【ネタバレ】映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はR15指定にすべき

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ドラゴンクエストユアストーリー ゲーム

他にいろいろ書き溜めてるブログネタがあるんですが、とりあえずタイムリーなやつを優先ってことで。

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『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』勇気を出して観てきました

今ツイッターを賑わせまくっている『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』観てきました。子供に観せる目的で一緒に行くかどうか、私が行くか妻が行くかで迷ってたんですが、これほどバズってるのに行かないなんて勿体ない!「俺はこの映画を劇場で観たんだ」と後に自慢するネタとしてこれは行くべきだと。

以下ネタバレ含みます。お気をつけて。

まずは基本的な情報

総監督は、『ALWAYS 三丁目の夕日』『STAND BY ME ドラえもん』等でお馴染みの山崎貴氏。
話のベースとなるのはスーパーファミコンで発売されたゲーム『ドラゴンクエストV』です。ドラクエ5と言えば、親子3代の壮大な物語、モンスターを仲間にできるシステム、結婚相手を選ぶイベントなどでよく知られています。ゲームとして面白いだけでなく、シリーズ屈指の物語性でその評判も高い作品です。

最初の1分で誰に向けての映画か分かってしまう

さて、『ユア・ストーリー』は何が酷かったんでしょうか。

まずアニメーションそのもののデキですが、ハリウッドを意識した作風で悪くはありません。個性こそないし、今の時代にこれといって目をひくほどの何かもありませんが、十分によく出来ていて、観賞に耐えるものです。ただし、演出の点ではかなり物足りません。詳しくは後ほど。

さて、お話の内容。最初からゲーム画面が出てきて「おやおや?なんだか変だなー怖いなー怖いなー」というイヤな予感しかしていませんでしたが、その予感は現実のものとなります。

物語の序盤はダイジェストっつーか、早送りっつーか、とにかく駆け足です。この時点ですでに誰に向けて作った映画であるかが分かっちゃうんですよ。ゲーム画面+序盤の駆け足。これつまり、リアルタイムでドラクエ5をプレイしたおっさんに向けて作ってるんですよ。

見せるべきシーンはそこか?

ヘンリー王子を助けに向かったらヘンリーと自分の息子、つまり主人公のリュカ2人を人質に取られ、目の前で自分の父親が無残な死を遂げることになります。そして2人はそのまま魔物の宮殿建設の労働力としてなんと10年間もの奴隷生活。悲惨ですよ。絶望ですよ。この流れ、本当に予備知識がない子供が見るとしたら、割とじっくり描かないといけない大きなポイントなのに、さらっと進んじゃいます。

その前提があるから後のヘンリーの帰還、リュカのゲレゲレやサンチョとの再会にカタルシスがあるはずなんですが、そこもあっさり。

結婚イベントなんてどうだっていい!

そして結婚。天空の剣を求めて大富豪ルドマンを訪ねることになったリュカ。そこでフローラとビアンカが登場します。あれ?ビアンカここで初登場?結婚相手としてビアンカとフローラのどちらを選ぶかは、ドラクエ5の大きな選択肢で、後々にまで熱く議論されるネタです。しかし、その議論が熱くなるのも、幼馴染であり、幼少期に一緒に冒険をしたビアンカに感情移入しているからであって、そこが描かれていないと「結婚イベント」には何の意味もないのですよ。

ところがこの映画では、その結婚イベント部分のみが冗長なほどに時間を割いて描かれています。山崎貴は「総監督」で、「監督」は別に2人いるんですが、この2人に関してはドラクエ5をやったことがないとの話。山崎貴だってやったかどうかは分かりませんが、そもそもドラクエ5にそれほどの思い入れもなかったのかもしれません。「ドラクエ5やったことないんだけど、これってどんなゲーム?」なんて聞いて回ったんでしょう。「あー、結婚相手選ぶゲームねw」なんて答えが返ってきて、「じゃそこを重点に描けばいいのね」くらいの感覚だったんじゃないでしょうか。

この結婚イベントは、自分でプレイして選択を迫られるからこそ重要なのであって、誰かが作ったお話だと陳腐なラブコメにしかならんのですよ。

天空の剣が抜かれるシーンはもっと力入れろよ

そして天空の剣。リュカは天空の剣の使い手である勇者を探すことになります。最初は「ひょっとして俺なのかも」とか思ってたんですが、自分では剣が抜けずガックリ。結局その使い手=勇者は自分の息子でしたって話なんですが、映像化において、このシーンをどう描くかこそアニメーターの腕の見せ所ではないでしょうか。この作品では……悪くはないけど、フツー…。



天空の超越的な力が備わった武器なわけですよね。ただの鉄で作った剣じゃなくて。そしたら、私なんかが考えるのは、『ロードオブザリング』で指輪を手にした者が人格を侵されるような、そういう演出が欲しかったんですよ。

例えばドラゴンボールにおいて、「スーパーサイヤ人」の表現は素晴らしいものがありました。悟空は普段、目と眉毛の間が広く、黒髪です。それが、スーパーサイヤ人に変身することによって、目と眉毛の間はなくなり、髪は金色。これ、端的に言うと、東洋人が白人になっただけなんですけどね。ついでに人格も変わり、怨念と冷徹さを併せ持つ超人になっちゃったわけです。「とてつもない力を手に入れた」ことの表現として、これ以上の手法なんてあるでしょうか。連載当時、この表現方法には鳥肌が立ったものです。

ここまでとは言わないものの、ドラクエシリーズと言えば鳥山明で、鳥山明が過去にこのような手法を開発してるんだから、ちょっとはパクれよ、と。もっとシンプルに熱くさせてくれよ、と。「あ、間違って天空の剣投げちゃった。でも息子が剣を抜けたー。やったー」って、あまりに勿体なくないかい?

<ここからネタバレ>

問題のクライマックス

はい、ここから問題の話をします。ネタバレ中のネタバレです。
魔物を追い詰めていよいよラスボス・ミルドラースの登場!というところで、時間が止まります。何が起こったかというと、ミルドラースの代わりに現れたコンピュータウィルス(?)が真っ白な空間の中に主人公(?)と対峙。「お前ゲームなんかやってて何になるんだ」的な説教を始めます。つまり、今までスクリーンに映っていたドラゴンクエストの世界はデジタル空間の虚構世界であり、本当の主人公はVRゲーム施設を訪れたプレイヤーだったってわけですよ。結局真の主人公は、「ゲームの世界だってかけがいのない大事な世界だ」的なことを言いながら、ウィルスを打ち払います。

いわゆる、「メタ」ってやつですね。

これについての感覚的な感想はツイッターを御覧頂くとして、製作陣はなんでこんなことをしでかしたのでしょうか。

結局製作陣にゲームやドラクエに対する愛なんてない

私の解釈で言えば、「何もかもが薄っぺらい」に尽きます。

「ドラクエVと言えば」→「結婚ですねw」→「はい、採用」
「どんな絵が良いの?」→「やっぱりディズニーが描いてるようなやつでしょw」→「はい、採用」
「びっくりするような話にできない?」→「VR空間でしたっていうメタでどっすか?サマーウォーズとか人気あったしw」→「はい、採用」
「理屈付けは?」→「ゲーム愛みたいなこと語っとけばいいっしょ。どうせ見に来るのおっさんばっかりだし、子供は騙せるしw」→「はい、採用」

こんなノリなんですよ。
例えば山崎貴の作品である『STAND BY MEドラえもん』だって、観れる作品ではあるけど、それはベースのドラえもんが優秀なだけであって、あの映画は単に3DCGにしただけですからね。『ALWAYS』シリーズは私も好きですけど、あれも至ってフツーの作品であって、監督としての技術や個性って特に感じられないんですよ。これ自体は良いんです。ま、普通の映画を作る人なんでしょう、ということで。

でも普通の映画しか撮れない人がドラクエというある種の人々の貴重な共有財産に手を出すべきではないんですよ。

いやいや、その前にです。この製作陣が犯したとんでもない罪は、子供を騙しているということです。この映画における序盤の「早送り」やクライマックスでのメタ展開は、初見の観客、特に子供たちを完全に無視したものです。「ドラクエだよ。ほら、スライム可愛いよ~、勇者かっこいいよ~」と呼び寄せておいて、思いっきりみぞおちにグーパンチを入れるようなものだったら最初から「R-15ドラクエ5やったことない人お断り」という断り書きをしておくべきなんですよ。

昔のブログから引っ越し途中でやめてしまっていますが、私は全く同じ理由でドラクエ11が大嫌いなのです。おっさんに媚びを売るだけの安っぽいゲームで、子供を全く無視しているのですよ。ドラクエ11は堀井雄二が作っていますから、『ユアストーリー』みたいなクソ映画も堀井雄二は喜んだのかもしれませんね。

そんなわけでして、ハリウッドに『ドラゴンボールエボリューション』があるなら、日本には『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』があるぞ!と誇るべきクソ映画でした。

オリジナルのドラクエ5を子供にやらせたくなる

ところで、この映画を息子に観せてしまったおかげで、ゲームのドラクエ5をやらせたくなったんですが、実はドラクエシリーズの過去作ってさほど簡単にはできないんですよね。最も簡単なのはスマホアプリですが、姿勢も目も悪くなるのでスマホなんかではやらせたくないし。結局、中古のスーファミソフト(つまり、オリジナル)を買ってレトロフリークでやるのが最も安く、手軽のようです。

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