ドラクエ音楽は特別な存在だった
今年9月、すぎやまこういち先生が逝去されました。
まあ、90歳という年齢を考えれば「突然の訃報」ということでもありません。ご本人が仰っていたように、生涯現役のまま、LV90でエンディングを迎えられたと言うべきでしょう。
さて、この記事では、改めてすぎやまこういち氏が音楽の側面からゲーム文化に何をもたらしたのか、考察してみることにします。
ちなみに、私はレトロゲームの音楽が大好きで、中でもやはりドラクエシリーズの音楽はかなり特別な存在感を持っており、常に何かしらのドラクエ楽曲が脳内再生されているほどです。
例えば、子供を連れて外を歩く時は『V』のフィールド、大阪梅田の地下に入ると『II』のダンジョン、待ち合わせていた友人と合流できたら出会いのファンファーレ、血液検査で尿酸値が上がっていたら呪いのジングル、家でゴキブリが出たら『VII』の戦闘、といった具合に、シチュエーションに応じてドラクエ音楽が流れる脳になってしまいました。
「大衆のための音楽」に関わり続けたすぎやん
多くの日本人にとって、すぎやまこういち氏の最終的なイメージとしては「ドラクエの音楽を作曲家」でしょうが、元々はフジテレビのディレクターをやっていたテレビマンでした。
どうも音楽で食っていくつもりはなかったようですが、ドタバタしていたテレビの黎明期にあって、ハイレベルな音楽の素養を持つすぎやんは、テレビで使われる音楽を自分で作曲していました。「ザ・ヒットパレード」は一定の年齢以上の日本人なら誰でも聞いたことがあると思いますが、あれもすぎやんの作品のひとつです。
その後作曲家として独立し、『亜麻色の髪の乙女』や『学生街の喫茶店』など数多くのヒット歌謡曲を手掛けます。
その他、競馬ファンにはあのファンファーレが耳に馴染んでいるしょうし、アニメでは『サイボーグ009』主題歌の編曲を手掛けています。あのOP曲のイントロなど実にすぎやんらしいですね。『ハウスバーモントカレー』の例のあれがすぎやん作品だったことは、私も最近まで知りませんでした。
最初のゲーム音楽はドラクエではなかった
さて、そんなすぎやま先生がゲーム業界に携わったのは53歳の時のこと。元々ゲーマーだったすぎやんは、ゲームソフトのアンケートハガキを豆に返していたそうで、それがエニックス(当時)に見つかったのだとか。
すぎやんのゲーム音楽デビューはドラクエだと思われがちですが、実はその前にパソコン用アドベンチャーゲームである『ウィングマン2』の作曲を手掛けています。しかしながら、この作品のBGMは少々残念な出来で、あまり聴く価値があるとは思えません。ここには多少技術的な話になるのですが詳しくは後述。
ドラクエ音楽はピンチヒッターとして
ファミコン『ドラゴンクエスト』の音楽は当初、すぎやま先生が担当するはずではなく、プログラミング担当であるチュンソフト内のサウンドスタッフが曲を書いていました。ところがその出来が芳しくなかったため、違う作曲家による全面書き直しということになり、その時にエニックスですでに実績を持っていたすぎやま先生に白羽の矢が向けられたとのこと。この辺りの話、たしか漫画『ドラゴンくクエストへの道』に詳しく描かれているはずで、もう一度読み返したいのですが、うちのどこにあるのやら……。
すぎやまこういちの音楽哲学
こんな感じで書いていたら終わらないので、とっとと本題へ入りましょう。
ここで書きたいのは「すぎやん、僕たちに素敵な音楽をありがとう!」と言ったようなものではなく、「ゲーム音楽界におけるすぎやまこういち楽曲にはどんな存在意義があったか」を素人なりに掘り下げる作業です。
この着眼点に相応しい面白いエピソードがあります。
