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トランプ大統領アカウント永久停止は重大な反則

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私はツイッターブロックバージン

まずは私のツイートまとめを。

このアカウントを作ってまだ5年足らずだが20数人からブロックされているらしい。一方私はツイッターを使い始めて11年以上経つが、いまだブロックバージンである。

私がフォロワー数万単位のインフルエンサーならともかく、3桁の零細ツイッタラーをブロックする意味なんてどこにあるんだろうか。私のツイートなんてなかなかRTもされないんだから、放っておけば良いと思うんだが。

私程度のアカウントをブロックしてる人のブロックリストって大変なことになってるんだろうね。有名人では百田尚樹、有本香、小西ひろゆきが確認できているが、ブロックリストだけで数千いるんじゃないの?

私が誰もブロックしないのは、一つにはバズることもない私のようなアカウントは、誰からも物理的に迷惑を被ることがないから。そしてもう一つは、好む好まざる関係なく、情報を遮断するということはしたくないからだ。

「気に入らないヤツは排除」って、ヒトラーとか過激な社会主義の権力者がやってきたことじゃん。何より、自分で言うのもなんだけど、批判をしたことはあっても罵倒なんてしたことないぞ。

百田は政治的言動が気に食わなかった佐藤浩市を「三流役者」と呼んだが、同じく佐藤が気に食わなかった私は「役者としては別。関係ないことを持ち出すべきではない。『お前のかーちゃんでべそ』のレベルの幼稚な言動」と批判。これ気に入らんかった?

そういう意味では、応援している河野太郎も同じ罪を犯していることになる。議員、特に政府の重役に就いている者は、誰であろうとブロックなんかするべきではない。問題があるなら裁判すれば良い。自由にやりたいなら匿名の別アカ作れって。

 

このツイートをした次の日、辛坊治郎氏がラジオで同じ趣旨(ブロックをしたことがないこととその理由)のことを言っていて驚きました。もちろん、偶然です。この前日に収録されたはずの『そこまで言って委員会』でも同じこと言ってましたからね。

 

トランプ大統領のアカウント永久凍結

辛坊氏の発言はこの「トランプ大統領のアカウント永久停止」というニュースの文脈においてでした。

このニュースを聞いた時は私も驚きました。

こんなこと絶対にやっちゃダメなんですよ。

ツイッターと言えば今や世界を代表するSNSであり、極めて公共的な情報インフラとなっています。それが経営者の権力を使って、特に法を犯してもいない者に対して「使用禁止」と言うのは、差別であり、言論弾圧なんですよ。

辛坊氏いわく、「アメリカにおいて『言論の自由』は合衆国憲法で規定されており、その理念は厳格に守られてきた。これほど言論の自由を重視するのはアメリカとアメリカに倣って憲法と放送法を作った日本だけ」(主旨)とのことで、そんなアメリカの民間企業がアメリカの現職大統領の言論を封じるのは異常だと。

たとえトランプ大統領の言うことが間違いであっても、発言する自由は極限まで守られるべきだし、その発言の“有害性”は司法が判断すべきであって、一企業がやるべきことではありません。誰かの発言が間違いだと思ったら、それに反論すれば良いだけのこと。お互いに自由でなければいけないのです。

心配しなくても、SNSが詐欺やプライバシーの侵害などに利用されたら、それはそれで法で裁かれることになります。もしトランプさんの発言に重大な問題があると思うのなら、それを取り締まれるような法律を作ると言うのが民主主義の手法でしょう。

もちろん同じことはYoutube等にも言えます。こういう言論コントロールを選挙で選ばれたわけでもない一企業の経営者に許してしまったら、今後彼らの政治思想でいくらでも世論誘導できてしまうことになるわけですよ。

 

「ツイッターは家と同じで」

ここから余談。

ツイッターが日本でサービスを開始してまだ1年も経ってなかった頃ですかね、ということは10年以上昔の話なんですが、無言でフォローしてくる人に対して、
「無礼だ。ツイッターは家のようなもの。インターホンも鳴らさずに入ってくるな」
というツイートが軽くバズったことがりました。

笑ってしまいました。

松本人志なんてフォロワー800万人を超えていますが、フォローされる度に挨拶送られてきたら大変ですよ。「やおよろずのフォロワー」から届く800万件の挨拶すべてに目を通せと?(笑)

その昔、2ちゃんねるでは「自治厨」なんて言葉が流行りましたが、このアカウントさんはまさにこれ。「ルール、礼儀をこのオレ様が教えてやる」という意識が脳のどこからか沸いてしまう幼稚な人格の持ち主だったのでしょう。

 

そもそもツイッターとは「つぶやき」でしかないのですが、そのつぶやきは全世界に発信されることが前提です。「ツイートする」ボタンを教えてそこに何か書けば、何十億というボトルメールを海に流すのと同じです。書いた本人だって宛先を書いているわけではありません。

「フォロー」とはそのボトルメールを拾い続けるということであって、その時に挨拶なんか要るのか?って話ですよ。

 

そもそもインターネットは開放された自由な空間

むかーしむかしのお話。2ちゃんねるもなかった大昔。一部のインターネットユーザーはeメールのシステムを使って参加者全員に自動でメールが届く「メーリングリスト」というサービスで不特定多数間のコミュニケーションを楽しんでいました。

私はある言論系MLの主要参加者だったのですが、そのMLの管理者が行方不明になり、新しいMLを作ることになりました。主要参加者のうちから新管理者を決めるわけですが、その人はわざわざ、「会員登録しないと過去ログが読めない」という閉鎖的な設定にしてしまったのです。

「以前のMLは過去ログ公開だった。どこの誰でも読めるからこそ気軽に誰もが参加できて参加者が増え、議論が活発になった。非公開設定にするなら私は参加しない」と私は猛反発。

 

これ、日本人の悪いところで、一旦仲良しグループができてしまうと、その仲良し度を増強しようとしちゃうんですよ。これがムラ社会の原理なんです。

もちろん私にも仲良しのメンバーはたくさんいましたが、それは「結果」です。相手が誰であろうと議論が始まれば別。違うと思ったことには激烈に異論をぶつけ合う。だからこそ議論が多様で建設的で「観客」にとっても面白かったのですよ。仲良しグループなんかクソ食らえです。

先述の「ツイッターは家のようなもの」ツイートをしたアカウントさんもムラ意識の強い人だったのでしょう。大きな集団の中で小さなクラスターを作り、ローカルルールを儲けたがる。ローカルルールと意識してのことなら良いけど、それが普遍的な価値観であると勘違いしてしまう。

そもそもインターネットの発祥とはアメリカの軍事コンピュータネットワークです。そのネットワークを徐々に広げていって軍需産業とは関係のない組織、果てはただの民間人にまで開放したのが今のインターネットです。

それまでのパソコン通信は特定の業者が特定のサーバーコンピュータを用意し、お金を支払って会員登録した人に使わせるというもので、その所有者は、例えばニフティーサーブならニフティーサーブ、PC-VANならPC-VANだったわけですが、インターネットには所有者はいません。

インターネットは今や世界中の人にとって生活に欠かせないものであり、何か欲しい物があったらAmazonや楽天でポチるのが当たり前ですが、起源はお金の動かないボランティアで運営され、コンピューターやスマホを持つ人全ての共有資産であるわけですよ。

インターネット使うのにソフトバンクに金払ってるって?ソフトバンクは「サービス供給者」であってもインターネットの「所有者」ではないのですよ。

 

ツイッターやYouTubeなどの巨大なサービス業者から我々ミクロな分子に至るまで、こういう理念を忘れちゃならんと思う寒い朝なのでした。

 

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