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コロナ禍で利権の食い物にされる子供達。

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議論を滞らせる「も論法」

私がネットを使ってさまざまな議論をしてきたのもかれこれ四半世紀ほどになるでしょうか。

理数系コミュニティだとあまりないのですが、文系コミュニティ(例えば社会問題を議論するメーリングリスト)なんかだとこの「も論法」が目立って煩わしいものになります。

 

私が「コロナは子供にとってはただの風邪」と言えば、必ずこれを言う人がいます。

「未成年でも重症化するケースがある」

未成年で【も】←はい、これが「も論法」です。

「も論法」がそのまま根拠として通用するなら、この世に「妥当な見解」などなくなってしまうのですよ。

返す返す返す返す返す言いますが、問題は数字です。

【も】を言い出したら、インフルで毎年子供が何十人も死んでいたのに、なぜワクチン接種の啓蒙をしてこなったんですか?

答えに詰まりましたね?

それは、あなたがマスメディアしか見ていないバカだからです。

 

ワクチンの有効期間が分からないから子供にも?

ツイッター上でやり取りしたご意見に、

「ワクチンの有効期間も定かでないのだから、子供にも接種して社会リスクを軽減すべきだ」

というのがありました。

しかしながら、ファイザーおよびモデルナのワクチンで言えば、接種後半年間は十分な効果があるとされています。また、有効期間が半年だとしても、半年を越えた次の日にゼロになるわけではありません。インフルエンザと同様、流行期ちょっと前に接種すれば、翌年の同じ時期に再接種すれば十分でしょう。

仮に、半年で完全に有効性がなくなるとしても、それは子供にも接種させる理由にはなりません。重症化・死亡リスクの高い人が再度接種すれば良いだけのことです。

 

「コロナの流行」と「コロナ禍」を切り分けるべき

コロナ禍における「社会リスク」とは一体何でしょうか。

これを考える際に整理しないといけないのは、「新型コロナ感染症の流行」と「コロナ禍」の違いです。この違いを言い換えると「自然科学としてのコロナ」と「社会科学としてのコロナ」になります。世の中の多くの人はこの区別がつきません。まあ、だからこそ「コロナ禍」なんて現象が起きる訳ですが。

「自然科学としてのコロナ」を語るのは簡単で、客観データを羅列すれば良いだけです。

●コロナウィルスの変異種であり、旧来型コロナウィルスよりも感染力や毒性が高い

●インフルやマイコプラズマを含めて、風邪は1週間~10日前後で快復するが、コロナは潜伏期間も症状が続く期間も長い。

●しかしながらそのリスクは基礎疾患を持つ者と高齢者に集中する。死亡時平均年齢は感染者数の多少に関わらず、概ね平均寿命前後である。日本の場合は81.4歳。

●「コロナが原因で亡くなった人の数」という統計は存在しない。

●日本においては未成年者の「死亡者」はゼロ、「重症者」は1人。

と、まあこんな感じですね。

 

次に「社会科学としてのコロナ」ですが、

●簡単に採れて必要な統計なのに、政府も医師会もマスコミもそれをやろうとしない。

●代わりに「研究者」はそのことを指摘せず、「40万人が死ぬ」などと国民の不安を煽る。

●アサッテの方に向いた統計を「コロナの怖さ」を表す指標として使用、国民はそれを信じ込む。

●なぜか民間病院の医師に大きく偏る日本医師会がコロナ禍において絶大な発言力を持つ。

●医師会にとって「コロナ禍」はビッグビジネスであり、「社会不安」をカードに政府から金をむしり取ろうとする。

 

ま、書いていけばキリがないのですが、社会科学的な意味でのコロナ=コロナ禍というのはこういうものです。もっとも、医師会会長なんかに言わせりゃ「違う!」ってことになるんでしょうが。

 

「社会リスク」とは何か

さて、「コロナ禍は医師会が利権膨張のために創り出したもの」だとして、「未成年へのワクチン接種」はどう捉えるべきでしょうか。

まず、科学的には未成年にワクチン接種する意味は全くないどころか、マイナスの方がはるかに大きくなります。それはこの記事でも前回の記事でも書いていますが、30歳未満の若年層においては、死亡どころか重症化リスクもほとんどない上に、その若さゆえに副反応が出やすく、24歳を中央値として【想定以上の】心筋炎発症数が報告されています。

