あらすじ
晴れてお館様による禰豆子同伴の公認を得た炭治郎とその仲間たちは、乗客が次々と行方不明になるという列車の調査のため煉獄杏寿郎の補佐として列車に乗り込む。
ご期待通り、この事件の犯人は鬼なのだが、この鬼の能力は、対象を眠らせ、自由に夢を見せるというもの。
杏寿郎が倒したと思っていた鬼は実は列車と同化しており、いつの間にか全員眠らされてしまう。炭治郎は夢の中で生前の家族たちとの団欒を満喫するのだが、途中でこれは夢だと気づく。
夢だと気づいたは良いが、目を覚ます方法が分からない。
その方法が「夢の中で自害すること」と悟った炭治郎は、自分で自分の首を斬り、現実世界に戻って鬼と立ち向かう。
何とか鬼を倒せたと思ったら今度はさらに上位の鬼が現れ、煉獄杏寿郎を「鬼になれ」と誘惑する。杏寿郎はこれを頑なに拒否し、壮絶なバトルとなる。
『無限列車編』2つの掟破り
この無限列車編では、普通の少年漫画がやらないであろうことを2つやらかしています。
煉獄杏寿郎の早すぎる死
一つは、煉獄杏寿郎の死。死ぬのは良いんですよ。でも煉獄杏寿郎はついこの間出てきたばかりのキャラ。ジャンプの王道を行くなら、まず敵として登場し、ライバル関係になり、悪から善に移り変わったところで、皆のために死ぬ、みたいな感じでしょうが、鬼滅はそれをしないんですね。
「柱」は、やたらと極端なキャラ付けをされた人物が目立ちますが、中でも煉獄杏寿郎は何を考えているのかサッパリ分からない奇天烈なキャラで、普通は死に役として選ばれないでしょう。死ぬまでの時間も、視聴者に感情移入させるには短すぎます。でも鬼滅はその短い時間の間に感情移入させ、観る者の涙を誘うわけですよ。
大ラスバトル、主人公は観戦するだけ
もう一つは、これは映画に限っての話ですが、大ラスバトルで主人公が戦わないという点。これもちょっと考えられないところで、時間はさほど長くないとは言え、最後のバトルは煉獄杏寿郎1人が担い、炭治郎たちはもっぱら観戦者となってそのバトルを見届けるだけなのです。
そもそも列車に同化した鬼・魘夢を倒した後に、別の上位の鬼である猗窩座が現れることそのものには脈絡がないのですが、杏寿郎の死を予感したお館様が、炭治郎が自分のルーツである火の呼吸について杏寿郎から何かを聞き出す最初で最後のチャンスだとして列車事件に就かせたのだとしたら、全てはスッキリします。
この構成、当然ながら連載当時は映画化されるとは思ってなかったでしょう。だからこんな不自然なことになってるんですが、それでも面白いんだから文句のつけようもありません。
俺の心配
『無限列車編』は観に行って良かったと思える作品でした。やっぱり鬼滅は面白い。
原作コミックを1話しか読んでいない私ですが、聞くところによると7~8巻の話だとか。全巻で23巻でしたっけ?
私が『鬼滅の刃』を観終わるのはいつなんでしょうか?また途中で映画観る羽目になるの?
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