の続き。
私が自信を「発信者」を自認したきっかけは橋下徹の引退
橋下徹が大阪府知事に就任したのが2008年で、大阪都構想をぶち上げたのが2010年、そして大阪維新の会設立が同年の数か月後。短いが非常に濃密な期間だ。そして、維新と言う政党が大阪都構想のためにできた組織だと言うことが改めて分かる。
橋下政権期間において、私のSNS参加姿勢は主として「観察者」だったので、積極的に発信はしなかった。元々趣味垢しか持っていなかったが、そこでたまに政治に関するツイート(現・ポスト)をしたくらいだ。
だが、橋下政権のクライマックスである初めての「大阪都構想住民投票」で変わる。ご存じのとおり、住民投票は否決で幕を閉じ、橋下徹は約束通り政界を引退した。その時に、民主主義の残酷さを思い知らされると同時に、「支持者とSNSの役割」について自分なりの見識を固めたようなところがある。
橋下徹のSNS発信は全ての政治家がお手本にすべき
趣味垢で政治や小難しい社会問題なんかを語ると場違い感がすごい。そこで橋下勇退後に作ったのが今のアカウント(https://x.com/shorice_hitotsu)である。長年運営しているブログも、今のサーバーにして投稿内容も政治に偏るようになったのもこのあたりだったはずだ。ちなみに、このアカウントを作って最初にフォローしたのがこの2人だった。

実は政治家としての橋下徹と、日本版ツイッターはほぼ同期だ。もっとも、橋下徹のアカウント稼働は2011年からだが。古くからの維新支持者ならよくご存じのはずだが、橋下徹はえげつないレベルでツイッターを利用した。ひょっとしたら三つ子なのでは?と疑ったくらいの分量を毎日投稿していた。分量だけではない。論理的かつ刺激的で、大阪府政・市政に直接関わることから国政まで、政治家として語るべき課題には逃げも隠れもせず投稿しまくっていた。私はよく、「橋下徹のツイートを並べるだけで政策論文になる」と評していた。今の政治家のSNS利用姿勢を見て甘っちょろく感じるのは、橋下徹がハードルをめちゃくちゃ上げてしまったせいでもあるだろう。
SNS黎明とシンクロしていた橋下徹の現役時代
話を戻すと、私がこのアカウントを作ったのは、趣味垢の時のように、「フォロワーのご機嫌を窺ってなるべくケンカしないように……」なんて姿勢では本当の政治的発信ができなかったからだ。結果として誰かと仲良くなることはあっても、それを優先はしない。フォロワーに嫌われようがリムられようがブロックされようが、誰にも憚らず阿らず、自分が信じる正しさ(ここは正確に言えば、自分なりの論理で構築した”正しい理論”)を発信するために新しいアカウントを作ったのである。その瞬間を切り取れば「仲間」や「友人」らしき人もいるが、それはかりそめのものであり、いわゆる「仲間」がともすると「ヤンキー集団」の元になってしまう怖さは過去にも主張している。
と、振り返ってみれば橋下徹の政治家活動はSNSの本格的黎明とリンクしていたことがよく分かる。この時期、積極的にSNSを使う政治家こそやる気のある政治家だったと言えよう。また、特に2010年代前半は、有名人と一般人の関係に内包される形で、政治家と有権者の距離が一気に縮まった期間でもあった。政治家のツイートにリプを付けたらリプを返してくれたり、一般人の単独ツイートを政治家が引用したり、政治家と相互フォローになったり、と。無名な政治家志望者を世に出すために一般人が動き、音声メディアで対談を配信、なんてこともあった。今ではかなり普通に行われるSNSの文化になりつつある。
2つのロスで憔悴しきった維新界隈
都構想住民投票否決と橋下徹という2つの大きなロスによって、維新界隈は一旦大きく凹んだ。絶望の中、維新はこれからどうなるのか、どうすればいいのかと言う話が盛んに交わされた。そこで必ず出てきたのは「橋下さんはいつ復帰するのか」そして「次の橋下徹はいつ現れるのか」というぼんやりした希望論だった。
だが、そんな話はどこまでも詮無い。誰か1人に強く依存する政党など脆弱だし、偶発的要因に期待するようになってはおしまいだ。私はこういう性格なのであまり感情が動くことはなく、前提が変わったら変わったで「今、現役の維新政治家は何をすべき、支持者としては何ができるか」を考え、提案してきた。
「維新=橋下党」という等式は崩れたし、むしろ積極的に崩すべきだった。橋下に依存しない維新とは、橋下の功績を抽象化し、確固たる理念を再構築し、それを次の世代が受け継ぐことである。橋下徹ほどの頭脳と度胸がある人間はほとんどいなくとも、橋下徹の真似はできる。その真似をするために、理念の再構築=「維新とは何か」を再認識する必要があったのだ。何より、橋下がいなくなっても、橋下の功績は次の世代の政治改革に高い下駄を履かせてくれる大きな遺産になる。
SNSによって選択肢が増えた支持者の活動
ここで支持者のSNS利用姿勢の話に戻る。支持者の目的は維新の党勢拡大なのだから、そっちに向いた発信をしなければならない。当時から私がよく言っていたのは「身内で回す100いいねより、新規の1いいね」だった。この「身内の100いね」と「新規の1いいね」は非常に微妙な関係にある。新規の1いいねを実現するためには、身内の100いいねが必要である。その反面、支持者がちょっとでもバランスを崩すと、身内の100いいねが新規の1いいねを遠ざけ、さらには100いいねが99いいねにもなりかねないのだ。
つまり、支持者のSNS支援活動は党勢拡大どころに資するどころか、ともすると党勢縮小の要因になってしまうのである。この辺の話は、過去に書いた「推し活政治」や「ボランティア論」に詳しく書いている。
ここで先日Xで、別の人のポストに引用する形で書いたコメントをセルフ引用しておく。
なんで私が「パブリックの目を持て」と言うかと言えば、もちろん直接的な党勢拡大に繋がるからと言うのもあるが、それより「第三者が見ても何を話しているか分かる」発信の仕方をクセ付けないと、自分が良いと思っていることがなぜ良いのかを説明できないからだ。
人は心地良い方へ行こうとするので、理解・共感の度合の薄い人と話すことを避けるようになる。自分の集落だけに通用する酷い方言で話す方が楽なのだ。ここには大きな違いがあって、集落や家庭内は、表情やトーンで理解してくれるから、語彙力や論理的説明力がなくなっていくのよ。
政党の勢力拡大を考えると「身内で回す100いいね」よりも「新規の1いいね」の方が価値がある。この新規の1いいね獲得のためには、グローバルな言語能力が必要になる。強い方言や指示代名詞と擬音だけで通用する家庭内の言葉では外の世界に通じないのだ。
これは「政治家は説明できないことをやってはいけない」という持論に繋がるのだが、多分それは後日、このシリーズの外で改めて書くことになると思う。





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