スポンサーリンク

「日本人はなぜ席を譲らない?」

電車席を譲る ジェンダー

この記事の趣旨はすごく分かるんですよ。
積極的に他人と関わろうとする外国人と、極力関わることを避けようとする日本人。日本人の「モラル」って、同調主義であり、無関心主義なんです。皆と同じことをやって、【その他大勢】に同化してしまおうとするのが日本人の行動原理の根底にあるんですよね。でも、電車の扉が開くと同時に駆けて行って席を取るなんて行動は、そういう理屈抜きで、単なる利己的行動だと思いますが。

スポンサーリンク

席を譲ってくれる人もたくさんいるよ

私が無暗に日本人を貶したくないと思うのは、私自身が何度も席を譲られた経験があるからです。と言っても私はまだ席を譲られるような年齢ではありません。うちの子が小さい時に電車で立っていたら、席を譲られるということが結構あったんですよ。相手は女子高生から年配の方まで幅広い年齢で。まあ、ほとんどの場合、お礼を言った上で笑顔で断りますけどね。

席を譲られる側のマナー

私だって席を譲りますが、60歳は過ぎていたと思われる女性に席を譲ろうとしたら怪訝な顔で断られたという経験をしてからは、譲る際もものすごく気を遣うようになりました。時々、目の前に実に微妙な年齢の人に立たれて、何も言わず席を離れてどこかへ行ってしまう若者を目にしますが、まあ、そういうことですよね。譲られる方にもマナーが必要だろう、と。

妊婦や子連れを虐めたがる不届きもの

決して多数ではないということは間違いないだろうけど、日本人が弱者に冷たいと思わされる事例もたくさんあります。特に妊婦や子連れママに対してです。私の妻も妊娠中に電車に乗ったら、知らない男性に後ろから小突かれたことがあって怖かったと言います。電車にはなるべく乗らないようにしましたし、もちろん妊婦マークなんて怖くて付けられるはずもありません。このような極端な例は、視野狭窄に陥るまで社畜化した人間のなれの果て、つまり精神病、と言えるケースもあるでしょうね。

本当の「個人主義」は社会との関りを重視する

日本と欧米なんかを比較すると面白いことが見えてきて、いわゆる「個人主義」というのは欧米的発想なんですよね。同調圧から解放されて個人が好きなように振る舞う。でもそういった国は赤の他人とのコミュニケーションに躊躇せず、積極的に人と関わろうとする。

一方の日本には個人主義と言う考え方が薄く、自然と他人と同じように振る舞う。が、他人との関りは極力避けようとする。個人主義はともすれば「自己中心的」と言うネガティブな評価を受けてしまうことになる。

ある厚かましい中国人女性の話

去年、紅葉を観に京都に出かけたら、ある中国人の女性に声をかけられたんです。それが驚いたことに最初からフルで中国語。ネイティブの「ニーハオ」を初めて生で聞きましたよ。いろいろ喋ってましたが当然分かるわけもなく、「あ、今“コーテルリャンガー”って言ったかな?」とか想像しながら、カメラ(フルサイズ一眼レフ)を渡されたので、写真を撮ってくれということは分かったから応じました。横構図で撮ったら、「縦も撮ってくれ」と言われたので(ジェスチャーで分かった)もう1枚。一番最後だけ「サンキュー」と言ってくれました。

ニコニコと柔和な感じの女性で、こちらは別段嫌な印象など持ちませんでしたが、やっぱりすごいのは、日本に旅行に来て、日本語どころか英語もほとんど話さず会話してしまおうという厚かましさです。一つの要因は、今や世界のどこに行っても中国語は半国際語扱いで、日本でも観光地では免税店だけではなく、コンビニですら中国人を雇ってますからね。何の遠慮もなく中国語を話せるというもの。

それにしてもやはり厚かましい。けど、それで結局、中国語を一切話せない私とも会話はできてしまうんですよね。日本人に必要なのはこの厚かましさではないかと思ったりしたのですよ。

日本人が学校で6年間英語を習っても、挨拶すらろくにできないのは、会話をすることを想定していないからです。「書面主義」の英語で、マニュアルを読むことはできても、直接コミュニケーションを取ることを目標にしていないため、会話ができないのです。異文化圏の人間とコミュニケーションが取れることの喜びを教えようとしないんですよね。

レディーファーストって?

レディーファーストねぇ…。難しいですよね。「男女平等」と「レディーファースト」って相容れないから。女性の方が小さくて身体能力が弱いんだから、男性が気遣ってあげて当たり前だと私は思うんですが、先述の年配女性に席を譲ろうとしたら断られたなんて事例を見ても、「平等に扱う」ということの難しさを痛感します。

でですね、自然に実践しているレディーファーストであっても、わざわざ「レディーファースト」だとか「グローバルスタンダード」とか言われると、私の腹の中にいる天邪鬼の虫が騒ぎ出すんですよね。

それ言われると途端に恥ずかしくなってくるっつーか。

この記事でも「外国人からも見習うべき点はある」で締めておけばいいのに、「おもてなしよりグローバルスタンダードに合わせることの方が大事だ」なんて書いてあるから、「誰が合わせてやるものか!」なんて言いたくなっちゃうんです。だったら性犯罪率もグローバルスタンダードにした方が良いのか?と。

いや、ほんと、天邪鬼のひねくれ者であることは重々自認した上で書いてますから。

ちなみに、本来の「レディーファースト」は今と真逆の意味ですからね。詳しくはググってください。

「事勿れ」が日本人の本能にある

順番が前後してしまいますが、私の身近に起きた事例。
子供のある習い事において、指導者の不審な言動について私が疑義を呈したところ、普段陰で指導者に文句を言っていた他の保護者は途端に私と距離を置くようになり、息子が卒業するのでその挨拶をしても完全にシカトされるという事態になったんです。

別に外国人をよく知っている訳ではありませんが、日本人の特性として、やはり「ムラ」の文化がその精神を支配してるってのはあると思います。陰で文句や噂話をするのは大好きだけど、表立って問題を顕在化させて解決しようってヤツには触れないようにする。日本型の社会性においては、そういう行動こそが本能なんですよね。

当ブログの『犬小屋』の方では度々話題に挙げますが、自分の犬をよその犬(とその飼い主)とは基本的に接触させないという飼い主が結構いることに驚くんですよ。犬にまつわるトラブルを避けるためでしょうが、結果、犬はどんどん臆病で神経質で攻撃的になり、無駄吠えの癖が慢性化することになります。

本館で詳しい言及は避けますが、赤の他人であっても登山家同士が挨拶するのと同様、犬同士は積極的に近づけて接触させることが実はトラブルの予防になるんですけどね。人間の偏狭な社会性のために犬が社会性を獲得できないままその生涯を過ごすというのは、実にアホらしい話です。

日本人が恥ずべき文化

ただの雑記になってしまったこの投稿ですが、どうせこれを読んだのなら貴方もちょっと意識してみください。エレベーターに乗る際、向こうから歩いてくる人がいます。その人にアイコンタクトで良いから「乗りますか?」と聞くだけで、社会全体は明るくなりますよ。

「グローバルスタンダード」なんてどうでも良い。けど、日本独特の文化の悪い面と言うのは間違いなくあるんですよ。

「個人主義」は受け付けないけど、自分のことは過度に可愛がる。自分が中心だから、小学校の運動会のスピーカーや除夜の鐘にまでケチをつけてやめさせるなんて冗談みたいなことが起きるわけですよね。

これが住みやすい社会か、と。

にほんブログ村 ニュースブログ 話題のニュースへ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました