キングコング西野亮廣論

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キングコング西野 お笑い
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お笑いファンから嫌われる西野と中田

さて、ここで私の感覚的な話を。

キンコン西野とオリラジ中田という2人に私が特別な嫌悪感を抱くのは、彼らが仮にもお笑い芸人出身であるという点が非常に大きいんです。

先述の通り、西野にとってお笑いはスターになるためのツールでしかありません。あ、宮迫のことが死ぬほど嫌いなのも同じ理由です。宮迫にお笑いを追求する姿勢は全く見られません。彼にとって「芸能人として売れ続けること」が至上の目的なのですよ。西野は半分敗北宣言をしているようなもので、その分だけは好感が持てますが。

中田は中田で、途中から変な方向に舵を切ってしまい、よりによってダウンタウン松本に噛みつきました。もちろん松本人志だから無条件に正しいなんてことは言いません。私から見て間違ったことも結構言ってますよ。が、問題になったのはまさにお笑い論であり、権威と実力を兼ね備えた松本に異論を唱えるのであれば、最低限お笑いを頑張ってる人間でなければいけないはずなのに、「お行儀の良い芸人崩れサヨク」が何を言うかって話です。

西野はお笑い論にケチをつけないだけマシではあるのですが、今回の岡田批判は中田と全く同罪で、要するに「プロを舐め腐っている」のですよ。『岡田斗司夫ゼミ』を全部観てから言うべきなのです。

西野のオンラインサロンは宗教なのか

この動画は、近畿大学で講演をした時の様子ですが、西野がいかに思想のない人間であるかがよく分かります。

まずこの講演に限らず、彼が喋る時のイントネーション。彼の出身は兵庫県川西市という本来何のクセもない関西弁を話す地域に生まれ育ったはずなのですが、西野は関西弁に標準語が混ざっています。これが関西人からすると、ずっとサブイボが出続けるほど気持ちが悪い。標準語を話すなら標準語にしてしまえば良いのにそうしない。今はこの標準語が混じる割合がちょっと高くなっており、全体の2割近くを標準語のイントネーションになっています。これは彼に理念や思想みたいなものが全くないということの表れでしょう。

そして講演のシメに問題の「時計の話」。時計の針のことを「アイツら」と呼ぶあたりに「どや、わしウィットに富んどるやろ」というクソサブさを感じます。こういう表現、薄っぺらい人が大好きなんですよ。内容的にも全く意味不明で、なぜ長針と短信が重なることが成功の喩えになるのか、サッパリわからんのです。だいたい今時、「努力は必ず報われる」なんてこと恥ずかしくて誰も言いませんよ。百歩譲ってそれがある程度通用したのは昭和から平成初期まで、つまり景気の良かった時代の話で、その後の絶望の「失われた20年」を迎えた日本で、こんな言葉を信じてるヤツはアホだとしか言いようがありません。本当に悪い意味で宗教的なのです。

何をどう見たってインチキにしか見えない西野ですが、それでもオンラインサロンは大盛況。「何者かになりたい」若者が蜘蛛の糸にしがみつくがごとく寄ってきてはお金をくれるんですから良い商売です。何者かになりたいという願望をひと時でも満足させてくれるのは、有名人からのイイネです。ツイッターで「プペ目」で検索してみてください。教祖様に敬虔さを示すべく「今日、〇プペ目行ってきました~♪」と嬉しそうにツイートする承認欲求の亡者たちの姿を見ることができます。

じゃあこの西野のオンラインサロンが全く意味のないことかと言うと、そうとも思わないんです。目下、国内最大となった西野のサロンは数万の会員を誇るんですよね。やっぱり数は力です。どんなバカでも集まれば何かはできる。誰かが事業を起こそうと思ったらその数万人は味方になってくれるんですから、こんな心強いことはないのですよ。実際に多数の信者数をベースにいろんな商売をしているって宗教があるのは皆さんよくご存じのはずで、そういうツールとしては役に立つ可能性は大いにあります。

今後の西野はどうなる?

ロザンの菅ちゃんに「耳から血が出るほど説教された」とあるように、西野は今物凄くテンパってる可能性があります。吉本退社の際に、社員とのLINEのやり取りを実名も隠さず公開してしまうというのはやはり異常としか言いようがありません。岡田の批判に対するリアクションも、いつもの西野であれば面白くはないけどもう少し余裕のある返しをしてたでしょうが、いとも簡単に一線を越える発言をしてしまいました。

そもそも西野はサメのごとく、動き続けることそのものを創造とする「クリエイター」です。一瞬でも止まってしまうとそのカリスマ性が失われてしまう脆弱な教祖です。

今それを客観視して怖くなっちゃってるのではないでしょうか。

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