俺の平成電脳戦記(4)1985年ファミコンビッグバン

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1985年ファミコンビッグバン

ファミコンが発売されたのは1983年ですが、その2年後の1985年は特別な年になりました。そう、阪神タイガースがリーグ優勝&日本一!いやー、バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発はリアルタイムで観ていましたが、そりゃあもう胸がす……という話ではなくですね。

ファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧 - Wikipedia

Wikipediaのファミコンソフト一覧です。
1985年を見てください。
バルーンファイト、ギャラガ、イーアルカンフー、ディグダグ、エレベーターアクション、その他いろいろ皆がよく知っている名作がずらずらーっと並んでいます。が、どこか古典の香りを残しています。

何が言いたいかと言うと、既存のアーケード作品、それも割と古いタイトルの移植がファミコンを支えていたという側面が伺えるんですね。

そんなリストの中にひと際輝く特別なタイトルが……。

そうです、『スーパーマリオブラザーズ』です。

ファミコンをブームから文化にしたのがスーパーマリオだった

ファミコン登場の衝撃も一段落、と思っていたところ、スーパーマリオのテレビCMでさらなる衝撃を受けることになったのです。な、な、なんじゃこれはー!と。
スーパーマリオがどれほど偉大なゲームであるかはここでは書き切れないので別投稿に譲るとして、結果的に世界で4000万本を売り上げるお化けソフトとなりました(まだテレサは登場しませんが)。

当然、同時にファミコン本体も爆売れ。ファミコンがどこの家のお茶の間にも置かれていて当たり前になりました。「大ヒット商品」だったファミコンは、スーパーマリオの頭突きで「日本の文化」に昇華されてしまったのです。

マリオ以外のゲームも変わった

スーパーマリオのおかげでゲームタイトルの風景も一変。ファミコン市場が急激な拡大を受けてサードパーティも増えました。ゲームは質的にも変化し、翌1986年のタイトル一覧を見てみると、一画面完結のアクションゲームなんてほとんどなくなってしまっています

「ゼビウスと同じ容量があればスーパーマリオが出来るんだし、スーパーマリオのようなゲームでさえあれば売れる」と判断した各メーカーは、とにかく横スクロールアクションを発売するようになりました。

85年のビッグバンの爆発力はその後数年間も続いて、スーファミに世代交代するまでファミコン王国を支えることになりますが、特に86年のタイトルは豪華絢爛でして、
ツインビー
グラディウス
ドラゴンクエスト
魔界村
がんばれゴエモン!からくり道中
ファミリースタジアム
といった後に人気シリーズとなるタイトルの1作目がずらずらと並んでいる他、『スーパーモンキー大冒険』『トランスフォーマー』『たけしの挑戦状』など闇の深いタイトル(伝説的クソゲー)も名を連ねています。

俺の思い出タイトル

『グラディウス』

この頃私は、部活ばっかりでゲーセンには一切立ち寄らなかったので、このゲームをタイトルしか知らない状態でした。知らないんだけどとにかく友人たちは「グラディウスがすごい」と口々に賞賛していました。ようやく自分にもグラディウスのカセットが回ってきて、自宅で起動。

これも感動でしたね。ゼビウスからほんの少し時間が経っただけでシューティングゲームはこんなことになるのか、と。

超美麗なグラフィック、斬新で多様なパワーアップ、そして美しい音楽。
それまでのシューティングゲームって、プレイ中、画面も音楽もさほど変化なんぞしなかったんですよ。敵の襲撃パターンや弾数が変わったり、同じパターンの絵の色違いだったりで。

ところがグラディウスは驚くほど進化したシューティングでして、「ステージ」にちゃんと境目があり、中ボスが登場します。その中ボスを倒せば、さっきのステージって何だったの?というくらい全くコンセプトも攻略法も違うステージが始まります。

火山⇒ストーンヘンジ⇒モアイ⇒逆火山⇒触手⇒細胞⇒要塞

よくこれほどのアイデアを思い付いて、しかもそれを当時のゲームで詰め込めたものです。

画的にはモアイのインパクトが凄いのですが、技術的に特筆すべきは何といっても触手ステージでしょう。小さいスプライト(キャラクター)を数珠つなぎにしてアナログ的な動きを表現するという手法は、『沙羅曼蛇』にも踏襲されています。ただし、相当無理をさせていたのか、このステージの処理落ちはグラディウスの名物となりました。

私はそれまでもゲーム音楽への指向性が強いようで、ゲーセンに通っていた頃なんぞは、マッピーの軽快なBGMやエレベーターアクションの何拍子かもよく分からない間抜けなBGMが頭を離れない病気にかかっていました。

音楽という点でもグラディウスは素晴らしく、1曲1曲が秀逸な上に、ステージ毎に違う楽曲が用意されているという贅沢さでした。多様でトリッキーな楽曲群を作ったのが、当時アルバイト職員でしかなかった東野美紀という若い女性だと後に知って、背後からイオン砲を食らうほどの衝撃を受けたものです。

『ソンソン』


こちらはダメな作品。
オリジナルのアーケード版はめちゃくちゃ好きでやりまくったんですが、ファミコン版は割とグダグダ。そう悪くもないんですが、アーケード版に慣れた身からすると、ソンソンの軽快さが失われたものになっています。スプライトのちらつきはスペック上どうしようもないとしても、キャラの動きなんかはもうちょっと何とかなったんじゃないかと思います。『魔界村』もファミコン版はフレームレートをガクンと落としてましたし、当時のカプコンには、まともなファミコンプログラミング技術者がいなかったのかもしれません。

どうでもいいけど、ソンソンのBGMがゴダイゴの『Monkey Magic』のアレンジだというのがいまだに解せません

『魔界村』


もしもピアノが弾けたなら絶対弾いてたであろう印象深いBGM。この雰囲気は大好きだったんですが、ファミコンじゃないみたいなカクカクな動きと、ただただイケズな難易度の高さは頂けませんでした。私のようなぬるゲーマーだと3面冒頭を拝むのが精いっぱい。ゲームセンターCXのADみたいな友人がいれば良かったんですけどね。

『グーニーズ』


ファミコンの名作タイトルと言えば、グーニーズを挙げる人も多いでしょう。とにかく全体のまとまりが良く、謎解きアクションゲームのお手本として教科書に載せるべき傑作です。BGMはシンディー・ローパーのあれをアレンジしたものですが、ゲーム少年なら原曲よりこっちですよね。ちなみに、オイラはMSX版もやりましたよ。

『ドラコンクエスト』


語るまでもない名作ですが、これは個人的な思い出というより、ファミコン業界に与えた影響度がすごいですね。ロールプレイングゲームは、パソコンではすでに「ありもの」だったのですが、アクション要素ゼロのゲームをファミコン向けに仕立て上げたドラクエはやはりすごい作品なんです。

「ドラクエにはオリジナリティーがない」「ウィザードリィとウルティマこそが偉大」「夢幻の心臓のパクリ」と言うのはマニアのマウンティングでしかありません。客観的に見ても、『無限の心臓』がファミコンプレイヤーに受け入れられるわけがないのです。

キャラクターデザインに鳥山明、音楽にすぎやまこういち、とそれぞれゲームとは関係のない専門家を取り入れたのもこのゲームが多分最初で、さらに画面に映し出す情報量を極限まで小さくして、低年齢層からおじさんおばさんまでをも虜にしたドラクエは、「それまで存在していたRPGのひとつ」ではなく「初めてのドラクエっぽいゲーム」だったのです。…ってことは前にも書きましたね。

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