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公立小学校で学力別授業をやれば皆が得をする。

ランドセルの女子小学生 育児・教育
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子供の成績で教師が査定されるのは是か

大阪市の「全国学力テスト」の成績があまりに酷いことを受けて、大阪市・吉村市長が打ち出した「学力テストの成績が向上した学校の教師には給与を上げ、成績が横ばいないし下落した学校の教師の給与は下げる」という方針は是か非か。

というと、とりあえず私は「是」なんですよね。いかにも窮屈で堅苦しい、いかにも体温の感じられないような方針に思えますが、明確に反対しているのは教育現場で、保護者はむしろ歓迎する人の方が多いのではないでしょうか。だって、皆お金払ってまで子供を塾に通わせてるんですからね。その目的は他でもなく学力向上のはずです。



学校の目的は子供の学力を上げることだけではないが…

現場が反対する大義名分もちょっと無理があるでしょう。学校に通うことの目的は学力習得【だけ】ではありませんが、主たる目的には違いありません。また、学力【だけ】ではないにしても、学力が向上するような学校はその他の評価軸、例えば規律を守るとか協調性があるとか言った面でも優秀であると推測されます。ああ、この表現はちょっといい加減ですね。「私はそう思ってます」と言った方が良いか。

早い話、なんだかんだ言っても、「勉強ができる子は良い子」という黄金法則はかなり確固たるものがあると、私は思ってるんですよ。本当、何の面白みもない結論ではありますけど、例えば成人式で暴れてる連中ってどう考えても学力低そうでしょう?沖縄の子供の学力を見れば、ある程度は傍証となるでしょう。

学力テスト以外を評価されなくなる?

いやいや、それはそれで評価すれば良いじゃないですか。大事なことは、学力テストの成績【も】評価査定に含めるということであって、図工や音楽や体育や社会見学がどうでも良いという訳ではないはずだし、担任の裁量でそういった授業をおざなりにしたり、勝手に算数に変更したりできないようにしておけば良いんですよね。

そうは言っても家庭のしつけ

私はこんなひねくれ者の上に自分は平均的日本人よりかなり賢いと思ってるので、学校教育についても冷ややかに見る目を持つ反面、実は割と素直な性格をしているもんで、学校に通うことそのもの大事さ、学力以外の学校の存在理由なんかも重視していたりするんです。

そんな私が実際息子にどう教えているかというと、
「この部分に関しては先生が間違っている。教師は万能じゃないし、そもそも教師だから学力が高いという訳でもない。教科書も実に馬鹿馬鹿しい。だが、それでも、お前は先生の言われたことに“はい”と言え。間違っていると思っても反論するな。先生は一生懸命やってるし、何より大人なんだからガキは従ってろ」
という感じです。

乱暴に感じられるかもしれませんが、秩序を乱さないこと、自分とその環境を常に客観的に観察すること、そして集団の中でどう振る舞うことが賢いのかを教えているつもりです。



先生の言うことには黙って従え

例えば、算数の「掛け算順序の問題」と言うのが定期的に話題に挙がりますが、私も「順序がある」とする小学校の教え方はナンセンスだと思ってまして、子供にもそう教えてます。

しかし、だからと言ってそれをもって教師に「こんなのナンセンスだ!」と主張したところで、全く建設的ではないんですよ。担任の先生だっておかしいと思ってる人は実は結構いると想像できますが、基本的に各教師は学校の方針に従うもんだし、学校は文科省の方針あるいは、慣例みたいなものに従うもんなんです。

ガリレオが教会に捕まったら「私が間違っていました。全ての天体は地球を中心に回っています」と言っておけば安全を保障されます。そして心の中で「それでも地球は回っている」と呟いておけば良いんですよ。

そこで小さな意地を張って秩序を乱したり、「扱いにくいヤツ」扱いされたりするのは、本人にとって損な話。だから「これは間違っているけど、学校のテストには学校のやり方に従え、先生に反論するな」と教えているわけです。

逆に、「このタイミング、この方法であれば!」と思った時には存分に主張すれば良いんです。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の中で、坂本竜馬は議論を嫌ったと言いますが(※うるさい人がいるので注釈入れておくと、小説の中の話、であることは承知していますからね)、それは議論に勝ったとて相手のプライドを傷つけて自分に対してネガティブな感情を持たせるだけで物事は前に進まない、ここぞという時以外に強い主張をしないというのがスムーズな人間関係の運営方法だと見出していたわけです。あるいは『踊る大捜査線』の和久さんのように「正しいことをしたけりゃ偉くなれ」なんですよ。

かなり話が逸れました。閑話休題。

学力査定よりも学力別学級の設定を

児童の学力で教師を評価するという方法そのものに反対はしません。が、その前にやることがあると思ってまして、それが「学力別授業」だろうと思うのですよ。

例えば、一学年に3クラスあるとします(私が子供の子供の時に比べたら半分以下ですが…)。この3クラスはその学年で決められた同じカリキュラムをこなします。つまり、どの学級でもやってることは同じなんですよ。