ファイナルファンタジーシリーズの作曲でお馴染みの植松伸夫氏がファミコンでの曲作りにおいて「たった3つの音で曲なんか書けねーわ」と嘆くと、すぎやんが「僕は2音で曲作ってるよ」と痛恨のカウンターをかまされたのだとか。
さらにすぎやんは、バッハのフルート独奏曲を引き合いに「音が一つしか出なくても名曲は書ける」と。たしか「音は2つ出ればハーモニーを表現できるんだ」ってなことも言ってましたね。ま、当たり前のことを言ってるんですが。さらにさらにすぎやんは、「音2つで曲を書いてくれと言われたら書くのがプロ」とも。
ここに表れているのは、すぎやま先生の「音楽の本質への理解」と「プロとしての哲学」なんですね。すぎやんの音楽的素養、特にクラシック音楽についての造詣の深さは、その知性の装飾品ではなく、音楽の本質の理解を助ける、まさに彼の血となり肉となっていたわけです。
そしてテレビ音楽、CM音楽、歌謡曲など大衆娯楽としての音楽に長年携わってきた実績は、そのままプロの哲学を形成したわけですね。
すぎやまこういちと植松伸夫、何が違うか
さて、このブログでは以前、「ファミコン時代のFFシリーズの音楽はショボい」と(ファンには申し訳ありませんが)書いたことがあります。
今考えてみれば、ファミコン時代のドラクエシリーズとFFシリーズの音楽の差異は、まさに「音楽への理解」と「プロ意識」の差そのものだったと思います。
ゲームのサウンドスタッフと言うと、その仕事は大きく二つに分けることができて、一つは「作曲」、今一つが「音作り」です。あ、その業界にいたわけではないので、多分、です。
初期のコンピュータゲームにおいては、とりあえず音が鳴りさえすれば良く、複雑な音作りのためにコンピュータのリソースや人的コストをかけられませんから単純なものでした。もちろん、たかだかコンピュータゲームのために専業の作曲家を雇ったりすることもまずなかったでしょう。前にも書きましたが、すぎやまこういち氏は、私の知る限り「実績のある専業作曲家がゲーム音楽に携わった最初(世界初?)の例」のはずです。
で、すぎやま先生と植松先生、この二人に共通するのが「音作りには(ほとんど)触れていない」という点であろうという点です。
この両者、どちらもゲーム業界に入ったのは能動的ではなく成り行きで、すぎやんはもちろん、植松先生も別段コンピュータに詳しかったわけではないようです。
ただ、違っていたのは、すぎやんは自分でプログラミングはできないもののコンピュータ音源がどういうものかはよく知っていたという点です。
音が1つしか出ないなら1つなりの、3つ出せるなら3つなりの楽曲を書けば良い。結果、ドラクエ音楽はアルペジオの多用という作曲レベルでの工夫が施され、素晴らしい楽曲が揃うことになりました。
一方の植松先生。あ、言っておきますが、スーファミではFFシリーズはドラクエどころか、あらゆる作品の中でナンバーワンだと思ってますからね。でもファミコン時代は違うんです。
「ショボい音3つで曲書けって言われたから書きました。このレベルの楽曲しかできませんでした。でもしょうがないですよね?音3つしか出ないんだから。良いですよね?テレビゲームなんだから」
先述した本人のコメントどおり、「言われたからやっただけ」感が表に出てしまってるんですね。結果、ファミコン時代のFFシリーズは音楽がショボくなっちゃってるんです。これは植松先生だけの責任ではないでしょう。他のゲームを見てみても、おそらく当時のスクウェアのサウンドスタッフってあまりレベルが高くなかったのだろうと思われます。
ファミコンのゲームって一流メーカーの作品と二流以下のメーカーの作品とでは音がまるで違うんですよ。作品の具体例はまた別の投稿で書きますが、例えば任天堂とかコナミとかナムコなんてメーカーは最初から音が違うんですね。で、残念ながらFFシリーズはそうじゃない方だったのです。
ゲーム音楽は音楽ではない、だと!?