この心筋炎が場合によって心不全を起こし得るのか、心臓に不可逆的ダメージを与えるものか、素人の私には分かりませんが、「ワクチンを射つリスク」と「ワクチンを射たないリスク」を比較すると、後者はほぼゼロなので、ゼロと何かを比べたらゼロの方が小さくなるに決まっているのです。

 

一方、社会科学的な意味を考えた場合、それはつまり、「社会不安を減じる演出」でしかありません。つまり、「できるだけ多くの国民がワクチン接種すれば日本全体が安全になるだろう」と。

しかし、残念ながらそうはいかないのですよ。

コロナ第1波が収まりかけた頃、にわかに「後遺症」の話が出始めたのを憶えているでしょうか?

批判を浴びながらGoToトラベルキャンペーンを実行したけど、結局感染者は増えるどころか減っていったのに、それを反省もしないで、どっかのエライ学者さんが「GoToトラベルで感染者が増えたような気がしないでもなくもないってハンバーガー食いながらJKが言ってた」みたいな研究報告をしたことを憶えているでしょうか?グラフを見れば関係ないのは一目瞭然なのですが、GoToトラベルによって感染した人が1人でもいればこのセンセーの言うことは「正しい」ことになってしまうトリックですね。

「若者にも重症者が!」と煽りながら、その数字を出していないことを分かっていますか?

そもそも、緊急事態宣言にどれほどの効果があったのかを政府が総括していないことを皆さんは認識していますか?

 

「社会不安」などいくらでも創り出せる

つまり、日本医師会という強大な組織の利権の維持・拡大という力学においては、「社会不安」などいくらでも創り出してしまえるのですよ。

その文脈における「未成年者へのワクチン接種」は、国民を人質に取った医療テロリストに身代金を支払うことに他なりません。

テロリストの要求に応じることの問題は常々論争になります。すなわち、「次の事件を誘発することになる」という問題です。

テロリストの要求に応じて身代金を払えば、その案件に限っては速やかに解決するでしょうが、味をしめたテロリスト側は次の事件を作り出します。

今般の「コロナ禍」の最大にして極めて深刻な問題はまさにここにあります。

 

「コロナ禍」最大の問題とは

「コロナ禍」の最大の問題を短くまとめると、

新興感染症の流行という災禍に見舞われた時のマニュアルを作れなかった

ということになります。

特定利権組織が作り出した虚構の「リスク」をマスコミが増幅し、国民に虚構の「不安」を浸透させる。責任を取りたくない政府は、コロナの指定感染症レベルを下げもせず、法改正もせず、重要なことは自治体に丸投げ、自分は最も無難な「緊急事態宣言をダラダラ続ける」ということに終始しました。

結果、うつ病患者を倍増させ、女性と子供を中心に自殺者を増やし、飲食店を中心に企業の倒産を招いただけで、次の同じことが起きても良いような準備など何一つできないままなのです。

 

フローチャートで物事を考えろ

さて、突然ですが、私は目下のところ、政党としては維新の支持者です。以前にも書きましたが、今の維新は「橋下徹が創った」というところがポイントでして、橋下氏は創始者でこそありませんが、初期の維新をうまい具合に醸成させたキーマンだったのです。

橋下氏の偉大さは、

「今の行政は特定利権団体によって歪められ、住民に不利益をもたらしている」

ということを抽象化し、大阪府民・市民にステルス化した利権とその弊害を明確に教えたことにあります。そして彼はその思考法および論法として「フローチャート的思考」を使っていました。あ、この「フローチャート的思考」は私が勝手にそう呼んでいるだけであって、彼が言ったものではありません。

フローチャート的思考とはどういうものかと言うと、目的を明示して、その目的達成のための方法論を機械的に構築する、という思考のことです。同じような思考回路の持ち主には、ひろゆき氏や辛坊治郎氏なんかがいます。

分かりやすい一例を挙げると、橋下vs百田・有本の「靖国論争」がありました。橋下が「総理大臣や天皇が靖国参拝できない現状をどうにかする」という目的を明示した上で、その方法論として「A級戦犯を分祀する」ということを提言したところ、百田有本ペアが「アホかボケか国賊か!」とバーサーカー状態になっちゃったという論争です。私は、A級戦犯分祀に賛成はしないものの、アプローチの仕方としては実に真っ当であると評価しました。そこにさらに問題があるとするなら、その問題の解決法を探れば良いのです。ところが百田有本には目的なんぞありませんから、ネトウヨ的にピギャー!と喚くだけ。もちろんこの2人の言うとおりにしたって天皇の靖国参拝など実現できるはずもありません。

