくなっていきます。ゲーム全体が進化すると、一部のシステムが退化するという皮肉な話です。その縛りの中で、どのくらい自由で柔軟な成長システムを実現するかが最近のRPGの作り方の大きな課題になってると思うのですが、その課題においてドラクエXIは完全な赤点であり、革新的要素も面白みも全くありません。

成長が可逆的変化であってはいけない

例えば、格闘家ベースであるマルティナには「ヤリ」とか「かくとう」と言ったスキルが用意されており、能力を伸ばす順番を自分で決めることによって個性を出すことは可能であるように見えますが、古典的な成長システムと全く違うのは、このスキルをわずかなゴールド(ほとんどノーコスト)で「リセット」できてしまうという点です。その時々の都合によって、それまでとは全く別人の能力を持つキャラクターに作り直せてしまうのです。そして、それまで持っていた能力は一旦すべて消えてしまいますから、「能力の積み上げ」ではなく、スキルポイントという単なる数値が膨張していくだけなんです。必然的に、その能力に愛着が全くわかなくなるのです。


これがドラクエIIIであれば、本来魔力を一切持たない戦士も、僧侶や魔法使いを経験することによって、「MPは少ないながらも、ホイミが使える戦士」が出来たり、FFVなら「敵からアイテムを盗むことができる白魔道士」が出来たりする一方で、その成長は不可逆的なものなのでどのように成長させるかという決断にも覚悟が必要でした。

結局プレイヤーの個性は消失する

しかし、ドラクエXIではそんな柔軟性がない代わりに覚悟も必要ありません。スキルポイントがどんどん貯まっていったとしても、規定のスキルしか覚えられないので、個性もクソもありません。

例えば、セーニャとベロニカだけはそれぞれ「僧侶」と「魔法使い」という職業がキャラ的に重要なので、スキルの柔軟性は低くしておく。その代わり、その他のキャラは生来の「適性」を残しつつ、完全に自由なスキルを覚えることができる、みたいな感じにはできなかったのでしょうか。

ドラクエXI戦闘

 

パーティ編成

かつての馬車システムには、馬車が入れない洞窟なんかがあって、そこで頭を捻ったわけです。あれが戦略的にすごく面白くて、「1軍固定の2人はいるが残りの2人は誰にするか」って言うのを毎度考えさせられるんですね。
ドラクエXIは、常に全員揃っての移動なのでそんなことに悩まされることもありません。やっぱり何も考えなくて良いゲームなんです。

馬車を使えとは言いませんが、パーティを選ばなければいけないシーンがいくつかあっても良かったのではないでしょうか。キャラを選ばなくて良い=プレイヤーは最後までキャラの特性を強く意識することなくゲームは終わってしまうってことですよ。

まあでも、それやっちゃうと本腰入れて作らなきゃいかんのですよね。全員連れてる前提なら各イベントでどんなムービー作ってもOKなんですが、プレイヤーが自由に選択できるとなると、それに合わせたムービー作らにゃならんのですからね。

これがスーファミまでだったらセリフの語尾を変えるだけとかで済んでいたんですが、今の時代そうはいきません。ましてや、昨今のドラクエシリーズのように、後から発売されるボイス有りバージョンのことを考慮すると尚更です。

それでもせめて、主人公+イベントキーマン1~2人、自由な枠1~2人みたいな感じでプレイヤーに選択の余地を残してほしかったところです。
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