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「置き勉禁止」「エアコンなし」「校庭周回」それ教育ですか?

ランドセルの女子小学生 育児・教育
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置き勉禁止に意味はある?

我が子を含む小学生を見ていて常々思うのは、「子どもに苦行を与えるな」ということ。

例えば、これは過去にも少し触れましたが、ランドセルの重さ。ランドセル自体は我々の時代よりは軽くなっていますが、今日では学校でいわゆる置き勉が禁止されており、あらゆる教材を毎日学校まで持参しては家に持ち帰るということを繰り返しています。うちの子に至っては自宅から学校まで約1kmの距離がありますから、体への負担も相当なもの。金曜日ともなると、図工の作品や上靴、給食袋なんかも増えて、ちょっとした引っ越しですよ。実際、小学生が腰痛で整形外科に通うケースが増えているというのだから大変なものです。

宿題以外の教材なんぞ学校に置くようにすりゃいいでしょう。盗難が懸念されるならロッカー用意して、帰る際に職員室に鍵を預けるようにすれば良い。そのくらいのコスト増は喜んで負担させて頂きます。

水筒だって、児童全員が水分補給しなきゃならないんだから、学校で出してくれれば良いんです。そのコストを保護者に負担させたとしても、間違いなくかえって安上がりになりますからね。

年寄りから子供への嫌がらせ、「エアコンなし」

さて、子供への苦行として近年よく話題になるのが学校のエアコン設置問題

これは単なるコスト面だけの話ではなく、「私たちの時代にそんなものはなかった。甘ったれるな」という大人たちの一種のイデオロギーみたいなものが障害になっているようでして。

そういう大人たちの家は竪穴式住居で洗濯板で洗濯し、獣を捕まえて食事を作ったりしてるんでしょうか。もちろんそんなわけはなく、彼らだって昔は「最近の若い者は」と上の世代から言われてたんですが、それを忘れてしまってるんですね。そういう頭の悪いご老人たちのために、
「子供叱るな来た道じゃ」
という言葉があります。まあ、ご存知ないのでしょうけど。

何より、今の日本の都市部の平均気温は半端ではありません。平均気温の上がり方を見ても分かりますが、それより猛暑日の日数なんかを確認するとぞっとします。

土と緑の中を通学していた頃と、コンクリートに囲まれてヒートアイランドによる地獄の酷暑の中の通学とでは、条件がまるで違うのです。つい先日も小学校1年生の児童が、校外学習かなにかで2時間弱に外に出たところ、学校に帰ってから熱中症が発覚、そのまま亡くなってしまうという痛ましい事故があったところです。

小1児童熱中症死は“ソフトウェア災害”

これね、先日の西日本集中豪雨のことでも書こうと思ってたんですが、「ソフトウェア災害」なんですよ。「ソフトウェア災害」と言うのは私の造語でして、人間が情報を適切に扱わないために起きた災害という意味です。一方、抗いがたい自然の力による災害は「ハードウェア災害」と言います。

例えば、東日本大震災の時、地震による建物の倒壊によって怪我や死亡に至るのは「ハードウェア災害」ですが、津波による犠牲は情報を適切に扱わなかったために起きた「ソフトウェア災害」になります。

小1熱中症事故も、酷暑が原因ではありますが、大人が適切に対処していれば起きなかった事故なんですよね。小1と言えば体はまだまだ出来上がっておらず、暑さ寒さも正確に認識できません。汗腺の発達具合も違うし、その時の体調だって自己認識し難いでしょう。そしてこの時期、午前10時を過ぎればもう地獄の炎天下です。わざわざそんな時間に外に出す必要があるでしょうか?


「生理でプールに入れないなら校庭を走れ」

もうひとつついでに。

これが実話だという前提でお話しますが、いやもう、教育者は一体何を考えているのか全く分かりません

教育とは子供が一人前の大人になるために行う「手段」であり、その「道具」として教材があるわけです。水泳を含めた体育の授業だって同様、苦行を与えることではなく、その子のためにならないことは教育ではないのです。
「皆がやっていることをあなたはやらないのだから、あなたは別の形で苦行を行いなさい」
ということでしょうか。

いや、苦行だって意味はあるんですよ。長距離走にしろ登山にしろ掃除にしろ。しかし、クソ重いランドセルやエアコンなしや生理中の長距離走って何も考えてないですよね。「ワシらの時代はこうだった」とか「お前だけ楽するな」とかそんなレベルの超短絡思考なんです。

 

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