 

なぜこの文脈において橋下徹の話を挟んだかと言うと、我々日本人は今、何を目的にしているのかを見失っているからです。

政府の義務は国民の健康・安全を守ることであり、本来、新型コロナウィルスは、その負の要因のひとつに過ぎません。コロナがあろうがなかろうが、我々は安全で命が守られればそれで良いはずなのです。さらに、コロナで1人の命を守るために別の3人の命を犠牲にするなんてことがあってはいけません。コロナで1人の老人の命を守るために若い1人の命が犠牲になるなんてこともあってはいけません。

しかし残念ながら、医師会とマスコミによって洗脳された国民は、その本来の目的を見失い、「コロナ=悪」「ワクチン=善」というシンプルな等式こそを教義としてしまっているのです。

インフルエンザで1万人死んでようがコロナで千人死ぬ方が重大だ

コロナ禍で3桁の未成年が自殺しているけど、コロナで死んだわけではないので問題ない

お爺様がガンで亡くなった?良かったですね!コロナじゃなくて

将来何があるか分からないワクチンだけどコロナで死ぬよりマシだから子供にも射て!

…とこうなってしまっているのです。

じゃあフローチャート的にコロナ禍をどう捉える?

あくまで目的が「国民の安全・健康」であるとするなら、まずは新型コロナ感染症がどれほど怖いかという相対的指標を作る必要があります。これを厚労省も医師会もやってこなかったのですが、国民もバカなのでそれを指摘できません。

野党は故意に「経済と人の命、どっちが大事なんだ!」と言いますが、どう考えたって命は経済の上で守られるものなのに、こういう答えにくい形の指摘をするわけです。首相だって「経済は命だ」と答えりゃ良いんですが、そんな根性もない。

メディア(に出てくるコメンテーター)もバカで、「命を危くしてまでオリンピックをするべきか」なんてことを言いますが、冬季五輪を観に行ってインフルに罹って死んだ老人なんてこれまで五万といただろうに、何言ってんだって話です。

あるいは日本人は毎年交通事故で4000人死に、その何百倍もの怪我人と後遺症を生み出していますが、「自動車禁止」なんて話にはなりません。昨日も10人死に、今日も10人死に、明日も10人死ぬのが確定しているのにです。つまり、この死亡者や怪我人は、日本社会が受け入れるべき犠牲であるという共通認識があるわけですよ。

そんなこんなを相対評価しながら並べて、最も妥当な解決策を策定および実行するのが政府の役割です。してないけど。

とりあえずのところ、コロナ死亡者のほとんどが高齢者(平均年齢81.4歳)と基礎疾患を持つ人ってことなので、高齢者3000万人+基礎疾患を持つ人1000万人にワクチンを接種した上で、

「これで死亡者は激減します。残りの人にとってコロナはただの風邪同然であり、集団免疫など考えなくても大丈夫」とアナウンスすれば、コロナ禍は終わるはずです。マスコミが正しく報道さえすればね。

 

まとめ

mRNAワクチンは多分怖くありません。それほどリスクが高いならなんかあった時に薬剤メーカーや責任を請け負っている政府がただでは済まないでしょうから。それでも自信を持って供給しているのだから、それなりに安心して良いと思います。

私は、ワクチンの怖さを喧伝しているのではありません。射つ必要のない人に射つな、と言っているだけです。テロリストに成功体験を与えるな、と言っているのです。

医師会は「ワクチンどんどん接種したいけど人手が足りないわ~!」と言いながら歯科医師会が協力を申し出た途端「いや、大丈夫ですから」と渋った程度には、ワクチンはビッグビジネスです。

もし今の流れで子供達へのワクチン接種が進んだとしたら、子供達が特定利権組織の金儲けの手段に使われたという負の歴史が刻まれることになるのです。結果から逆のフローチャートを描くと、利権が全てを動かした挙句、次の新興感染症襲来のための準備が何一つできなかったことになるわけですよ。

本当にこれで良い?それが倫理的だと思う?

 

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