今回は、5月10日に限定配信された『岡田斗司夫ゼミ』からのネタ。
例によって襲来した鬱状態での配信から私が感じたことを書き連ねます。サムネは公式から拝借していますが、言っておきますがこの画像は岡田氏本人が作ったものです。
無料版は17日に冒頭部分だけ配信される予定なので、お楽しみに。
精神疾患・発達障害がオープンになってきた現代
ここ四半世紀ほどで「発達障害」「ADHD」「ASD」といった精神疾患(あるいは障害)の病名がよく聞かれるようになりました。もちろんそういった障害や病気そのものはそれよりはるか昔から存在していたのですが、多様性の時代への転換期にこれらは「怠惰」や「バカ」ではなく、「個性」や「不可抗力的障害」となり、社会への浸透圧が働くようになったからでしょう。最近では大人が「自分は発達障害かもしれない」と疑って積極的に心療内科を受診する例が増えているとのことですが、まあ分かりますよ。自分が何かに分類されと安心できますからね。場合によっては適切なお薬が貰えるかもしれないし。
さて、私自身は(ネットに散らばってるような自己診断で)ADHDの疑いが非常に強いものの受診したことはありません。まあ、あまり薬に頼りたくないということと、特段困ってもいないので、わざわざ受診する必要もないかと。ただ、たまに眠剤を貰いに行く精神科(最近は厳しくなって、かかりつけの内科などでは処方されづらくなっているので)で、一度お試しで軽度症状向けの薬をもらってみたことがありましたが、体質に合わずすぐやめました。
双極性障害とADHDの関係
それはそうと、今回は「鬱」(双極性障害)の話です。私はメンタルヘルス系への関心が強く、まだ2ちゃんねるも生まれていない時期からその手のコミュニティーに出入りしていました。それは単なる興味ではなく、自分自身の特性を解析する手助けにもなろうかと思って、です。私の主眼はどちらかというと、人間の知能の発達にあったのですが、その手のコミュニティーでは必ず精神疾患、中でも双極性障害の話を嫌でも聞くことになります。
ADHDと双極性障害には結構密接な関係があるらしく、併存しやすいとのこと。私はと言うと、もう相当なレベルのADHD(自己診断)だと思ってるのに、精神状態の方はかなり健康なんですよね。気分の浮き沈みと言うのがほとんどなく、常に一定してるんです。もちろん、仕事でイライラすることもあれば、新しいゲームソフトを買ってウキウキすることもありますが、それは誰でもあることで、いわゆる躁鬱の人って、特に引き金がなく周期的に症状が出てくるという点で全く違うようです。

双極性障害と知能の高さには関係がない?
ところが、知能の高さと双極性障害には、「ある程度の相関関係は認められるが軽微」(Grok調べ)だそうで、なんだかイメージと違います。と言うのも、過去の偉人で言えば、リンカーン、ニュートン、ゴッホ、ベートーヴェン、最近では(私の関心の高い人で言えば)中島らもやここで紹介する岡田斗司夫など、「双極性障害持ちは頭が良いか、芸術的才能があるかのどちらか」という思い込みがあるんですよね。どうやら、本当に思い込みだったようで。
なぜこういうイメージを持つかと言うと、こういった偉人たちが「躁」の時に生み出すパフォーマンスがやたら高かったからでしょうね。平凡な人の躁状態なんて、ただ「ノってる」ってだけですから。
岡田斗司夫の鬱は面白い
さて、私が『岡田斗司夫ゼミ』の視聴者であることはブログの読者さんならご存じでしょうが、この岡田斗司夫氏も双極性障害を持つ一人です。彼の症状はかなり規則的な周期で表れるそうで、鬱の状態での配信は別人のように元気がなくなり、自身でもそれを断った上で内容を縮小または変更して配信するというのが常になっています。
私は、(非常に誤解を招きそうな表現ですが、自称サイコパスの岡田氏に倣って言うと)その様子をかなり面白がって観ているんですよ。もちろんそれは、不幸な人を見て嗤っているということではありません。
彼は自身の躁鬱症状を非常に客観的に見ている上に、鬱の時は鬱なりに(内容が変更されることはあっても)ちゃんと表現者としての役割を果たしているんですよね。もっとも、無気力で何をやるにもしんどい状態なので、無理はしているでしょう。しかしながら、個人的に岡田氏のあの状態は割と好みなんですよ。
躁鬱を車に喩えると
と言うのも、岡田氏の場合は「躁鬱」であり、鬱の状態があれば躁の状態もあるわけです。私の見る限り、「ベースが躁で、たまに鬱」ではなく、「ベースは中間にあり、躁も鬱も周期的に来るが、躁の方が少し長い」という印象です。
躁状態はエンジン出力が高く、声が大きく、早口で、表現方法も攻撃的になります(岡田氏が自認するところですね)。この時は時間当たりの情報量が多い上に、話が刺激的で面白くなり、よりエンターテイメント指向になります。では一方の鬱状態は、ただ無理しているだけで躁状態(あるいは通常状態)の劣化版になるのか?と言うと、私はそう感じていないのです。
人間を車に喩えるなら、双極性障害は「リミッター(速度制御装置)がなくてラジエーター(冷却装置)がポンコツ」という特性なのではないかと。つまり、無節操にアクセル全開にしてとんでもない速さで走っている状態が躁であり、でもその副作用でエンジンがオーバーヒートを起こしてしばらくの間停車してアイドリング(冷却)、あるいは低速運転しなければいけないという状態が鬱、ということです。このような車(運転)は燃費が悪く、自身の寿命を縮めてしまうことになります。が、アクセル全開の時のパフォーマンスは凄い。
鬱状態にしか見ることができない景色がある?
