安倍晋三元総理が凶弾に倒れてから、丸4年が経った。
早い。本当に早い。この年齢になると4年という歳月そのものがあっという間だ。しかし、それ以上に思うのは、「安倍晋三という政治家が日本の政界からいなくなるには、あまりにも早すぎた」ということである。
安倍政権には当然、批判されるべき点もあった。政治家である以上、すべてが正しかったとは言えないだろう。それでも私は、戦後日本の総理大臣の中で安倍晋三という人物を極めて高く評価している。
その理由は、経済政策でも外交でもない。
もっと根本的な、「人間としての知性」の在り方にある。
私が考える「総合的知性」
私は以前から、人間の知性とは単なるIQ(知能指数)では測れないと考えている。
私なりに数式で表すなら、
総合的知性 = IQ × EQ
である。
もちろん学術的な理論ではない。私自身の思考を整理するためのモデルに過ぎない。しかし、人間社会で能力を発揮するためには、「考える力」と「感情を制御し、人と関わる力」の両方が必要であることは、多くの人が実感として理解できるのではないだろうか。
仮に知的能力という資源が100あるとして、それを自由にIQとEQへ配分できるとする。
IQ99・EQ1という極端ケースなら総合的知性は99である。ところがほんの少しバランスを修正してIQ80・EQ20なら1600と桁が2つ変わり、IQ50・EQ50なら最大値である2500になる。
もちろん実際の人間を数式で表せるはずもない。しかし、この例が示しているのは、「頭が良いだけでは能力は十分に発揮されない」ということだ。
学校の成績が優秀であっても、人の感情を理解できなければ組織は動かせない。逆に、人望だけあっても判断力が伴わなければリーダーにはなれない。
知性とは、頭脳だけではなく、それを適切に運用するための人格や感情制御能力まで含めた総合力なのである。
安倍晋三という「総合的知性」
この観点から見たとき、安倍晋三という政治家の総合的知性は、歴代総理の中でもかなり高かったと私は考えている。
学歴だけを見れば、歴代総理には東京大学など難関大学出身者が少なくない中、決して「学歴エリート型」の政治家ではなかった。
しかし、長年その政治活動を見続けてきて、私が最も印象的だったのはEQの高さである。
長期政権である以上、失言や不用意な発言が皆無だったわけではない。しかし、大きな政治的危機に直面しても感情を爆発させる姿をほとんど見た記憶がない。
国会答弁でも、挑発されても淡々と受け流し、必要以上に感情を表へ出さない。その一方で、ここぞという場面では強いメッセージを発する。この「緩急」の付け方が非常に巧みだった。
政治家の話し方は冗長になりがちである。しかし、安倍氏の答弁は要点を押さえ、自分の言葉で語っている印象が強かった。
私は、人間には「マクロを見る力」と「ミクロを見る力」の両方が必要だと思っている。
頭の回転が速い人ほど、大局は見えているのに目の前の一手を誤ることがある。逆に現場感覚に優れていても、国家全体の方向性を見失う人もいる。
安倍氏は、その両方のバランスが極めて良かった。
常に長期的な目標を見据えながら、その時々の最善手を比較的着実に積み重ねていく。
小泉純一郎元総理のような劇場型政治家とは対照的に、安倍氏は派手さよりも「布石」を積み重ねるタイプだったと言える。
私は安倍氏を天才だとは思っていない。むしろ秀才型のリーダーだった。
組織には、突出した戦略家もいれば、専門分野では誰にも負けない人材もいる。リーダーの役割とは、自分がすべてをこなすことではなく、それぞれの能力を引き出し、一つの方向へ束ねることだ。
安倍晋三は、その「束ねる才能」に極めて優れていた政治家だったと思う。自身がいわゆるエリートではなくとも、エリートを使う人だったのである。
地球儀外交という発想
私が安倍政権を最も高く評価している理由は、外交にある。
従来、日本外交と言えば、アメリカと東アジアが中心だった。
しかし安倍氏は「地球儀外交」という言葉が示すように、世界全体を一つの盤面として外交を組み立てた。
インド、豪州、東南アジア、中東、アフリカ、欧州――。
