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【大阪都構想】憲法の基本原則から考える、府域住民投票の問題点

政治・経済
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自治体の首長に合憲性を判断する権能はない

大阪都構想の住民投票府域拡大という目論見において、維新・吉村代表は、

住民投票の範囲は法定協議会で決めようというたて付けの法案原案だ。憲法違反ではない

と述べている。見事な不見識だ。

政党代表はもちろん、一地方自治体の首長に合憲・違憲を判断する権能はない。もちろん、こういう解釈はあって良いし、主張したいことは主張すべきだ。

だが、仮にも公権力に就く者が「合憲である」とか「違憲ではない」など(あるいはその逆)と【断言】するのは非常識も甚だしい。

「カクカクシカジカのような理由で、我が党は憲法上の問題はないと認識しております」

と言うべきなのである。これは重箱の隅を突くような話ではなく、常々申し上げているように、権力を持つ者が立場と道理を弁えているかどうかという重要な問題だ。吉村氏はずーーーーーっと間違え続けているのである。

 

地方自治の問題の比較に人権を引き合いに出す詭弁

 

「憲法って基本的人権に関する規定というのはかなり詳細なルールがあります」

と、ここでは基本的人権を引き合いに出している。アバウトにしか書かれていない地方自治と比較したいらしいが、いったい憲法のどこに基本的人権について【詳細に】書かれているというのだろうか。たしかに、相当の文字数は費やされている。だが、それでも「人権とは何か」について足りているわけではない。それはいわゆる「人権問題」に境界線などないからだ。

一方で、地方自治についてはかなり線引きしやすい問題である上に、地方自治に抵触するような案件は(人権問題に比べて)圧倒的に少ない。我々の社会において、地方自治の概念が問題になるケースそのものが極めて限定的なのである。つまり、人権を引き合いに出して地方自治の法的扱いを語ることが大間違いであり、それは不見識か誤魔化そうとしているかのどちらかでしかないのだ。

結果として、住民投票の府域拡大という邪な術策は高市総理以外の自民党勢力によって阻止された。もちろん反対した自民議員には、大阪維新との関係など党利党略があったかもしれないし、その逆に遵法精神が勝ったからかもしれず、何とも言えない。間違いないことは、遵法精神や民主主義を尊重する人達にとっては「最悪の事態は免れた」形になったということだ。

 

スジ論のない都構想住民投票範囲拡大案

おさらいを含めて、一連の騒動の何が問題だったかを改めて考察する。

吉村氏が初めて住民投票の範囲を府域へ拡大する案を口に出した際、「~という声もある」という他者を主語に置いたニュアンスだった。代表就任後に3度目はやらないと言った都構想に手を付けるべく党内でプロジェクトチームを設置した時と同じやり口で、自分を主語にしないことで責任を回避するためであることは疑いのないところだ。

自分が主語なら「そうすべきである」というべき論を主張しなければいけないが、他者なら「その声に応えて」という形をとれる。そして「府域に拡大することも【できる】」という言い方をしたのである。その勢いで、ベキ論もスジ論もないまま、しれっと副首都法案の付則に「都構想の住民投票も府域でやっていいよね♪」と入れてしまう。これほど見事な卑怯で姑息な仕草もなかなか見られるものではない。

スジ論べき論がないので、それを無理やり正当化させるために、吉村氏や青柳氏は「違憲ではない」ことの言い訳を始めたのだ。吉村氏はともかく、頭の良い青柳氏はこのことが問題であることを分かった上での振る舞いだったのだと私は確信している。それはもちろん、この後の論功行賞を期待してのことだろう。

 

「法制局」ってなに?

その説明の中で青柳氏は「衆議院法制局のお墨付きをもらってる」ということを根拠にしている。では「衆議院法制局」とは何ぞや?という話からしなければいけない。

「法制局」には大きく2つあって、「内閣法制局」と「衆議院/参議院法制局」に分かれる。共通しているのは「その法案が一般の法律や憲法に抵触しないかどうかを審査する機関」という点だが、実は性質が違っていて、内閣法制局はどちらかというと受動的で厳格な審査をするのに対し、両院法制局は法的な審査は比較的緩く、局員は議員に積極的にアドバイスもする。これは、閣法が基本的に多数派である与党による立法で、ほぼ間違いなくその法案が通るという前提で、権力の暴走を抑えるのが目的である内閣法制局に対し、野党を含む、実質的な権力の弱い一般の国会議員が提出する法案に対してサポートする両院法制局、という性質の違いだ。簡単に言えば、内閣法制局はブレーキ、両院法制局はアクセル、と言える。

冒頭の話に戻るが、「法制局」とは言え、法的な正邪を判断する機関ではない。適法性・合憲性を判断するのは地方の首長でも、国会議員でも、法制局でもなく、裁判所なのである。法制局は、無駄な審議を省いたり、弱い立場の議員のサポートをしたり、与党の暴走を抑えるためのブレーキだったり、要するに「権力はないけど事前審査をする機関」でしかないのだ。

ではそれぞれの法制局を通って出された法案に後に違憲判決が出されたケースはないのかと言うと、合わせて十数件ある。これを多いと感じるのであれば「だって法制局は裁判所じゃないからね」と答えるし、少ないと感じる人には「そもそも政治の範疇で決められたことに、裁判所はあまり関わろうとしないという文化があるから」という答えがある。

 

政治家が心得るべきことは憲法の趣旨である

維新の姿勢はまさに後者で、法制局さえ通ってしまえば、その後司法案件にするためのハードルが非常に高いのである。

司法が政治の合憲性判断に関わろうとしないのは、そこに、国家運営上の重要な価値観として、法治主義とは別の民主主義という概念があるからだろう。そもそも憲法なんてものは「方向性」を示すだけで、「定量的価値判断」はほとんど記述されていない。人権という概念がもっとも分かりやすく、どれほど人権が守られているかを数値化することなどできない。「白と言われりゃ白とも言えるが、黒と言われりゃ黒という気もする」というのが憲法であって、それが当事者で解決できなかった場合の最後の手段として司法に委ねるというやり方が用意されているだけなのだ。つまり、ある意味、性善説的に政治家に任されているわけである。

では政治家が心得るべきことは何かというと、憲法の立法趣旨である。「違憲ではない」ことの言い訳をこねくり回し始めた時点で、道徳的にアウトだろう。維新は、地方自治の重要性を唱える政党だったのが地方自治の理念を軽んじるようなことを企てるも未遂に終わり、最も遵法精神を持つことを期待されていたはずなのにそれもなかった、ということである。

 

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