大坂なおみの「白人化」問題
日清のCMでアニメとして描かれた大坂なおみが「白人化」しているとして批判され、日清がアニメを削除することになったとのこと。
見てみれば確かにアニメの大坂選手の肌は白く、髪の毛のクネクネもマイルド化されていますわな。
この批判に真っ先に同調したのが蓮舫議員ってことで、この問題の騒がれ方がブレブレになっちゃってるんですが、私だってこのアニメを見て、これが大坂なおみだなんて思いませんよ。
日清側がこういう「処理」を施した前提には、1年ちょっと前のガキ使『笑ってはいけない』における、浜田のエディー・マーフィー扮装の問題があることは明らかですね。
『笑ってはいけない』の“人種差別”を考える | 知の小人ブログ
概ね、話の根幹部分はこの記事に書いているので、今回は補足的に。
我々は黒人を特別な目で見なければいけないのか
ガキ使のエディー・マーフィーが問題にされた際、あるアンケートでは7割の人が「問題ない」という回答をしたとか。でもそれ、日本人に聞いてたんですよね。(黄色人種という意味での)日本人の意識調査も大事ですが、それよりこの場合は、同時に黒人にもアンケートを採らなければならないはず。
アンケートを採って、もし過半数の黒人が「否」という回答を出せば、我々は反省すべきということになります。と同時に、我々は黒人のことを特別な目で見なければならないということを意味します。残念ながら。
ガキ使騒動の際、差別だと批判する立場にあった黒人作家バイエ・マクニール氏は、日清CMのアニメを見て、「なおみと錦織の肌の色は同じだな、よしよし」とでも思ったのでしょうかね?
肖像画も肖像彫刻も全て燃やしてしまえ
アニメで人間を描く場合、ほとんどは「誰かの肌色」をモデルにしているはずですが、それが誰であれ、実在する人間から採った色であれば差別になるわけですよ。だったら今後、現実にはあり得ない色、例えば銀色とか完全な赤とかを使って人間の肌を描かなくてはならなくなりませんか?
肌の色だけではありません。目を一重にしたら東洋人差別、髪の毛がカールしてたら黒人差別、といって髪の毛を再現しなければハゲ差別、鼻を高くすれば白人差別、ありとあらゆる肉体的特徴は差別になり得ます。
だとすれば、これまで人類が芸術として残してきた、肖像画や肖像彫刻もほとんどを破壊する必要があります。それらは肌の色を含めて肉体的特徴を写実的に描いているわけですからね。
さてさて、大坂なおみの本心を推察するに、本気で「どうでもいい」のだと思います。おそらく何かしらの差別(それは日本人には想像できないレベルかもしれない)はこれまで受けてきたでしょうしね。アニメで肌の色を白くしようが黒くしようが、差別がなくなるのか、と。
おまけ
主題と関係ありませんが、大坂なおみが日本人なのかどうかという議論もいかがなものかと思って観察しておりました。日本生まれで日本人の名前なんだから、そりゃちょっとは日本人でしょう。でも文化の要である日本語がカタコトって、それってアイデンティティーを共有していると言えるの?と。
だからと言って大坂なおみを応援するのがナンセンスという訳ではなく、何人だろうが彼女に魅力を感じたら応援すりゃいいだけのことでしょう、と思うわけです。
私のこの感覚があまり平均的でないことも自覚の上で、そもそも私はオリンピックも見ないし、地元の高校野球部が甲子園に出ても全く興味を持てないんですよ。こういうのはサイコパスに多いらしいです。
ちなみに、女子テニスと言えば、シュティフィー・グラフが好きでした。
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