さて、この投稿の肝に近づけていきましょう。
あるプロの音楽家は「ゲーム音楽など音楽ではない」と言い放ちました。その対極にいるのが、我らがすぎやんです。
このことは何度も書いていますが、私が自分で買った初めてのドラクエシリーズが「ドラゴンクエストIV」でした。過去3作は、勝手に回ってきて自分で買わなくても遊べたのです。今はそういう慣習も薄れてきましたが、ファミコン時代はそれが当たり前で、人気のゲームはなんだかんだで買わなくても皆遊べたわけですよ。
で、「IV」はなぜ予約してまで当日に手に入れたかったか?大げさではなく、私はドラクエの音楽を聴きたかったんです。「I」は「地味だけどすごく心地良く耳に残るな。イイネ」、「II」では「あれ?音が違う!Iとも違うし他のゲームとも違う!曲も素晴らしい!何これ!!」、「III」では「エンディング聴くたびに泣きそうになるんですけどー!」。ってことで、「IV」は一刻も早くそのサウンドに酔いしれようと、貯めていたお年玉から拠出して手に入れたわけですよ。
その「IV」の楽曲は……なんて話を始めたら本当に終わらないのでここでは割愛。
大事なことは、ドラクエシリーズは、ゲーム自体も傑作だけど、元々音楽指向強めだった私は音楽面でも魅了されたということです。
レトロゲーム音楽は、音が厳選されたオーケストラである
矩形波と三角波という、実に機械的な波形しか作れないファミコンの音源チップですが、そのファミコンからオーケストラが流れてきたわけですよ。「たった3つしか音が出せない」という制約は、そっくりそのまま「オーケストラの音を3つに集約させる」ということを意味しました。ドラクエから流れるサウンドは、何十点もの楽器から重要なパートベスト3が厳選された最小限のオーケストラであるわけですよ。
私はここに音楽の本質を見出しました(素人のくせに)。
私が、ドラクエを含むレトロゲームのサウンドに惹かれて未だに聴いているのは、単に昔を懐かしんでいるわけではなく、そこに分かりやすい音楽の本質があり、最も重要な音が抽出された楽曲が心地よいからです。
もちろん、そういう音楽の良さを教えてくれたゲーム作品はドラクエには限りません。しかし、重厚で伝統あるクラシック音楽の方法論を取り入れ、その時点で30年以上大衆娯楽としての音楽を創り続けてきたすぎやまこういち氏の手掛けたドラクエサウンドは、間違いなくその中核にありました。
とりあえずドラクエ3のED聴いてみよう
ここでドラクエシリーズの好きな楽曲を紹介し始めたらそれこそキリがないので、とりあえず『ドラゴンクエストIII』のエンディング曲である「そして伝説へ」を張り付けておきます。
ドラクエといえば、ファミコン音源の非力さを補うためにアルペジオが多用されているということは先述した通りですが、この楽曲はゆったりから高速まで、ファミコンの機械的な音源による美しく迫力のあるアルペジオが堪能できる名曲です。せっかちな人は1:45あたりから聴いてください。
「すぎやん節」は伝統になるか
聞くところによると、ドラクエの次回作である「XII」についてはすでにすぎやま先生による楽曲が揃っているのだとか。だとするとドラクエ12作目がすぎやまこういちの遺作となるわけで、その次からのドラクエ音楽がどうなるか、ですね。
ドラクエっぽい作曲技法は結構いろんな人が解析されていて、おそらく我々は今後もすぎやん節を聴くことができることと思います。が、そもそも、ドラクエXIIIともなると、ゲームデザインの堀井雄二、キャラクターデザインの鳥山明も70歳がらみでそろそろ引退でしょうが……。ドラクエそのものが他の誰かの手によって受け継がれていく可能性も十分ありますね。
というわけで、すぎやまこういち先生、お疲れ様でした。
亡くなる直前に自身の楽曲が東京オリンピックの入場曲として聴けるなんて、羨ましすぎる人生でしたね。
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