俺の平成電脳戦記(5)1986年ファミコン・ディスクシステム登場

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ファミコンディスクシステム ゲーム

平成のうちに……と思ってたら、元号が代わってもう半年!?ってなわけで、俺の平成電脳戦記の続きを久しぶりに。と言ってもこれ書いたの半年以上前ですけどね。

スポンサーリンク

ディスクシステムの登場

ファミコンソフトの人気シリーズ第一作が並ぶ1986年ですが、この年にはもう一つ大きな出来事がありました。そう、ファミコンディスクシステムの登場です。

ファミコンディスクシステムとは、当時高騰しつつあったROMカートリッジに替わり、「クイックディスク」という既存の技術を使ったファミコン用の拡張外部記録装置のことです。簡単に言えば遅くて低容量だけど安くて使い勝手が良いフロッピーディスクです。

ロンチタイトルとして、あの『ゼルダの伝説』の第一作が発売されました。今でも世界のゲーマーを魅了する人気シリーズも、第一歩はディスクシステムだったのです。その他のタイトルは過去にカートリッジで発売されたタイトルのディスク移植です。

私がディスクシステムを手に入れたのは発売から半年ほど経ってからで、最初にプレイしたのは『悪魔城ドラキュラ』でした。なんちゅうカッコエエゲームじゃ!とは思ったものの、アクションゲームスキルが全くついていかず挫折。

すぐに友達から『ゼルダの伝説』を借りたのですが、これがビックリ、なんか変な音が出てる!

そうです、ディスクシステムには拡張音源が1つだけ用意されており、ゼルダのオープニングに使われていたのです。これが何とも重厚で幻想的。タイトル画面だけずっと見ていたものです。

でもドラキュラ1って、少なくともBGMでは拡張音源使ってませんでしたよね?当時からコナミは、他人が用意した拡張音源を使いたがらなかったのでしょうか…。

ディスクシステムと言えば500円書き換え

ディスクシステムの登場は大革命でした。なぜなら、当時半導体の生産が追い付かず、定価で6000円近くまで高騰していたファミコンソフトが500円で手に入れることができるようになったからです。

ただしこれは、元々ディスクを持っていたら、の話。何かしらディスクシステムのソフトを持っていたら、それを書き換えることによって新しいゲームができるようになったのです。

全国のおもちゃ屋さん、電器屋さんには書き換えマシンが設置され、書き換え開始日になると500円玉1枚持って自転車を走らせたものです。ちなみに、500円玉が登場したのがこの3年ほど前の話。

と言っても新作がすぐに書き換えられるということは基本的にはなく、すぐに遊ぶためにはディスクごと買わなくてはならないため、それなりのお値段……と言っても初期は2600円だったので、十分安かったんですけどね。

でも寿命はそれほど長くなかったディスクシステム

そんな革命を起こした夢のデバイス・ディスクシステムも、ロムカートリッジから主役の座を奪うには至りませんでした。

登場当初こそ、その容量の大きさと安さから注目を浴びましたが、実はほぼ同時期にファミコン初の1メガビットタイトルである『がんばれゴエモン!からくり道中』が発売されます。この容量はディスク1枚の両面を使っても敵わないものでした。仕様上、ディスク1枚あたりの容量は大きくすることができず、1メガ弱という大きな壁があったのです。

ソフト全体の容量の大きさはディスクを複数枚使うことでカバーできるとしても、今度はアクセスの遅さが問題になります。アクセス時間がほぼゼロのロムカートリッジと違って、ディスクは10秒なり20秒なりのアクセス時間が発生します。ディスク両面で1メガ弱の容量を持つ者の、一度に読み込まれるデータの大きさは最大で40KB、スーパーマリオ1本分でした。それ以上のデータには必ずアクセスが発生し、その間ゲームは中断されることになります。

例えば、ディスクシステムでは『ディープダンジョン』というRPGが発売されましたが、あれは単調なダンジョンだからできたことであって、ドラクエシリーズはまず無理だったでしょう。キメラの翼を使うたびにアクセス、IIともなるとヘタすりゃ戦闘のたびにアクセスが発生するかもしれません。

そしてゲームはどんどん規模が大きくなり、ファミコン晩年のドラクエIVだと4Mロムという容量になりました。ディスクで出していたら5~6枚組ってことになりますね。

そんなわけで、ディスクシステムはその後、細々ながら独特の鈍い存在感を放ってゲーマーに愛されていくことになります。

にほんブログ村 ゲームブログへ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました