ドラクエXIがシリーズ最低である16の理由(6)~ストーリー、演出、その他編~

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ドラクエXIパッケージ ゲーム
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ストーリーと世界観・その他

ドラクエXIは「ロトの伝説」の起源となる、極めて重要なお話。
であれば、ストーリーはもっと原始的でスッキリさせるべきでしょう。パラレルワールドみたいなものを持ち出していたずらに複雑にするべきではなかったと思います。

例えば…

かつて魔王によって世界が征服されそうになった時、ローシュと言う勇者が立ち上がり、魔王を打倒した。滅びたかに思えた魔王だったが、実は復活を目論見ながら息をひそめていた。勇者ローシュは、実は自分の手では魔王を倒すことはできないと悟っており、その足跡に後世へのメッセージとして魔王打倒に必要な情報を残していた。ローシュの魔王討伐に足りなかったもの、それは魔法の力であった。ローシュの残したメッセージは、マスタードラゴンに会い、魔力を授かれ、というものだった。

つまりは、マスタードラゴンを探し出し、そこから「呪文」を開発していくような話。これだとロトの起源であると同時に、ドラクエの起源っぽくもなります。一言で言えば、RPGの原点、ゴリゴリのファンタジーをやりゃあ良かったんじゃないでしょうか。

また、元々ドラクエと言えば「中世ヨーロッパ」“風”と言われていますが、XIがIIIよりもはるかに古いお話なおだとしたら、中世でも相当古い、あるいは中世よりも古い古代ギリシャみたいな世界をイメージしてしまうのですが、XIの世界は非常に文明的過ぎて、少なくとも私は入り込めませんでした。
ドラクエ5パッケージイラスト

主人公も、もしこんな設定なら私であれば、服装は布1枚まとっただけのマッチョなおっさんをイメージします。ちょうどドラクエVの主人公あるいはそのパパみたいな感じですね。ところがXIの主人公は、これから彼女と渋谷でデートでもしようかという、ファッション意識かなり高めの大学生という感じで、ロトの伝説を作る人物には到底見えません。あんなん、めっちゃちゃんとドライヤーかけてますやん

メダル女学園みたいなおふざけなど、言うに及ばずです。

戦闘における連携技も、「アクロバットスター」やら「スーパールーレット」のようにいきなり異次元に飛ばされたり、マンガ的になるようなムービーは頂けません。FFシリーズの召喚魔法ムービーが好きだったような人にはウケが良いのかもしれませんが。

シナリオ・演出

魔物に取り憑かれた可愛い妹を救うんでしょ?いろんなことを考えたら結局兄が責任を取ってトドメを刺そうとした瞬間に、主人公が身を挺して阻止するとか。離れ離れになった仲間と再開するんでしょ?どう考えても太刀打ちできない敵にいよいよやられそうになったところを、とんでもない呪文を覚えて帰ってきたセーニャが途中参加して打ち勝つとか。ドラクエってのはジャンプ的な王道JRPGなのですから、もっと分かりやすくやりゃあいいじゃないですか。

映像制作の面でも、宮﨑駿なら、押尾守なら、庵野秀明なら、わざわざ鳥山キャラを使って、こんなクソつまらないムービー作らないはずですよ。
今作はどこを見てもそうなのですが、「こんなもんでいいだろ」感が凄いんです。テキストだけがやたら多いだけで。

 

ただただ雰囲気をぶち壊す称号(トロフィー)

ストーリー上の細かい基準点の通過やサブクエストをクリアするごとにいちいち表示される「称号」。
私のゲーム史においてはPS3以降で「トロフィー」なるものがOSレベルで搭載され、ゲームを進めるごとに表示されるようになっていますが、ドラクエXIはそれに加えてゲーム内でもほぼ同様の「称号」がもらえるようになっています。
そもそもPSの「トロフィー」なるものも必要ですか?あった方が面白いにしても、いちいちOSレベルで介入させるほどのものでしょうか?他のプレイヤーと競争したいなら、裏画面で確認できるようにさえしておけば良いでしょう?
ドラクエXiイベント
ドラクエのようなゲームでこれを絶対にやってはいけないのは、雰囲気をぶち壊すからです。「はい、よく出来ましたねー。次はこれ!張り切って挑戦しましょう!!」なんてやられて面白いんですか?
 
ドラクエのようなベーシックなRPGにおいては、読んで字のまま「RoleをPlayする」=「その世界に没入して自分が活躍し、ストーリーを作っていく」という錯覚を与えるのが極めて大事な要素であるはずです。ストーリーやサブクエストを進めるたびに制作サイドが顔出して「よく出来ました♪」なんて評価することがなぜ必要なんでしょうか。心の底からそのセンスを疑います。
 

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