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3歳児熱湯虐待死事件について~人間は本来ケダモノである~

育児・教育
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ただ怒るのではなく、次の被害幼児を生み出さないために

記事を読むのも辛くなる、例の熱湯で3歳児が虐待死させられた事件について。

 

幼児虐待事件について度々ブログで取り上げていますが、基本的なところでは書くことはだいたい同じです。

この事件についてツイッターで検索すると、皆さんの怒りが爆発している様子がよく分かります。私も強く共感します。私に裁く権利を与えてくれるなら、「そんなことを思いつくのか」という刑罰に処すでしょう。

しかしそれは一時的な感情のガス抜きでしかなく、皆次の日には忘れてしまうのですよ。

我々大人がしなければいけないのは、「次の被害者を生み出さないために何をするべきか」を考えることです。

 

母親は「洗脳」されていた?

次の被害幼児を生まないために考えることは、そもそもなぜこんなことをする大人がいるのかを考えなければいけません。

この犯人の男がクズなのは言うまでもありませんが、この記事で着眼するのは母親です。

この事件はこの時突発的に起きたものではなく、日常的に虐待があったようで、母親だってそれを知っていたのは間違いないようです。

ではなぜこの母親は、自らのお腹を痛めて生んだ、自分と血の繋がった、幼く無垢で無力な我が子が虐待されるところを黙認できたのでしょうか。

このニュース記事では、テレビでもおなじみの犯罪ジャーナリストである小川泰平氏が「一種の洗脳である」と解説しています。そういう説明もできるでしょう。

しかし私がこれから書くことはもう少し大きな視点からです。

 

人間は本来ケダモノである

この記事は、ある女性とジェンダー論について語った際、私が「性的加害者」のように扱われたという顛末を書いた、かなり個人的なものですが、その中には後日論じるべきテーマが散りばめられていています。

その中のひとつに「サルやライオンの幼児虐待の話」があります。

これ、ちゃんと書いたのは以前運営していたブログで今の「知の小人ブログ」では書いたことがありませんでした。ここで改めて書いておきます。

母子がいるところに、血縁も社会的関係もないオスがやってくる。
オスはまず子を噛み殺す。(チンパンジーだと子ザルを岩に投げつけて殺したりするらしい)
その間に母個体は即座にヒート(「生理」と訳されがちだが、月経ではなく、排卵を含む発情状態に入ること)状態に入り、妊娠の準備に入る。
子を殺したオスは遠慮なく母個体と交配。

これがサルやライオンなどの野生動物に見られる自然の掟です。

今の人類には受け入れがたい光景ですが、母個体は自分の子が殺されるのを見て発情し、その後交尾をするわけですよ。

感覚として受け入れ難くても、メス個体は「自分の遺伝子を残す」「より強い遺伝子を残す」指向を本能として持っているため、よく考えれば当たり前でもあります。

ほら、「コブ付き女性が新しい男と良い仲になって連れ子が虐待される」という虐待の黄金パターンに符合しないでしょうか。

我々は、今の人間の価値観でこういう人達に制裁を与える前に、我々人間もケダモノの一種であるということを自覚しておかないと、次の虐待事件を減らすことなんてできないんじゃないの?と言うのが私の見解です。ま、これを言ったら変態扱いされたわけですが……。

 

解決法は教育、金、コミュニティー

さて、先述の通り、人間は本来ケダモノであり、我々の言う「人間性」がいつ喪失し「ケダモノ性」が発現するか分かりません。このような酷い虐待事件を起こすクズどもだって、子供の頃には将来自分たちがそんなことをしでかすなんて予想していなかったでしょう。

では、私たちが虐待事件を減らすためにできることは何でしょうか?

……と考えた時に、私にはとりあえずのところ「教育」「経済援助」「行政主導のコミュニティー」が頭に浮かんできます。

「厳罰化」?全くの無駄です。

刑罰の厳罰化は、ある程度想像力を持つ人間にしか通用しません。それで一般的な人間は多少スッキリするかもしれませんが、問題解決には繋がらないのです。

これは過去にも書きましたが、「懲役3年」と「懲役5年」の差をどうやって比較できるでしょうか。そもそも「懲役」とはどんな生活を強いられることなのか、本当は国民のほとんどが分かっていないことなのに、多少差をつけたところで大した意味はないでしょう。結局これだって教育の問題で、子供のうちに刑罰とはどんなものかも教えておくべきだと私は思います。

さて、「虐待教育」ですが、これはとどのつまり、「生命倫理教育」ということになるでしょう。この中で生命の尊さを教え、かつシンプルに「子供は可愛いぜ~♪」という洗脳(?)をして子作りのインセンティブを与えた上で、「でも君たちの中にはこんなことをしでかす人が現れる」という現実も突き付ける。しかしその前提条件として、母親に対する行政サービスが必要になります。

まさにこれから母親になる、あるいはすでに妊娠している女性や出産直後の母親に対し、十分な金銭的援助と相談窓口を用意する。相談窓口はお役所然としたものではなく、フランクな講習会を設けてママさん同士のコミュニティー形成も支援すれば良い。金銭的援助は必ずしも虐待問題とは直結しないものの、少し大きな話として「幸せな子作り」を実現するために最低限必要でしょう。とにもかくにも、妊娠が発覚したら隠す必要は全くなく、公的機関が全力で援助するという体制が必要だと思います。

まとめ

「子育て」に着目した際、我々が今住んでいる日本社会は、「子供は長屋の全員で育てる」という100年前とは随分違った文化になっています。

核家族化された「世帯」では、そこで何が起きているのか外からはよく分かりません。逆に、長屋文化であればこのような虐待事件は(少なくとも最悪の事態になるまでは)ほとんどなかったでしょう。

これは少子化問題について語る時によく出す例なのですが、かつて評論家の三宅久之氏は「昔は皆貧乏だったが、それでも子供をたくさん産んでちゃんと育てた。現代の若者は甘えている」というようなことを言っていました。これは大間違いで、今の若者だってその時代に生まれていればそうしていたのです。土台となる文化が違い過ぎるのに、安直な古今の比較などできようはずがありません。

虐待事件を見聞きした時にただ怒るだけではなく、今という時代にどうすれば幸福な子育てができるかを考える必要があるかと思います。

 

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