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ゆたぼんパパ・中村幸也氏ブログへのツッコミ集

育児・教育

自分のツイッターより、ゆたぼんパパ・中村幸也氏ブログへのツッコミ集です。

『子どもを信じて何が悪いのか?』
⇒ https://ameblo.jp/yukiya-happy/entry-12459664975.html #アメブロ @ameba_officialさんから

「あなたにゆたぼんが何か迷惑をかけたのでしょうか?」

⇒動物を虐待するヤツもドラッグやるヤツもこれで正当化できる。何より、特段の事情もなしに「行きたくなければ学校に行かなくていい」というメッセージは、社会にとって害悪である。

「「行くか、行かないかハッキリ決めろ!」と言う人もいますが、なぜハッキリ決めなければならないのか?」

⇒掛け算の時に休んでいたら、割り算の時に学校に行っても意味がないから。学問に連続性は必要ないとでも思ってるのか。

「時代は変わったはずなのに今もなお、日本の学校教育では個人の自由が認められていないのは変だと思いませんか?」

⇒日本以外の学校教育では具体的にどのように個人の自由が認められているのか。

「文部科学省も約3年前に小、中、高、すべての学校へ向け、「不登校を問題行動と判断してはならない」 との見解を含む通知を出しています」

⇒教育の義務と言う憲法は無視するのに、なぜ省庁の通知は重要視するのか。


「実はアメリカの調査結果でも「宿題は学力向上に効果なし」という衝撃的な結果が出ています」

⇒問題がまるで違う。宿題に効果なしと思えば、それを訴えるべきであって、子供に体当たり的抗議をさせるべきではない。また、それが学校に行かなくていい理由にもならない。

「でも宿題をしたくない子どもに強要する権利が学校や親にあるのでしょうか?」

⇒「権利」ではなく「義務」である。教育とは強要であり洗脳である。左右を確認もせず道路を横断しようとする子供の権利も認めるつもりか。

「学校のお勉強というのは、どちらかというと受動的なもので、(中略)「やらされてる感」が半端ないです」

⇒「能動的な勉強」しかしなかったから、心理カウンセラーというインテリ職業に就きながら「半端ない」なんて頭の悪い言葉を使ってしまうのではないか。

「必要のないカリキュラムを頼まれてもいないのに子どもたちの前にどんどん積み上げていき、強制的に学ばされる」

⇒「必要のない」は誰がどうやって判断したのか。子供をYoutuberにすることは必要なのか。

「「学校に行けば色んな出会いがある」と言う意見もありますが、たまたま同じ年に生まれた同じ地域の子たちが集められた閉鎖的な場所(学校)での出会いで学べる事より、自らの足で色んな人に会いに行った方が多くの事を学べるのではないでしょうか?」

⇒学校の外での出会いだって、全てたまたまでしかない。それを「必然」「運命」などと特別視してしまうのはキラキラ思考。出会いの量や質から言って、むしろ学校に通う以上のものはない。

「人との出会いが大きな学びになるのは、自分が会いたいと思った人に自分から会いに行く時です」

⇒「会いたいと思った人」は一体どうやって探し出すのか。それも「たまたま」でしかない。

「確かに学校でしか経験できない事はあるかもしれませんが、それを経験していないからと言って社会で生きていけないとは限りません」

⇒「とは限らない」のは当・た・り・前。それ言い出したら全ての教育に意味はなくなる。

「何より子ども自らが「行きたい時だけ行く」という選択をしているわけなので、子どもの気持ちを尊重してあげるのが大切ではないでしょうか?」

⇒一日中ゲームばかりする子の選択も尊重すべきか。

「しかし「子どもを一人の人間として扱う事」はとても大切で、これはアドラー心理学でも言われている事です」

⇒アドラーが言ってるのは、一人前として「扱ってあげる」ことであって、本心から一人前と認めることではないはず。こういう人、アドラー好きやなー。

「なぜなら、これは人間だけでなく植物や動物にも言える事ですが、種として優秀なのは後に生まれた者たちだからです」

⇒???議論されているのは「習得的知性」についてであって「生得的知性」ではない。医者の息子が生まれつき医師免許を持ってるとでも思ってるのか。

ゆたぼん。「学校行かずに外の広い世界を」なんて考え方は、自分の好みに合わせてコーディネートされたネットニュースだけを読んで世界を知った気になるのと同じ。私のクラスにはパイロットの子供から上靴買ってもらえない貧乏人の子供までいた。それこそ世界の縮図があった。

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