ところが、学年に100人の児童がいたとして、その100人には学力に相当なばらつきがあるのが普通です。少なくとも公立であれば。三角形の面積の求め方を40分教えても理解できない子がいれば、1分で理解できる子もいて、そんなバラエティー豊富な子供たちが同じ授業を受けることになるわけです。これ、実にもったいない話ですね。

コストをかけずに子供の学力向上が期待できる

3学級あるんだったら、学力を3段階に分けて違う授業をしても追加コストは一切発生しないことになりますよね。出来る子は5年生で中学の一次関数くらいは理解できるんだから教えれば良いんです。逆に出来ない子には時間をかけてじっくり教えて理解させれば良いんです。今の公立小学校のやり方は、できる子にとっては能力を持て余す退屈な授業である一方、できない子がいても結局カリキュラム通りに授業を進めざるを得ず、ものすごく中途半端で誰が得すんねん!ってことなんですよ。

算数は得意でも国語が苦手って子もいるでしょう。国語が苦手であれば英語の前に国語の授業を増やす必要だってあるかもしれません。

このことは私が長年主張してきたことで、それは実際私が子供の頃、公立小学校の授業のレベルがあまりに低すぎて「時間の無駄」を実感していたからです。その時間で他のことできるじゃん!と。といってもそれは国算理の話。社会の授業なんかはむしろ苦手だったし、もっとちゃんと教えてほしかったなんて今になって思います。

学力別授業と「発達障害」

私が子供の頃に「学力別にすべき」と思ったのはこういったことがきっかけですが、最近「発達障害」というキーワードをよく目にするようになって余計に思うようになっています。

「発達障害」とは、発達のベクトルが違っていたり、部分的に発達速度が遅かったりなど、要するに「平均から一定以上能力が外れている子供」(もっとも、大人でも「発達障害」は適用されますが)のことで、昔なら「バカ」とか「変人」などネガティブな個性として片付けられていたものに、気質的な脳の差異を認めて「障害」として認識されたもの……という説明で良いんでしょうかね。

要するに、「ふつうの子が」できることをある子が出来なかったとしても、その子の基本スペックであったり先天的に何かしら原因のあるものであって、「出来損ない」扱いするなよというのが裏の趣旨として窺えます。

私自身の例で言えば、「本が読めない」「歴史が理解できない」と言ったもの。「本が読めない」はいわゆる「識字障害」とは違って、字は読めるのです。漢字も得意です。ただ、書いてあることの内容が理解できない、物語であれば物語が理解できないのです。歴史が理解できないのは言わばその発展形で、教科書はただの文字の羅列としてしか認識できません。いくら時間を割いて勉強したって頭に入りません。不真面目なのではなく、文字の羅列は文字の羅列でしかないので、せいぜい円周率を覚える程度の情報しか頭に残らないのです。

歴史が得意な人に言わせると、「歴史で25点?はあ?あんなの覚えるだけじゃん」ということらしいですが、それは違うんですよ。あなたは「覚える」と言ってるけど、それは「理解」してるんです。私は理解できない子だったのです。

今はどうか?幕末について語れと言われたら2時間くらいベラベラ喋りますよ。それは物語として、あるいは人間の行動学として、学校の手法とは違う形で(つまり、小説やドラマや映画)「理解」したからであって、「暗記」したのではありません。

自分がそんな感じだったので、子供ができた今、その子供が本を読まない、国語ができないからと言って怒鳴って勉強させるわけにもいかないのです。怒鳴ってやるなら怒鳴りますが、多分そう簡単な話じゃありません。教える科目の比重より、その子に合った教え方こそが肝要だろうと思うわけですよ。



やっぱりIQテストと適性検査

そのために何が必要かって言うと……ここでようやくだいぶん前に書いたネタから繋がるんですが、IQテストなんですよ。正確には、いわゆるIQテストを含めた適性検査です。単純な学力や習熟度ではなく、その子の適性を見出して、なるべく合った授業をする。

「個性を伸ばす」なんてことを言う人に限ってこういう手法にわざわざ差別的ニュアンスを見出して反対したりするんだから面倒くさいもんです。本当に個性を伸ばしたいなら、なるべくその子に合った教育を施してやるのが当たり前じゃないですか?

え!習熟度別指導、公立でも普通にやってる!?

…とここまで書いて今調べたら……、現在、公立小学校の7割以上で習熟度別指導が実施されてるとか……え、そうだったのか!うちの地元はやたら学力が低いって言われてるけど、画一教育は今やマイナー側になるの!?下の子が入学する際には導入されているよう願うばかりです。

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