あまりタイムリーなネタは扱わないが、結構重大な事案なので、走り書きで。
自民党大会で自衛官が登壇
自民党党大会で自衛官が【制服で】出席し、ステージで君が代を斉唱して問題になった件。
こんな話、最低限の分別のつく社会人なら言語道断と断じなければならない事案だ。まず法律面だが、国家公務員法第102条と人事院規則14-7によって国家公務員の政治活動は禁止されている。
しかし、そもそも法律なんて持ち出す必要はない。適法性を語り出したら、「逮捕されてないなら合法」みたいな暴論を許すことになるからだ。
この話は、法律よりもっと根本的な「文民統制」の理念で語られなければいけない。
文民統制とは
一般的な先進国であれば、軍事力は「文民統制」という理念に基づいて制御される。簡単に言えば、軍事力は政治家(政府)の命令でしか動かせない、さらに乱暴な言い方をすれば「軍事力は自らの自由意思を持ってはいけない」とも表現できる。
軍事がどこまでも厳格に扱われるのは、警察力と並んで、それが「実力組織」であるからだ。我々一般国民がとりあえずのところ、平和で秩序だった社会で生活できているのは、法が機能しているからだが、その方は権力者によって制定され取り締まられる。その権力者が権力者たりえるのは、自衛隊と警察と言う実力組織の制御権を与えられているからだ。
文民統制下における実力組織が忠誠を誓う先は、「国家(全国民)および法」であって、特定の人物や政党であってはいけない。自民党党大会に高市早苗という人物が参加しているが、この時の高市さんは「自民党総裁」ではあるが「内閣総理大臣」ではない。維新・藤田共同代表が言うように、当然ながら「不適切」なわけだが、「うかつ」と言うのは表現が甘すぎるように思う。
ネトウヨに阿る「ファッション保守」
橋下徹氏がしきりに高市総理を「ファッション保守」と批判しているが、私もそういう印象を持っている。言っておくが、私は高市さんが嫌いではない。あのキャラクターはなかなか稀有だし、総理大臣として活かせるものだと思う。が、政治思想的には「保守」をアピールしたいがあまりに、ネトウヨへの阿りになってしまっているのだ。本当の保守であるなら、こういうところでしっかり分別を見せるべきであって、ネトウヨに向かって「ほら、こういうことでしょ?もっと私のことを好きになってね♪」というメッセージを送るのは違うだろう。
実際、冒頭に張り付けた記事はXでもポストされているが、そこについているコメントが「国歌を歌って何が悪い!」というどうしようもない排泄物リプで溢れている。『君が代』を歌うのは自由だし、それが自衛官であってももちろん構わない。問題は、自衛官が制服を着て政党のイベントに出向き、国歌斉唱したということだ。ま、言うまでもないのだが。「国歌を歌って何が悪い」という批判では、こういうシチュエーションで歌うことと、風呂の湯船に浸かりながら歌うことの区別ができない。
そもそもこの演出(?)は企画会社発信とのことだが、たとえ企画会社が提案したとして、なぜ党側が「いや、それはあかんやろ」とならなかったのか。橋下氏は「維新が止めなければいけない」と批判するし、それももちろんなのだが、それ以前に自民党が通してしまうことが非常に大きな問題だと思う。
国旗損壊罪なんて必要か?
ファッション保守の話と言えば、「国旗損壊罪」も象徴的で、これまた橋下徹が批判している。そして私も橋下氏に同調する。
国旗損壊罪とは、国旗である「日の丸」を侮辱目的で損壊・除去・汚損することを禁止する刑法である。今でも「外国国章損壊等罪」という刑法はあるが、これは外国国旗にのみ適用される法であり、日の丸はその対象外だった。
国旗損壊罪制定賛成派は「不公平だから」と言うのだが、私から言わせれば「自国国旗と外国国旗の扱いが違うのは当たり前だろ」だ。そもそも国旗とはその国の象徴であり、それを傷つけるのは侮辱でありマナー違反だ。場合によっては外交問題に発展しかねない。しかし、もし大ごとになったとして、損壊した者にその責任を負うことはできない。だから法律で規制しておこうというのは合理的だ。それに、国旗のデザインはその(民主主義国であれば)国民が決めた、あるいは認めた「主権の表出」であって、外国人がとやかく言うものではない。
国旗・国家は我々が「選び続けている」存在
一方の自国国旗については、それが気に入らなければ我々には変更する権利がある。国旗も国歌も、常に我々にはそれを別のものに入れ替える権利が与えられており、それでも長年変わらないのは、我々がそれらを「選び(認め)続けている」からに他ならない。
そして私は、アナーキズムややたら過激に愛国心を煽る政党に対する主張として、国旗を損壊することも認める立場だ。もちろんそれを美しい光景などとは思わない。むしろ幼稚で暴力的に映る。であれば、そういう政治主張をする人たちをしっかり白い目で見て、「下品である」と糾弾すれば良い。それでもおそらく、日の丸を尊重する人の方が圧倒的多数でい続けるだろうし、もしそれが崩れたとしたらそれはそれで民主主義の結果として受け入れるべきだろう。
いや、私だって、政治や日本人の民度が臨界点を超えて酷いものになり、心底日本と言う国が嫌になる時が来るかもしれない。その時は国旗を踏みつけて燃やしたくなるかもしれない。だが、それも「言論の自由」「表現の自由」として認められるべきだと考える。もう一度言うが、常にそういう圧力に耐えてなお存在し続けることこそが崇高なのである。国旗を燃やしたり落書きしたりすることすら法で禁止するというのは、ベクトルが逆になってしまう。
国旗損壊罪などを作るのであれば、まだ「不敬罪」復活の方が優先度がはるかに高いと思う。が、その不敬罪すら私は要らないと思う。天皇・皇室だって2000年とも言われる悠久の歴史の中で存続の危機はあったはずだが、それでも残っている。魔王・織田信長はその気配すら見せなかったし、マッカーサーですら天皇の存在を認めて今日に至る。そこらへんのザコサヨクが天皇の写真を燃やしたくらいで騒ぐようなことではないというのが私の認識だ。
「保守」って何?「リベラル」って何?
話を元に戻す。
ここで取り上げた2つの事案は、「保守とは何か」「リベラルとは何か」「そもそも保守とリベラルは対立概念なのか」と言った政治哲学を提示するものだ。高市さんは党大会の件を事前に知らなかったそうだが、それもあり得る。企画会社が、今の高市政権に似合う演出としてやったのだろう。そして国旗損壊罪は、今になって「罰則無し」が検討されていると言う。何とも中途半端なことだ。
ここら辺から窺えるのは、「保守っぽい」けど「それって本当に保守ですか?」という姿勢だ。まさに橋下氏の指摘する「ファッション保守」として私にも映っている。保守の保守たる要件は、まずは「軽薄であってはいけない」ことだろう。特に党大会の件は、ネトウヨに阿るだけで重厚さの欠片も感じられない。



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