で、岡田氏の場合なんですが、鬱は「躁(通常)状態の劣化版」ではなく、そもそも性質が違うという印象なんですよね。つまり、内容の速さや密度ではなく、内容のベクトルそのものが違うと思うわけです。
これどういうことかと言うと、例えば、時速50kmの車で走るのと自分の足で歩くのとでは、同じ道でも見える景色は変わってきます。特に自分が子供の頃に住んでいた町なんかはすごく分かりやすいと思います。生産性のない鬱(という表現が適切かどうかは置いといて)は、それこそうつむいてトボトボ歩くだけのところを、岡田氏のような人は、通常状態の時には見えない景色をどこか楽しんでるような気さえします。
岡田氏いわく、躁でも鬱でも攻撃的になるとのことですが、躁状態の攻撃が、「攻撃対象の顔を思い浮かべながら聴衆を喜ばせることを能動的に楽しんでいるように」見えるのに対し、鬱状態の攻撃は、「そのものを目的とはしていないが、話を最低限にまとめてもそこに触れざるをえず、結果として攻撃になってしまうように」見えて、なんというか、後者の方が急所を突いてる感じがするんですよ。
生体リズムとしての躁鬱
さて、再度一般論に移りますが、そもそも(私の勝手な解釈による)躁鬱と言うのは何かと言うと「単なるバイオリズム」ではないかと思うのです。
例えば、1日という時間の間にも自律神経のバランスが変わります(サーカディアンリズム)。朝起きると眠い目をこすりながら、日光を浴びて、休息モードから活動モードへスイッチが切り替わり、交感神経が優位になります。日が暮れるにつれ今度は活動モードから急速モードへ切り替わり、副交感神経が優位になってきます。副交感神経は、体に「落ち着き」「不活発さ」をもたらし、体を休ませようとします。その間に免疫力が強く働くようで、持病が悪化することがあります。例えば喘息持ちはベッドに横になった途端発作が起きたり、風邪気味の人は夜になってから発熱したりします。これは正確には「悪化」ではなく「治癒」しようとしているからでしょう。
この周期は1年という長期でもあります。よく春や秋には自律神経が乱れて体調を崩す人が多いと言われますが、これはまさに1年という周期リズムによるものです。これは動物によって違います。クマなど冬眠する動物は、冬が来ると副交感神経優位になり、「省エネモード」に切り替わります。つまり、冬眠ですね。冬眠中は体温を4~5℃も下げ(人間なら低体温症で命の危機)、脈拍は4分の1程度まで低下します。血圧がほとんど変化しないのは体の隅々まで酸素と栄養を行き渡らせるためでしょう。一方の人類は、進化の過程で冬眠を選択しませんでした。過酷な冬でも活動できるよう、むしろ交感神経が優位な状態になります。
この1日あるいは1年という動物のリズムはかなり固定的なので分かりやすいのですが、その中間に分かりにくい周期のリズムがあるとしたら、少なくとも一部の双極性障害はこれがその正体かもしれません。
もう一度言っておきます。私は、蠕動運動や心臓が止まるほどの自律神経失調症になったことはありましたが、いわゆる「鬱」の経験がほとんどない無責任な立場から勝手なイメージで徒然なるままに書いてみただけです。


コメント