日本がこれまで十分に重視してこなかった地域とも積極的に関係を築き、長期的な国家戦略として外交を展開したのである。
その象徴がQUADだ。
日本・アメリカ・インド・オーストラリアという民主主義国家が安全保障面で連携を深めたことは、中国の急速な台頭を踏まえれば極めて大きな意味を持っていた。
日本発信でこの共同体が形成されたことは、アメリカを主体に見ても、「太平洋の向こう側で自陣と同じ色の大きな三角形が描かれた」ということであり、トランプさんから見ても安倍さんはさぞ頼もしく映っただろう。
面白いことに、地球儀外交は結果として、日本のはアメリカへの一方的な依存から一歩脱却し、多角的な安全保障ネットワークを構築することに成功した。長期政権もあって、気づけばG7のリーダー的な存在になっていた。
この外交成果は、国内では十分に評価されているとは言い難い。
しかし、日本外交史という長い時間軸で振り返れば、極めて重要な転換点として記憶されるのではないだろうか。
だからこそ、中東情勢が緊迫したり、国際秩序が不安定になったりするたびに、「今、安倍さんが総理だったらどう動いただろう」と考えてしまうのである。
アベノミクスに対する私の評価
もちろん、安倍政権を語るうえでアベノミクスは避けて通れない。
私は全体としてアベノミクスを高く評価しているが、特に語ることがないのは、「あの折においてはああするのが当たり前だろ」と思っているからだ。要するに、長期的低成長とデフレの流れを止めるには、金融緩和が手っ取り早い。
実際、円安や株高を通じて企業収益は改善し、「日本経済はもう成長しない」という悲観論が(一時的であるにしろ)打ち破られた意義は非常に大きい。
一方で、「第3の矢」である成長戦略についてだが、これは評価が難しい。
そもそも成長戦略を「官製」でやるのは難しい。3セク事業が失敗しやすいのと同じだ。官はお金の動きをスムーズにしたり規制を緩和したりなどで「環境を整える」ことこそが肝要なのだ。
もっとも、政府が産業を選び重点分野を育成するということも時には必要なこともあろうが、その際には為政者が民間のセンスを柔軟に取り入れる能力が問われる。本来の資本主義は、民間企業の自由度を高めることによって競争と創意工夫を促す仕組みである。
それを踏まえると、そもそもお上が「成長戦略」なんてことを考えること自体がおこがましいとも言える。政府がやるべきことは、企業活動を縛る規制を見直し、公正な競争環境を整えることだ。
しかしながら、第三の矢の見出しを「成長戦略」ではなく「規制緩和」に変えるだけで、私は最大限の評価を贈りたくなる。
例えばインバウンドの増加というのは数字の上でも生活の感覚としても非常に分かりやすい。「目標2000万人」と言っていたのが今や4000万人である。文句を言いたい人はたくさんいるだろうが、低成長国家である日本にとってはいまや命綱である。
しかしながら、安倍さんがやったことはインバウンドのような分かりやすいものだけではない。成長戦略の構築というより、その前準備である規制緩和に積極的だったのだ。その一つの現象として加計学園騒動なんてのもあったわけだ。
言い換えれば、安倍さんが挑戦した規制緩和を明確な成長戦略にできるかどうかは後進にかかっているとも言える。
おわりに
安倍晋三という政治家には、好き嫌いが大きく分かれる。
だからこそ、その評価も簡単には一致しないだろう。
しかし私は、「総合的知性」という観点から見れば、安倍氏は戦後日本でも稀有なリーダーだったと思っている。
天才ではない。
だが、国家全体を俯瞰し、人を束ね、長期的な国家戦略を描く能力において、他の政治家を一歩も二歩もリードしていた。
そして、その能力が最も発揮されたのが地球儀外交であり、長期政権の実現であり、アベノミクスだった。
もちろん、歴史はこれからも安倍政権を様々な角度から検証していくだろう。
それでも私は、4年経った今なお、「もう少し長く、この人の政治を見てみたかった」と思わずにはいられないのである。



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